Coffee Break Essay



 『書くということ』

 四十歳を機にエッセイを書き始めて八年になる。月に二本のペースを自分に課した結果、書き綴ったものが一五〇作を超えた。さすがにネタが切れた。次は何を書こうか、寝ても覚めても、ネタばかり探している。

 作文が好きだったわけではない。妻が精神疾患に陥って二年目、このままでは自分が先に参ってしまう、という危機感から文章を書き出した。高校時代から寝る前に日記をつけており、それを十五年ほど続けていた。大学入試を控えた不安、就職が近づく恐怖感、三十歳が近づくことに対する年齢的なあせり……。思えば、その時々の人生に対する不安や心の揺れを、大学ノートに書きつけていた。自分の思いを吐き出すことが、精神衛生上好ましいことを、そんな経験を通して身につけていた。

 先日、ある小さな文学賞の授賞式に参加し、文章を書くということは、己を消す作業であるといっていた年配の受賞者がいた。己を消す……いい得て妙である。

 文章を書くということは、自分が背負った業=A煩悩の吐露、排泄作業にほかならない。振り払っても振り払っても絡み付いてくる懊悩。文字にすることによりそれを吐き出す。そんな行為の結果として「作品」が残る。

 書くためには読まなければならない。時間のある限り、エッセイや小説を貪(むさぼ)るように読んでいる。遅ればせの文学青年である。そんな読書をしていると、ヤラレタ! と思う作品に出会うことがある。俺はこれを書きたかったんだ、という思いである。

 先日もそんな作品に出会った。シンガーソングライターのみなみらんぼう氏の「真っ当に生きるしあわせ」と題するエッセイである。次のような書き出しで始まる。

 映画『男はつらいよ』の第何作だか忘れたが、寅さんの妹さくらの一人息子満男が、後藤久美子扮するマドンナに振られる。大学受験にも失敗した満男は、ダブルショックで大いに落ち込む。そんな折に寅さんと江戸川縁を歩きながら、こう訊ねる。

「伯父さん。人間どうして生きなくちゃならないんだ」と。

 寅さんはいつもの明るい調子で、

「バカだなお前、大学入ろうとする人間がそんなことも分からないのか?」

 とまずくさしてから、

「今まで生きていて良かったと思ったことがあるだろう。そんなときのために生きるんだよ」

 と答える。

 僕はこの台詞にゾクッと来た。

 みなみ氏はこの後、「生きていて良かった」という言葉を、「しあわせ」に置き換えることができるといい、昔と情況が一変した現代のしあわせについて語っている。そして最後に、

「しあわせの方向が分からなくなったら寅さんに聞けばよい」

 と結んでいる。脱帽である。

 実は、この寅さんの映画を、最近、テレビで見ていた。このシーンもよく覚えている。映画を見ながら、私の触手がほんの少し動いたのだが、それだけで終わってしまった。それを文章にできなかったことが悔しいのである。力量の違い、感性の差である。

 妻がうつを発病してから十年になる。最初のころは、現実を認めたくなく、そこから逃げることばかりを考えていた。そのうち、逃げ切れないことを悟った。たとえ逃げ遂(おお)せたとしも、後悔の念を一生引きずることになる。この困難を乗り越える最良の方法は、困難に正面から向き合うしかない。妻をしっかりと背負い、娘の手を引きながら、もう一方の手にペンを握ってきた。

 自分に向き合うわずかな時間の中で、自分の中に沈殿している芥(あくた)の中から、玉を見つけ出そうと耳を澄まし、目を皿にする。だが、せっかく手にした原石を、眼識のなさから単なる石ころと判断し、無造作に捨てている。

 原石を見つけ出す力と、その原石を磨く技術を体得しようと日夜奮闘しているのだが、容易なことではない。

 先ごろ、若い女性が芥川賞をとった。さっそく文藝春秋の発売日に読んだが、何がいいのかさっぱりわからなかった。名だたる選考委員の面々が選んだ作品である。読み終えたのは、妻の病室のベッドかたわらであった。

「どうしたの……」

 私のため息が目をつぶっていた妻に聞こえたのだ。

「ん……、ちょっと挫(くじ)けているんだよ」

 というと、

「ごめんね、私がこんなんで……」

 自分へのため息と妻は思ったのだ。

「いやいや、これだよ。理解できないんだよ」

 妻の方に雑誌を向けると、

「仕方ないよ、芥川賞だもの」

 と慰められた。

              平成二十年四月 清明  小 山 次 男