Coffee Break Essay


この作品は、20049月発行の同人誌「随筆春秋」第22号に掲載されており、
同人会員の互選による「2004年随筆春秋年度賞」の特別賞に入賞しました。

また、日本エッセイスト・クラブ編による『2005年版ベスト・エッセイ集』(文藝春秋刊)に
選出されました(20058月刊行)。2008年文庫化(文春文庫)。      

201112月から室蘭民報紙上で3回(3日、10日、17日)に分けて転載されました。


 「警視総監賞」




 外からのただならぬ女性の悲鳴が、甘い感傷に浸(ひた)っていた私たちの気分を吹き飛ばした。

 アパートの窓を開けると、向かいのマンションのベランダに不審な男がいる。階下には、女性の声に飛び出してきた男たちがすでに何人かいた。事件だ、と直感した私は、

「あそこだ! そこにいる」

 と叫び、部屋を飛び出した。マンションの階段を駆け上がり、女性の部屋の扉を叩く。

「だいじょうぶですかッ!」

「どうしましたッ? ――開けてください」

 私と同時に駆けつけた者たちの声が入り乱れる。東京・杉並の真夜中の住宅街に、大声が響く。しばらく間があってドアが開くと、全身ズブ濡れの若い女性が、玄関に蹲(うずくま)っていた。Tシャツの裾(すそ)から覗(のぞ)くあらわな太股(ふともも)。波打つように震える女性の身体。ただならぬものを感じた。

 その場は駆けつけた別の女性に任せ、我々は犯人を捜し始めた。

 ひとりの若者が、女性の部屋とは反対側の暗がりに入って行った。その直後、

「ワァー、誰かいる!」

 若者が血相を変えて飛び出してきた。その後から、黒っぽい服装の男がヌーッと現れた。怯(ひる)む我々の前に、放心の態でフラフラッと立ち現れたその男、次の瞬間、突然、機敏な動作で逃げようと試みた。私たちは一斉に飛びかかり、男を押し倒した。

「警察呼んで! 警察!」

「ヒモ、ないですか」

「いや、ガムテープだッ!」

 暴れる男を抑えかね、マンションの扉に向かって口々に叫ぶ。各部屋の扉からは、恐る恐る顔を覗かせるいくつもの男女の顔があった。

 観念したか、おとなしくなった男をよく見ると、ひどく若い。バカなヤツだな、こいつの人生はこれからどうなる、と変な同情が頭を掠(かす)めた。

 やがて駆けつけた警察官に男を引き渡し、部屋に戻ってひと息ついていると、警察官のメガホンが轟(とどろ)いた。

「こちらはT警察署です。――第一発見者の方はおりますか」

 窓を開けると、メガホンを握る警察官と目が合った。狭い路地には、いつの間にかパトカーがひしめいている。その赤色灯のきらめきの中、大勢のヤジウマとそれを規制する警察官、私服刑事と鑑識の人たちが入り乱れ、騒然となっていた。

 事件の第一発見者となった私は、警察署へ同行することになった。

「時間はとらせません」という警官の言葉を鵜呑(うのみ)みにしたのが間違いだった。調書の作成が終わったのは、午前六時を過ぎていた。外はいつの間にか雨が降り出していた。ほのかに白む空を眺めながら、これが平成の朝か、と思った。

 犯人は、大手証券会社に勤める独身のエリート社員。イタズラ目的で女性の部屋に侵入。だが、女性の抵抗が予想外に激しく逃げ出した。そのとき、女性は入浴中であった、というのが事件の真相である。

 かくして平成元年初日、私はパトカーでの朝帰りとなった。実はこのとき、私のアパートに婚約中の妻がいた。妻を起こさぬよう静かに階段を上がり、そっと扉を開けると、蒲団の間から僅(わず)かに覗く妻の目にぶつかった。

「怖くて眠れなかったよー。おそーい」

 と、かぼそい声。妻は、あれから延々と私の帰りを待っていたのだ。今なら飛びかかってきて張り倒されるところ。当時は、甘い恋人時代であった。(あー、あの妻はどこへ行った)

 三週間後。夜遅く、例の警察署から電話がきた。明日、来るように、という。言葉は丁寧だが、そういうときに限って、何かあるもの。いったい何事だ? もしやあの犯人、自棄になって自供を翻(ひるがえ)し、オレが犯人だなどと乱心におよんだ? マサカ……

 不安な一夜を過ごし、ビクビクしながら警察署へ出頭した。入り口のカウンターにいた婦人警官に名を告げる。

「コンドーさんがいらっしゃいましたッ!」

 婦人警官が素っ頓狂な声を発した。すると、机に向かっていた十数人の警察官が、金ボタンの上着を慌しく羽織って、瞬く間に私の前に整列した。私は婦人警官に鞄とコートをひったくられ、先導されて奥へ進んだ。直立不動で敬礼する警察官たち。向かった先は署長室であった。

「これより警視総監賞の表彰式を行います」

 例の婦人警官が少し離れたところで、ニコリともせずに立っている。

 感謝状とメダルをもらった私は、ソファーに促された。こういう状況は苦手である。逃げ出したい思いの私に、

「この総監賞、平成第一号です。なにせ日付が変わったとたんの逮捕劇ですからな。イヤー、たいしたものです。ご苦労さまでした」

 と署長にいわれた。ご苦労さま、といわれても困るのである。私にすれば、他人の褌(ふんどし)で相撲をとったようなものである。しかも、犯人に同情の念さえ抱いていたのだ。こんな安易なことでいいのか、と胸が疼(うず)いた。そんな私を尻目に、署長の長話が続いた。私はただ、「ハア」とか、「エエ」を繰り返すばかり。やがて、話も終盤に差しかかったころ、私は決定的な間違いを犯してしまった。

 私の方からも何か話さねばと思い、苦し紛れに昨今の凶悪犯罪について、つい口をすべらせてしまったのだ。とたんに署長の目が輝いた。署長の話は、現代の犯罪傾向から犯罪史の変遷にまでおよぶ大演説へと発展してしまったのだ。私は、果てるともなく続くその話に、途方にくれた犬のような顔で、ただ、頷(うなず)くばかり。

 やっと話が落ち着いたところで、署長が我に返った。

「ところで、近藤さんは、普段なにかされているのですか」

 と訊いてきた。空手とか柔道のたぐいを期待しているな。何もしていない、と答えるのも芸がない。そこで、

「毎朝、会社でラジオ体操をしています」といったら、それまで微動だにせず立っていた婦人警官が、「プッ!」と吹き出した。署長は、梅干のタネを飲み込んでしまったような顔をしている。これにて私は解放され、玄関まで見送る婦人警官に最敬礼と微笑を返し、警察署を後にした。

 その後、私はこの賞によって会社からも表彰され、すっかり調子に乗った。そして、田舎の母や親類に、大いに自慢した。ところが何てバカなことをしたンだ、二度とそんな危ないことはするな、と烈火のごとく怒鳴られた。表彰されて怒られるとは前代未聞、すっかり意気消沈し、悶々(もんもん)として終わった。

 二年後。今度は、私が警察に捕まった。

 普段、車の運転などしない私が、会社の所用でやむなくハンドルを握った。目的地を目前に、信号待ちとなった。私のすぐ横に、パトカーが止まった。信号は、ひどく離れた遠い先である。私は、数メートル先を左折したいのだが、こういう場合、行ってもいいのではないか、という考えが頭を掠めた。「おい、どう思う」と、助手席の部下に尋ねた。訊いた相手が悪かった。免許をもっていなかったのだ。

「いいンじゃないスか。すぐそこだから」

 いとも簡単にいってのけた。そうだよなと自信を得た私は、ダメなら何かいってくれるだろうと、パトカーの警官の顔色を窺(うかが)いながら、恐る恐る車を出した。

 そして左折したとたん、パトカーのスピーカーが轟いた。警察官が降りてきて、

「信号、赤だったろう。信号無視じゃないか。署までついてこい」

 ひどくぶっきらぼうな口調である。そのいい方に、普段、温厚で通っている私も色めいた。(だからお前の顔を見ながら左折したのだ。どこの世界にパトカーが横にいて、信号無視するバカがいる! 警察官なら善良な市民に対し、もっと親切であるべきだろう)といいたいところをグッと飲み込んだ。

 派出所は目と鼻の先にあった。

 警察官が私の目の前に手を差し出した。何だろうとキョトンとしている私に、

「免許証!」

 と、無愛想な声でいう。見たけりゃ勝手に見るがいい。免許証入れに入ったままの免許証を無造作に渡す。(何が警視庁だ、カッコつけやがって。東京都なんだから東京都警でいいだろう)そっぽを向いて憮然(ぶぜん)としている私の横で、警察官が念入りに免許証を確認している。やがてその警官は、派出所の奥に消えた。さすがの私も、これからどうなる、と不安になった。しばらく間があって、声がした。

「エー、近藤健。平成元年一月八日、警視総監。照合願います、どうぞ!」

 アッ、と叫びそうになった。免許証入れに、表彰状の縮小コピーが入っていたのだ。賞をもらったころ、「何かと役立つ」と囁(ささや)いた上司の言葉を真に受けていた。時間が経っていたのと頭にきていたのとで、そんなことは吹き飛んでいた。しばらく間があって、「了解!」という声がした。

 打って変わって、にこやかな表情の警察官が戻ってきた。効力は絶大だった。

「近藤さんも、警察活動にご協力されているので、今回は《注意》ということで結構です」

 といって敬礼された。

(何だ、お前は! だからいったコッチャない。田舎の駐在なら、絶対そんなことはない)と思いながらも、監獄から釈放された高倉健よろしく、深々と礼をして派出所を後にした。

 派出所の前に停めていた車を見ると、助手席の同僚が口を開けて寝ていた。

 その夜。帰宅早々、勇んで妻に昼間の話をしたら、ひどく憮然としている。この賞、妻にとっては置き去りにされた思い出でしかなかったのだ。

 あれから十六年。警視総監賞は、いまだ押入れの中。冷遇されながら、ひっそりと埃(ほこり)をかぶっている。

                  平成十六年十月寒露  小 山 次 男


 付記
  平成二十年三月 『〇五年版ベスト・エッセイ集』(文春)文庫化に伴い加筆
  平成二十三年十一月 室蘭民報掲載に伴い再加筆