Coffee Break Essay

 「数え年」

 

 一月生まれの私は、新年を迎えてすぐに誕生日が来るので、ほぼ一年間を同じ年齢で過ごすことになる。だが、誕生日が十二月の妻は、新しい年を迎えた途端に、

「ああ、今年、私は四十歳になる」

 などと年がら年中嘆いている。つまり三十九歳になって二週間ほどで新年を迎える妻は、以後十一カ月半、四十歳を意識しながらその年を過ごすのだ。なんともナンセンスな話しである。だが、「今年いくつになるのか」と訊かれた場合、それはやはり「四十歳」と答えざるを得ないのだ。

 あるとき実家の母と電話で話しているとき、

「昔の人は、生まれたら一歳だもの。お腹の中に子供が入っているときから数えてたんだべさ」

 何気ない母のその言葉に、目から鱗(うろこ)が落ちた。人間の妊娠期間は四十週である。昔は十月十日といった。つまり、ほぼ一年である。昔から日本人は、子供がお腹に宿ったときから命を数えていたのである。殺伐としたニュースが飛び交う世の中で、生まれる前から命を数えるという発想が新鮮なものと映った。

 今でこそ年齢は、満年齢で数えるのが当たり前だが、私(昭和三十五年生まれ)が子供のころは、まだ〈数え年〉が幅を利かせていた。

「数え五十六だ。満でいうと五十四だな」

 という具合に併用されていた。つまり、大晦日、除夜の鐘が鳴り終わると、みんなひとつ歳をとったのである。年神様(としがみさま)からみんなが等しく一歳をもらい、「あけまして、おめでとうございます」となったのである。つまり、妻は無意識に「数え年」で年齢を数えていたのである。

 この数え年ではつい最近、大きな失敗をした。私も妻も信心深い方ではなく、今までお互い自分の厄祓いなどしたことがなかった。昨年(平成二十年)の十月にひとり娘が十九歳になった。十九歳は女の大厄である。自分たちのことはさておき、娘のこととなるとやはり気にかかる。忙しさにかまけるうちに年が明け、二月になってやっと重い腰を上げた。近所に思い当たる神社がなかったので、足を延ばして明治神宮へ娘と二人出かけた。

 受付のテーブルに記入用紙があり、娘の名前と生年月日、年齢を記入し、厄祓いの項の大厄に丸印をつけ、アルバイトのような初々しい巫女(みこ)さんに差し出した。すると、生年月日を見たその巫女さんが、

「あの……、厄はもう終わっていますが……」

 申し訳なさそうな上目遣いで私を見上げた。

「えッ? 後厄ですか?」

「……いえ、それも終わっています」

「……」

「厄年は、数え年で数えますので、お嬢さんは二十一歳ということに……」

 腑に落ちない顔をしている私に、年齢表を差し出し、

「平成元年生まれですので、やはり二十一歳で、すでに厄は終わっております」

 と「平成元年 二十一歳」と書かれたところを指差した。

 来年成人式を迎える娘が、突然、二十一歳だといわれ戸惑った。私と巫女さんやり取りを聞いていた娘は、身を乗り出して「平成元年 二十一歳」と書かれた部分を見つめている。

「普通のお祓いということでよろしいでしょうか」

 と訊かれ、やむなくそうすることにした。待合室の長椅子に座ったとたん、娘の口が開いた。

「ねえねえ、何で私が二十一歳なのよ。十月に、十九になったばかりじゃない。失礼しちゃうわね」

 数え年の説明をしたのだが、納得がいかない顔をしている。

「十二月三十一日に生まれた人は、次の日の一月一日にはもう二歳になるわけよ」

 昔の人の命の数え方の話をして、しぶしぶ娘は折れた。家に帰って妻にその話をすると、

「数えって、女の敵だわね」

 妻は今年の十二月の誕生日で四十一歳になるわけだが、〈数え〉だとすでに四十二歳となるのだ。

 実は、私も巫女さんが差し出した年齢表を眺めながら、自分の生まれ年である「昭和三十五年」欄を目で追っていた。「五十歳」とあり、愕然としていたのである。

 

                平成二十一年九月 秋分  小 山 次 男

 追記

 平成二十二年一月 加筆