Coffee Break Essay



  『クリスマスの記憶』






クリスマスツリーを新調した。
十三年前、子供が生まれたときに買ったものである。
せめてクリスマスくらい華やかな気持ちで過ごしたかった。

池袋のデパートへ行ったのだが、いろんなものがある。
小さな光が揺れ動く様は幻想的で、その美しさにしばらく見とれてしまった。
主流が光ファイバーのツリーなのには驚いた。

その光を眺めながら札幌の冬を思い出した。
ホワイトイルミネーションの光が雪に反射して、幻想的な空間を作り出す。
都会の喧騒が雪に包まれ、札幌の夜は無音になる。
もう何年も見ていない北国の情景である。
あの光の中を恋人と歩けたら、どんなにかいいだろうと憧れていた。
残念ながらそういう機会はなかった。

小さい頃、クリスマスが近づくと、父が近所の山から樅(モミ)ノ木を切って来て、
それに飾り付けをした。
大人の背丈ほどのツリーだったように記憶している。
子供の目線からは、そのツリーがとても大きく感じられた。

クリスマスの朝、ツリーの下にプレゼントが置いてある。
サンタクロースの存在を、絶対的に信じ切っていた。
トナカイが引くソリに乗って、煙突から入って来ると。
北国の冬は、クリスマスまでにはきちんと雪を用意してくれていた。

赤、黄、緑、青、白そんな光が明滅する光景に、
いつまでも見入っていたころを思い出す。
その電球の光が暖かな記憶として残っている。

我が家の場合、二十五日の夜にケーキを食べて、
翌朝、プレゼントがあるという構図であった。
イヴはクリスマスの前夜祭と母から教えられ、何もしていなかった。
それでちょっと恥しい思いをしたことがある。
 


高校、予備校と四年間を札幌で過ごした。

高校はカトリック系の男子校。
二学期の終業式には校長先生の挨拶の後、
賛美歌の一〇九番を歌うのがお決まりであった。
『しずけき』という歌で、
「しずけき 真夜中 貧しい厩(うまや) 神のひとり子は 御母の胸に・・・」という歌詞だった。
そう、この歌は『きよしこの夜』(プロテスタント系)と同じ曲なのだ。
大きな体育館に響き渡る一、八〇〇名近い男の歌声は壮観であった。
歌が終わると神父が徐(おもむろ)に壇上に上がり、聖書の一節を読み上げる。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ・・・」

ルカによる福音書の一節である。
この間、数人が貧血で倒れるのが、これまたお決まりであった。

私は、学校の敷地内にある寮に入っていた。一八〇人もいる大きな寮である。
細い道を隔ててすぐ隣に、レンガ造りの古い修道院があった。
クリスマスの夜、そこからこぼれる柔らかな光が窓外の雪を照らし、
柔らかな情景を醸し出していた。
その夜だけは深夜まで明りが絶えなかった。
特別な祈りの日である。

ほとんどの寮生は冬休みで帰省し、
残っているのは補習などに参加しているわずかな者だけ。
規則のとても厳しい寮であったが、クリスマスの夜だけは特別だった。
寮長先生(寮監)が、こっそりと(五人くらいしか車に乗れないので)お気に入りの三年生だけを、
北一条教会へ連れて行ってくれるのだ。

北一条教会は、札幌でも古く、由緒ある教会である。
ちなみに教会前を走る北一条通りは、
「この道は いつか来た道 あ〜あ〜そうだよ〜」と歌われているあの道である。
イヴの夜には、聖歌隊も繰り出していた。

お願いして私も連れて行ってもらえることになった。
当日の夜、しのび足で約束の時間にロビーに行ったのだが、
ひっそりとして誰もいない。
おかしいなと思って寮長先生の部屋の前まで行ったら、もう真っ暗である。
時間を聞き違えたに違いない。
みんなもう行ってしまったんだと、ガッカリした。

翌日その話をしたら、
「だってケン君来なかったじゃない。寝ていると思って行っちゃったよ」
と言うではないか。
よく話を聞くと、前日の夜に行っていたのだ。
私は二十五日の夜中にロビーで待っていたのである。
それで初めてイヴの意味を知った。
高校三年(一九七三年)のことである。

イヴの夜には、今でもしばしばニュースで北一条教会のミサの様子を目にする。
そのたびに、当時のことがよぎる。
京都智恩院の除夜の鐘が大晦日を代表するものなら、
イヴの夜は北一条教会のキャンドルライトであると思っている。

その後、私は、仏教系の大学へ進学した。しかも京都である。
 


その夜、予備校の寮の蒲団の中で、たった一人で震えていた。
前日から喉が痛み出し、とうとう発熱しだした。
ひどい悪寒で歯がカチカチと鳴っていた。
まわりの仲間は、ほとんどみんなパーティーに出かけてしまって、
残っていたのは私一人。
俺ってどうしていつもこうなんだろうと、ひどく落ち込んでいた。

電気を消して雪明りだけの暗い部屋で、気分を紛らすためにラジオをつけていた。
外は、前夜から降り続く雪で静まっている。
最悪の気分だった。
ラジオからは、いろいろなクリスマスソングが流れていた。
日付が二十五日に変わろうとするころ、どこかで聞いたことのある曲が流れ始めた。
ハッとした。瞬間、重苦しい頭骨の中に清流が入り込み、目を瞠(みひら)く思いがした。
涙が溢れていた。心に染み込む曲に感情の堰(せき)が切れたのである。
「アヴェマリア ドミヌュステイクン ヴェネディクター ツゥ イン ムリアリブス ・・・」
高校時代、週に一度、宗教の時間があった。
授業の冒頭に訳が分からず、ただ唱えていたラテン語の祈りの言葉だった。
それが曲に乗って流れてきたのである。
後でわかったのだが、グノーの「アヴェ・マリア」であった。

今となっては、忘れ得ぬクリスマスの思い出である。

クリスマスが近づくと、毎年ディケンズの『クリスマス・カロル』を読んでいた、
そんな青い時代のことである。
 
四 

「ねえ、俺、カネないんだけどさ、飲みに行かない」

イヴの夕方、カシンから電話があった。
人懐っこそうに話しかけてくるカシンの顔が浮かぶ。
「いいぜ、どこで会おうか」
二十五歳のことだった。カシンとは高校の寮からの付き合いである。
「頭痛えな、チクショウ!」が口癖だった。

時間のたつのを忘れて楽しい酒が飲める数少ない友達である。
「今日は俺のおごりだよ。カネないんだろ」
「いいよ、割り勘で、出すってば」

と言って強引に私におカネを渡す。
じゃあなと別れた後で、ちょっと待てよと思い追いかけ、
いくら持っているんだとただすと、電車賃もないのだ。
バカヤロー! どうやって帰るつもりだよ、と言っておカネを突き返す。
何やってるんだよ、とカシンの頭を小突きながら、涙ぐんでいる自分がいる。
何度かそんなことがあった。
夜通し歩いたって帰れる距離じゃないのに、そんなやつなんだよ、あいつは。

この十年ほどは、すっかり疎遠になっていた。
でも、せっせと年賀状だけは出し続けた。

去年の夏の終わり、しわがれた女性の声で電話があった。
長谷川嘉信(よしのぶ)の母ですが・・・、と言われピンとこなかった。
カシンのカカ様(カシンはそう呼んでいた)だった。
カシンの死を告げると泣き崩れてしまった。

あまりにも悲しい電話だった。年賀状を見て電話してくれたのだった。
「嘉信のことだから、年賀状なんか出していなかったんでしょうね・・・ごめんなさいね」と言いながら、また涙。
死因は大動脈瘤破裂。
あの口癖が死の予兆だったとは・・・

男の大厄の歳であった。しかも彼は、新婚。いつの間にか結婚していた。

イヴの夜、よく飲みに行ったね。最近、ちっとも連絡くれないじゃない。
別に気を遣わなくてもいいんだぜ。ところで、そっちの住み心地はどうだい。
もう、頭なんて痛くもないんだろ。
俺もさ、嫁さん調子悪いだろ、だからお前が逝っちゃってから、
まだ一度もカカ様にも会ってなくて・・・。
カカ様には高校時代、さんざん世話になったからな。
そのうちきっと行くから。
久喜だったよなお前の新居は。たまには連絡よこせよ。
でも、不意には出てくるな、寝ている枕元とか。
さすがの俺もビビッちゃうからよ。
こんどはちゃんとご馳走してやるからな、ゴメンよ。
 


〈あれから二十数年の歳月が流れた〉
「ねえねえ、明日は二十四日よ、どうするの! 何の日か知ってる?」
「今年最後の給料日の前日だろ。年末調整、ガッパリ戻って来ないかな」
冗談にしては、妙に現実味があってどこかで頷いている自分がいる。
歳月が私の心を風化させたのだろうか。
「ケーキ忘れないで買ってきてね。小さいのでいいから」
「まだ、必要? 身体に悪いよ、太るし」

子供だってもうサンタクロースのことは知っている。

現実にどっぷりと浸かり過ぎていて、心の余裕をなくしている大人が、
子供の夢までも奪い取ってはいないだろうか。

子供の頃、確かにサンタクロースは、いた。
プレゼントは、親が買ってきたものに違いない。
でも、その話しとは別に、サンタクロースはいたような気がする。
いや、いた。それが大切なことなんだ。

「ねえ、何してるの。何でまたそんだの出したりして」

結婚披露宴をちゃんとしなかったので、せめてブライダルキャンドルでもと思い、
デパートで後日買ったものだった。
以前はよく結婚記念日に灯をともしていた。
いつしか非常用のロウソクとなり、押入れの奥に何年も仕舞い込まれていた。

「この大きさじゃ、一週間も灯を付けっ放しにしたってなくならないよ。
たまには、こんなのもいいんじゃない」

照明を落としてロウソクの灯を見つめていると、
それまでの幾つかのクリスマスがよぎる。
ワイングラスを翳(かざ)して見る灯は、遠い昔の記憶を朧気(おぼろげ)に呼び覚ます。
「あの夜景、良かったよな。どこだったっけ、貿易センタービルだったかな・・・」
「・・・私は行ってません。そんなとこ。」
「あの海の見える夜景だよ、浜松町のさ・・・。エッ! アレッ、違ったっけ。間違ったかも知れない・・・」
「私は、そういうところへは一切連れて行ってもらっていません。ねえ、誰と行ったのよ」
 ピシャリと来た。
「・・・あッ! 宝くじ、ジャンボ、買ってあるよね。ああ、よかった。買わなきゃ当たらないもんな」
「ごまかさないでよ」

絶体絶命である。

「もう、いいかげんにしてくれない」
娘のひとことで落着した。
ロウソクを出したのが失敗であった。
キャンドルライトとワインの酔いに幻惑されてしまった。
ロマンチックのすぐ横に現実があった。
イヴの夜はいつも、何か特別なことが起こりそうな予感がする。
クリスマス・イヴとはそういう夜なのかも知れない。
これから先、どんなドラマが待っているだろうか。


                     平成十四年十二月  小 山 次 男