Coffee Break Essay




 北国の六月に思う


 仕事をしていてふと顔を上げると、窓の外に白い浮遊物を目にするようなった。六月に入る数日前からのことである。タンポポよりもよほど大きい。何かの綿毛だ。まるで無重力の中を漂うように、気の向くままに漂っている。ネットで調べて、それがポプラの綿毛であることがわかった。

 実は、高校時代にこの光景を同じ札幌で見ていた。長い歳月の中ですっかり忘れていたのだ。かつて、大陸からの引揚者が、ハルビンの風物詩として、街中に綿毛が飛ぶという話を何かで読んだことがある。中国の方は、ヤナギの綿毛のようだ。

 浮遊する綿毛を眺めながら、いかにも北海道だなと感じる。ゴールデンウィークに桜と梅が同時に咲いて、そのあとは百花繚乱といった様相を呈する。この時期、特に目立つのがライラックだ。香りを感じて顔を上げると、ライラックが咲いている。東京にいたころ、春まだ浅い季節に、どこからともなく漂ってくる沈丁花の香りがあった。香りが季節の移ろいを知らせてくれる。

「家ごとにリラの花咲き札幌の人は楽しく生きてあるらし」

 とは、歌人吉井勇の歌である。札幌医科大学の医師だった渡辺淳一の「リラ冷えの街」を夢中になって読んだころが懐かしい。リラとはライラックのフランス語名である。

 数日前に、滝川市に菜の花畑を見に行ってきた。青空のもと、地平線の遥か彼方まで広がる黄色い大地は、壮観である。遠い山はどこまでも青く、食塩のように真っ白な雪を冠している。そうか、北海道は桜と梅が終わってから、菜の花なのかと改めて気づく。順番がメチャクチャだ。とにかく準備が整ったものから一気呵成に咲かなければ、すぐにまた冬がやって来る。多少の順番の入り繰りなど、気にしてはいられない。

 紫陽花は、七月下旬から八月にかけて咲く。秋風が吹き始めてもまだ咲いているのもある。十月に咲く紫陽花に、愕然としたものだ。ドライフラワーになってしまった紫陽花は、即身成仏を連想させる。そんな物悲しい光景にも、すっかり慣れてしまった。

 私は学生時代を京都で過ごした。新緑の永観堂を訪ねたことがある。この世のものとは思えない、目にも鮮やかな青色の紫陽花が飛び込んできた。六月の雨に打たれ静かに輝いていた。

「オー、ハイドレンジア」

 という女性の声が背後から聞こえ、振り返るとアメリカ人の老夫婦が足を止め、息を呑むように見入っていた。雨に打たれる紫陽花を見ると、なぜかその時の光景が甦る。永観堂といえば十一月の紅葉だが、六月の紫陽花も忘れがたい。

 落葉樹が一斉に芽吹き、初夏の日差しに輝く六月。長く閉ざされた冬から解き放たれ、すべての生が一気に躍動する。

 北海道が輝く季節を迎えている。

                   平成三十年六月  小 山 次 男