Coffee Break Essay


  『北国の暮らし』




先日、義弟が新築マンションを買ったので見に行った。
練馬区まであと百十メートルちょっとという距離の埼玉県である。
その百メートルちょっとの差が、数百万円の違いになるという。
義弟夫婦は、やむなく埼玉県民になった。

チビたちが案内してくれたのだが、マンションの玄関に入りエントランスと称し、
郵便受けのあるコーナーが独立した部屋になっていて、メール・ルームというそうだ。
部屋のある八階の窓からの眺めは、住宅の屋根ばかり。
それでも晴れた日には、富士山が見えるという。
我が家のオンボロ社宅からすると雲泥の差だが、酸素の足りない金魚蜂に入れられた気分だった。
ケーブルテレビの漫画専用チャンネルに夢中になっている子供たちを見て、こうやって養殖人間が出来上がって行くのだな、と考えてしまった。

私は、日本経済が高度成長期に差しかかった昭和三十五年に生まれたのだが、
そんなこととは無縁の、北海道の辺境で育った。
生活が、まだ、「戦い」であった。水平線から出た太陽が、海を真っ赤に染めながらまた水平線に沈んでゆく、それが冬の光景である。
地平線の彼方に馬が点在し、キツネが出てきたりシカが走ったりするのは常態。
ときおり羆(ヒグマ)が出てきては騒ぎになった。

北国の生活を思い起こすと、暗くて長い冬が、まず、最初に来る。
耳が引きちぎられるような凍てついた寒風が、冬の間中吹き続ける。
海から吹き上げる横殴りの雪まじりの痛い風に歯を食いしばり、涙ながらに通学した道を思い出す。
ブリザードと言えば聞こえはいいが、一歩間違えば死と背中あわせの日常があった。

二十年以上も前の話だが、私が学生の頃、一月二日に田舎でクラス会が行われた。
正月は都会に出ている者が帰って来る絶好の機会である。
二十名近い同級生が集まり、したたかに飲んだのだが、外は大荒れの吹雪。
いざ帰る段になって、今までに我々が経験したことのないような猛吹雪であることが、分かってきた。

車で来ていた者は、車を置いて、みな歩いて帰宅することになった。
とてもじゃないが、車を動かせる状況ではなかった。
それぞれ同じ方角の者が集まり、スクラムを組むようにして帰った。
叩きつける雪に目が明けられないばかりか、メガネに雪が付着して、いくら指で拭いても前が見えない。
道路の境界すらわからず、歩行はおろか立っているのさえ困難な状況。
本当に遭難するのではないか、という恐怖に包まれた。
女も男も関係なく、お互いに抱き合うようにして家に辿り着いた。
自宅に帰ると、玄関のドアが開けられなくなると、母が家の前の雪掻きをしていた。
こんな日にクラス会なんかするバカがどこにいるか、と怒鳴られた。

翌日、テレビをみて驚いた。
近所の居酒屋で、同じように同窓会をしていた二級上の者たちが、無理に車で帰って死んだというニュースだった。
吹き溜まりに突っ込み、そのまま雪に埋もれ、一酸化炭素中毒になったのである。
車を放棄して、近くの民家に泊めてもらった者だけが助かった。
そのまま車の中で一夜を過ごそうとした四、五が命を落とした。
後にも先にも、あんな猛吹雪は経験したことがない。

昔は、吹雪による着雪で電線が切れ、何日も停電になることが頻繁にあった。
陸の孤島になるのだが、不便には不便だったが、またか、というもので諦めていた。
停電は、年中行事のようなものだった。

今では笑い話になるが、私の友達に旭川出身の者がいた。
北海道の中でも有数の極寒の地である。
冬に外出先から帰って、ストーブが暖まるまでの間、冷蔵庫を開けて手を温めたという。
出かけるときには、金魚鉢を冷蔵庫に仕舞う。
忘れたらそれこそ大変。金魚が凍り漬けになってしまう。
昔は、家の中も寒かった。我が家も冬の間中、毛糸の帽子を被って寝ていた。

だから春の訪れは格別なもので、夏がいっそう光輝くのである。
せっかく待ち焦がれた夏も、低気圧が立て続けに来た年には、夏が吹き飛んでしまう。
その落胆たるや惨憺たるもので、鉛色の空が心の中を覆い尽くすような気分であった。
ああ、また冬が来る。それが北国の生活である。

その後、札幌に四年暮らして、山も海もない街の、食べ物の味気なさに閉口した。
山とて、あるにはあるが、飾りのようなもの。
同じ北海道でもこれほど違うものかと愕然としたものだ。

結局、私は十九年間北海道に生活した後、
京都も含めると二十五年もの間、ぬくぬくと快適な冬を本州で過ごしている。
冬になり、吹雪の映像などをテレビで見ると、北国の人にはいつも申し訳ないという思いがよぎる。

養殖アユや養殖ハマチじゃないけれど、長いこと都会で生活していると、
人間としての味が大分落ちているのだろうなと考えることがある。
たまに地方に行って純朴な人間に出会うとほっとする。
彼らはおおらかで広く、概して優しい。
(それが普通のことなのだが、とりわけ新鮮に感じる)

故郷に帰り、何年ぶりに同級生と再会すると、いつの間にか失ってしまったものを彼らの中に見つけ、愕然とするのである。

だからついつい倉本聰の『北の国から』にひとり共感し、一掬(いっきく)の涙を流してしまうのである。

                      平成十六年二月  小 山 次 男