Coffee Break Essay



「結婚指輪」



「……それでは結婚の証として、指輪の交換を行います」

 牧師の声が響いて、厳粛な雰囲気がピークに達していた。緊張の極にあった私は、あろうことか牧師が差し出した指輪ケースから、自分の指輪を手にしていた。それが周囲の笑いを誘って、式場はいっぺんにリラックスした気分につつまれた。十四年前の結婚式でのエピソードである。

 先日、思いもよらぬ事件が起こった。

 「ねえ、ちょっと見て、この指……どうしよう……」といって妻が左手を差し出した。結婚指輪が薬指に食い込んで、指が紫色になっている。むくみがひどく、痛くなってきたというのだ。妻は、この二年ほどの間にふた回りも太ってしまって、先ごろとうとう私を抜いた。
 これはマズイと思い、指にたっぷりと石鹸水を塗り指輪をはずそうとしたが、びくともしない。一時間におよぶ格闘の結果、指はますます腫れ上がり、耐えがたい痛みが現れてきた。やむなく一一九番に電話し相談したら、いとも簡単に「では救急車を向かわせます」という。すっかり大ごとになってしまい、晩酌のほろ酔いも一度に吹き飛んだ。
 「本当に切ってもいいのですか」、と駆けつけた救急隊員に何度も念を押された。普通の指輪ではないので、彼らも躊躇っているのだ。いよいよ断行という直前、「じゃあ、本当に切りますよ」とまた確認された。むこうの方が怯(ひる)んでいる。
 数分後、あっけなく妻の指が開放された。時計を見ると午前零時を回っていた。「俺たち、あの夫婦に恨まれないよな」などと話し、笑っているだろう彼らを想像しながら救急車を見送った。
 いいよな、自分だけ指輪をはずして……という思いが脳裏をかすめた。私は、腕時計すら煩わしくてしていない。ましてや指輪なんぞ、と常々思っている。別に、妻を裏切るような下心がある訳ではない(少しは、ある)。ただ、束縛されるような窮屈さが嫌なのだ。
 実は、私の指輪も抜けないのである。結婚して間もなくのころ、同僚の引越しを手伝いに行って、箪笥に指を挟んでしまった。さいわいケガはなかったが、指輪が楕円形に歪んでしまい、以来、抜けないのである。妻は、不幸中の幸いと喜んだ。
 「……人生、山あり谷ありと申します」、「これからは、ふたり手に手を携えて……」とは、結婚披露宴の常套句(じょうとうく)である。だが、われわれ夫婦は、現在、山とか谷とか、そんな生易しい表現では形容しきれない厳しい現実に対峙している。
 五年前の冬、妻が唐突に精神疾患を発病した。今もうつ症状が濃厚に出ている。妻が太ったのも薬のせいであった。
 以来、家事の一切を私が行なっている。近所に頼れる身内はいなかった。怖いのは、妻の症状がひどい時に起こる自傷行動だ。二階からの飛び降り未遂、大量服薬……。これまでに何度、救急車のお世話になったことか。妻は、生きる気力をすっかり見失ってしまったのである。
 ひどい妄想に苛(さいな)まれた時期もあった。「女がいるンだろッ! 白状しろッ!」と、包丁の刃が幾度迫ってきたことか。殴る蹴るという執拗に繰り返される暴力。そのたびに、妻に非はない、病気が悪いのだ、と念仏を唱えるように自分に言い聞かせてきた。妻を苛ませた妄想の嵐は、私に胃潰瘍やギックリ腰という災禍をもたらした。
 今でも忘れない。発病のころ、
「ねえ、ママ、なんか変……本当のママじゃないみたい」
 小学二年だった娘の痛恨の一言。以来私は心に誓った。娘にだけは寂しい思いをさせまい、と。その娘も中学生になり、難しい年齢にさしかかっている。家のことで身動きが取れなくなった私は、子会社へ転籍となっていた。
 指輪の切断作業を見つめながら、私は「病める時も、健やかなる時も……」という例のフレーズを思い出していた。今は、古いカレンダーをめくるように、いとも簡単に夫婦の契りを破棄する時代である。だが、それだけは何とか避けたい。心を病んで、頼れる者のない妻を見捨てることはできない。何より娘から母親を奪うことはできなかった。
 私はこの人生を背負って生きる覚悟を決めていた。そして、そのケジメのためにも夫婦ふたりの指輪を新調しようと思っていた。その思いは、日と共に募りはじめた。そんなことを妻に話すと、新しい指輪ではなく、この切断した指輪を直したいという。
 かつて指輪を求めたその同じ店で、指輪を修復してもらった。受け取った指輪は、継ぎ目がまったくわからなかった。磨き直したことにより、新品同様にキラキラと輝いていた。
 指輪を前に、妻の心がいつになく弾んでいる。「ねえ、お願い」と甘えた声で差し出す妻の指に、私は真新しい指輪を嵌めてやった。満面に笑みを湛えていた妻の目に、みるみる大粒の涙が溢れた。
「こんな私を支えてくれて、ありがとう」
 妻は唇を震わせた。
 これからまた一緒に生きて行こうという思いが込み上げていた。

                   平成十四年十二月  小 山 次 男

 付記

 平成二十三年一月 加筆

 加筆に際し、文中に出てくる年数は、平成十四年当時のままとした。