Coffee Break Essay




 
「気の遠くなる話」



 
平成二十年八月一日の日本経済新聞に、次のような記事があった。

宇宙の始まりの大爆発ビッグバンは、一三七億年前のことである。その三億年後、最初の星が誕生した。最初、暗黒物質とガスだけが存在していたが、ヘリウムと水素が徐々に集まり、星が誕生したという」

 そこまでは、とりあえずわかったとしておこう。だが、ちょっと待て。そのビッグバンの前は、いったいどうなっていた。宇宙には「果て」というものがあるのか。「果て」の先はどうなっている。そんな素朴な疑問が頭をもたげる。自分なりに考えてみるが、まったく想像が及ばない。神のみぞ知る、と言いたいところだが、神様もいなかったのか、とも思ってみた。

 実は、身近なところにも途方もない話がある。

 一九七七年九月にNASAが打ち上げた無人惑星探索機、ボイジャー一号をご存知だろうか。ボイジャー一号のミッションは、木星や土星の観測とそれに付随するリングや衛星の探索だった。その後は、太陽系の外に飛び出すことを想定し、探査機には地球からのメッセージが搭載された。ディスクのなかった当時、メッセージはレコードに記録された。

 レコードには、様々な画像、波、風、動物などの自然界の音や各国の文化、音楽、「こんにちは」といった様々な国の挨拶、アメリカ大統領や国連総長のメッセージまで収録された。そのレコードは金色の円盤で、ゴールデンレコードと呼ばれた。レコードの表面には、太陽系の惑星とともに、地球の位置も記されていた。当時、私は十七歳だった。

 その後ボイジャー一号は、木星や土星の探査を無事終えて、太陽圏外に飛び出した。やがて時間の経過とともに、人々から忘れ去られた。若い世代はもちろん知らない。打ち上げからすでに三十六年が経過している。当然のことだ。

 ボイジャー一号は、現在も、時速六一〇〇〇キロの猛スピードで地球から遠ざかっている。昨年(平成二十五年)九月の時点で、太陽からの距離は一八七・五二億キロ。探査機からの信号をキャッチするのに、十七時間二十分を要したという。

 ボイジャー一号が搭載している原子力電池は、当初の想定寿命を大幅に超えて稼動している。今後も観測装置の電源を順次切っていくことにより、二〇二五年ころまでは地球との通信が可能だという。そのとき私は、六十五歳になっている。

 ボイジャーは、それ以降も永遠に飛び続けることになる。何かにぶつかり砕け散らない限り。壮大な話だ。そのうち、どこかの星の近くを通過することになるのだろう。そんなことを考えるとワクワクする。だが、太陽系に最も近いケンタウルス座アルファ星に到達するとしても、八万年も先のことだという。八十年でも驚くところを、なんとも桁違いの八万年だと。これはもう想像の及ばない絶望的な遠さで、完全にお手上げである。

 ちなみに一光年は、光のスピードで一年間に到達する距離で、約九兆五千億キロメートルである。仮に一億光年の彼方まで行こうとすると、時速一光年というもの凄いスピードの宇宙船でも、一億年かかることになる。腐るとか乾燥してカリカリになるとかいうレベルを超え、化石になってしまう時間である。百億光年先に死んだおじいちゃんがいたとしても、もうどうにもならない。

「海は広いな、大きいな」と歌にあるように、海はとてつもなく広い。広大である。だからつい、「バカヤロー」と大声で叫びたくなる。宇宙はそれ以上だとは知っていたが、これほどまでとは……。「永遠」「無限」という言葉すら、軽すぎて陳腐に感じられる。

 死んだら星になるというが、そんなにたやすく言っちゃ、いけないことのような気がしてきた。

 もうひとつ気の遠くなる話がある。

 それは原子力発電所から出る核のゴミ、放射性廃棄物の保管場所の問題である。廃炉を含め、原発から排出される高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まっていないことから、原発は「トイレのないマンション」と揶揄(やゆ)される。世界を見回しても、放射性廃棄物の最終処分場が決まっていて廃炉作業を行っている国は、フィンランドなどごくわずかだという。

 フィンランドでは、十八億年前の安定した地層を五百メートルほどジグザグに掘ったところに巨大空間(「オンカロ」=フィンランド語で洞窟、空洞などの意)を造り、そこに放射性廃棄物を保管することにしている。その後は、トンネルを完全に封鎖し、樹木を植えて掘る前のもとの状態に戻す。建物も普通に建てられるようにする。一連の作業を終えるのは、二一〇〇年という壮大な計画だ。

 そのオンカロに保管された放射性廃棄物が、無色・無臭で無害になるまでに十万年かかる。最大の課題は、数百年後などの未来に、興味を持った人間が掘り起こさないようにするにはどうしたらいいか、という問題だという。最良策は、「忘れ去られる」ことだというのが大方の意見だ。だが、もしもの場合に備えて、「掘るな」という標識を作るべきか否かに頭を悩ませているらしい。

 十万年を過去にさかのぼると、ネアンデルタール人出現の時代になる。どんなに人知を尽くしても、「十万年後の安全」を考えることは不可能だ。せいぜい百年とか、二百年だろう。途中で設備の修復や技術革新を模索することも必要だが、やはり「オンカロ」の存在を「忘れ去る」ことが最も賢明なのではないか、という方向で話が進められている。

 火山列島の上にある日本では、穴を掘ればかなりの確度で温泉が出るだろう。安定した地層など皆無に等しい。もたもたしていたら、日本中が温泉だらけになってしまう。さて、どうしたものか……。


 追記

 とりあえずは、IAEA(国際原子力機関)が音頭を取って、南極大陸に穴を掘ってそこに保管する。だがこの南極も、仮の保管場所。最終処分場は太陽である。宇宙空間への安定した放出が可能になったとき(=絶対に落ちないロケット。または、宇宙空間までの高速エレベーターなどによる運搬が可能になったとき)に、南極から太陽に向けて放出する。そのころになると人類は、海底と地底を縦横無尽に利用するようになっており、フィンランドの「オンカロ」ですら邪魔な存在になっているはずだ。なお仮保管は、二百年を予定している。

 なんだかこう考えてみると、意外と簡単なことである。



                  平成二十六年三月 小 山 次 男