Coffee Break Essay


「覚悟 ―宅建受験に向けて―」


 

 昨年(平成二十一年)の十月から宅建の勉強を始めている。宅建とは、「宅地建物取引主任者」の資格試験である。

 大雑把にいえば、不動産屋でアパートを借りるとき、その物件の契約の直前に、若いお兄さんやお姉さんから、

「少々お待ちください」

 といわれて待っていると、奥からむさくるしいオヤジや年増のオバサンが出てきて、退屈な説明を早口で行う。契約前の「重要事項説明書」の読み上げなのだが、それを行えるのが宅建の有資格者で、国家資格なのである。

 私の会社が、遊休地の売買や賃貸をすることになった。ついては、宅建の有資格者がいた方が、なにかと都合がいいということになり、その矛先が私に向いたのである。その話が持ち上がったとき、

「そんなの無理ですよ、ゼッタイ無理。私の(脳の)メモリー機能は、もう使い物にならない状態ですから」

 固くご辞退申し上げた。五十歳を目前に、今さら試験勉強などありえないと思ったのである。

 宅建が難しい試験であることは、多少なりとも理解していた。恥ずかしながら、私も若干ではあるが法律を齧(かじ)ったことがある。学生時代、法学部だった。大学入学当初、法律研究会の勧誘の謳(うた)い文句が、卒業までには宅建が取れる、というものだった。「タッケンとは何だ」、と当時は気にも留めていなかった。会社に入ってから様々な法律的な場面に出くわすことがあり、もっと法律の勉強しておけばよかった、と後悔したものである。社内では、間違っても法学部出身とはいえない、隠れ法科として身を潜めて過ごしてきた。

 試験勉強に抵抗を覚えたのには、もうひとつ大きな理由があった。四十歳を機にエッセイを書き始め、四十三歳から毎年何らかの賞をもらっている。毎晩、エッセイを書くことが、かけがえのない生活の一部になっており、その邪魔になると思ったのだ。

 加えて、三年前から所属する同人誌主催のエッセイ賞の予備選考に携わっている。毎年、七月から三カ月間、ガッチリと拘束されるのだ。音を吐きたくなるほど大変な作業なのだが、それが私自身、ものを書くうえでの大いなる糧になっている。宅建の勉強を始めるとそれができなくなる。そのことが真っ先に頭に浮かんだ。

 固辞はしたものの、宅建のことが気になって、しばしば本屋へ立ち寄っていた。

〈成年被後見人が行った法律行為は、事理を弁識する能力がある状態で行われたものであっても……〉

 ああ、やっぱりダメだ……

〈Aは、BのCに対する金銭債務を担保するため、A所有の土地に抵当権を設定し、物上保証人となり……〉

 誰が債権者で、どっちが債務者だ。何度読んでもわからない。こりゃ無理だ。分厚い問題集を眺めては大きなため息をつき、本屋を後にしていた。そんなことを幾度か繰り返していた。近くの棚に並んでいる法律関係の本を眺めながら、司法書士が天才で、司法試験が神域に思えていた。

 そんな日々を半年間近く送っていた。そのうち三カ月は、エッセイの予備選考に忙殺されていた。予備選考が一段落して、気がついたら九月。ギラギラとした暑い夏が終わっていた。四十代最後の夏だった。あと四カ月で、五十歳になる。これでいいのか、という思いが頭をよぎった。

 五十歳を超えると、良きにつけ悪きにつけ、サラリーマン社会では、うっとうしい存在になる。若いころ、五十代はとてつもない年長者であり、親の世代の人々であった。その年代に、自分が足を踏み入れる。愕然とした。今さらながら、信じ難いことであったのである。

 日本経済の危機的な不況が連日報道される中、会社もご他聞にもれず業績不振を続けている。このまま五十代を迎えては、先行きに暗雲しか見えない。しかも私の場合、十二年前に妻が精神疾患を発症し、会社の温情に甘えながら、家庭を支えるので精一杯の生活を送っている。サラリーマン社会の中で、自分自身の立ち位置が、見えていない状況にある。このままではマズイと感じた。

 私自身自宅を持っているわけでもなく、老後に備えた蓄えがあるわけでもない。頼りにしている宝くじも、当たる気配がない。十数年後には、確実に定年退職を迎える。エッセイでは生計が立たない。どうするつもりだ、という思いが現実のものとして迫ってきた。

「将来、何になるか考えてこい。十代では一日で考えられるものが、二十代では一カ月かかり、三十代では一年かかり、四十代では五年かかり、五十代では十年かかって六十代になる」

 作家藤本義の言葉が、脳裏をかすめる。やはり、やらなければならないだろうか……。将来に対する漠然とした不安と、暗澹たる気分が交差する。どうするんだ、お前は。刻々と時間だけが過ぎ、年老いて行く。エッセイなんかに現(うつつ)を抜かしている場合ではないだろう。老後をどうやって処して行くつもりだ。三年かかろうが五年になろうが、「雨だれ石を穿(うが)つ」気概で、やるしかない。

 宅建の話があってから半年、やっと私の「覚悟」が固まった。「生きる覚悟」である。宅建を取ったからといって、その後の人生が保障されるわけではない。だが、立ちはだかる大きな壁を乗り越えた向こうに、何か見えてくるものがあるかも知れない。五十代の幕開けにふさわしい挑戦だと自分を鼓舞した。だが、頭の悪い私には無謀な挑戦である。

 

 一冊五〇〇ページほどの分厚い過去問題集が三冊ある。

〈背信的行為と認めるに足りない特段の事情がないときは……〉

〈Aは、当該賃借債権について敷金が充当される限度において物上代位権を行使することはできないが……〉

〈善意有過失〉、〈表見代理〉、〈遺留分減殺請求権〉、〈同時履行の抗弁権〉……

 一冊目にとりかかって、二度、発狂しかけた。だが、何度も何度も咀嚼(そしゃく)するように問題文を読み、解説に目をとおす。問題集の二章目にとりかかりながら、一章目に立ち返る。千鳥足のように問題を行きつ戻りつしながら、教本に目をとおす。三カ月かけてやっと一冊目を終えた。この分では、過去問だけで一年を費やすことになる。人間はこれほど膨大な知識を記憶することができるのだろうか。断続的に不安が押し寄せてくる。

 試験は十月、年に一度きりである。過去問とは別に、分厚い予想問題集がさらに二冊ある。とりあえず過去問だけで、第一回目の試験に挑戦しよう。忘却のスピードを凌ぐ速度で、繰り返し同じ問題をやりこなす。これしか方法はない。

 勉強をする決断ができずにいた九月、会社の窓からいつも見ている風景に、建設中の建造物に気がついた。しばらく前から目にしていたが、高層マンションだろうと思っていた。それが東京スカイツリーであることがわかり、目を瞠(みは)った。

 少しずつ高くなって行くのが手に取るようにわかる。平成二十四年春の竣工で、最終的に六三四メートルになる。十一月に二〇〇メートルを越えた。全体の三分の一の高さである。

 天に向かって伸びて行くタワーを眺めながら、「そうだ、あれと競争しよう」という思いが浮かんだ。つまり、東京スカイツリーの完成と私の宅建合格とどっちが先か、という競争である。目標が定まった。

「Aが、Bの欺罔(ぎもう)行為によって、A所有の建物をCに売却する契約をした場合……」

「承役地についてする地役権の登記がある土地の分筆の登記を申請する場合において……」

 目の前に立ちはだかる壁の高さに愕然とする。私の決意は、大きな「覚悟」に裏づけられている。ひたすらやるしかない。五十歳の挑戦である。

 

              平成二十二年一月 大寒  小 山 次 男