Coffee Break Essay



 「書けない」


 四十歳からエッセイを書き出して、間もなく十年になる。手持ちエッセイが一八〇作を超えた。月に二作のペースで書いて来たのだが、ここに来てパッタリと書けなくなった。

 そもそもエッセイは実体験であり、ノンフィクションである。そんなにそんなに人を感動させるような劇的な話題があるわけではない。

 パソコンの真っ白な画面を眺めながら、どうにも指が動かない。目を細めて自分の中を探ってみるが、何も出てこない。思いつくのは、これまで作品にした材料ばかり。もはや限界か……

 生意気な口ぶりだが、これまでにも何度かスランプめいたものを経験している。一〇〇作を超えた当たりからそれが顕著になった。それでも何かかにか見つけて書き継いできた。会社で同僚と話をしている中で、「アッ! これだ!」と閃(ひらめ)いたり、通勤電車の中でふと思いつくこともある。

 だが今回は、もうひと月以上、なにも出てくる気配がない。書き尽くしてしまったのか……

「書くべき話題は目の前にいくらでもあるのよ。それに気づいていないだけ。これだから素人はダメなのよ」

 ある作家の言葉が脳裏を過ぎる。「書く」とは、孤独で辛い作業である。

 芥川賞が年に二回発表されるたび、必ず読むようにしている。そのたびに「なんだ、こんなのでいいなら、オレにも書ける」と思う。だが、いざ書こうとすると、金縛りにかかる。ストーリーの組み立てができないのだ。つまり想像力が欠如しているのである。

 だいたい文章を書くような人間は、例外なく小学生のころから読書にいそしんでいる。学生時代には、すでにいっぱしの文学青年、文学少女なのである。小中高生の段階で、作文が得意なのはいうまでもない。要は、十代のうちにどれほど本を読んだかが勝負なのである。そこが私に決定的に欠落している部分なのだ。

 私の読書暦は浅い。高校一年の後半に「蛍雪時代」の付録についていた伊藤左千夫の「野菊の墓」を読んだのが読書のきっかけであった。それまで、自発的に読書をした経験がなかった。夏休みの読書感想文は、いつも泣きながら書いていた。学生時代を通して、作文ほど嫌なものはなかった。

 そんな私がエッセイを書いている。これまでに何度か賞をもらってきた。『ベスト・エッセイ集』(文藝春秋)への収録は、今年で四度目である。

 私が普通のサラリーマンと違うところは、就職してこの二十六年間、純文学や大衆文学といった小説を朝夕の往復二時間の通勤電車の中で読み続けていることである。東京の猛烈なラッシュの中で、僅かな空間を見つけて読んでいる。そんな読書が、私の書く下地を作ったのではないかと思う。

 これまで文庫を中心にした読書であったが、四十九歳にして初めて「文学会」や「新潮」などといった文芸誌を読み始めている。晩生(おくて)も甚(はなは)だしい。

 かつて、とあるエッセイ賞の授賞式の後、選考委員の一人であった高名な女流作家から、

「このまま書き続けなさい。五年後には必ずや芽が出ます」

 辛辣(しんらつ)な批評をもらった後で、力強く背中を押された。来年、私は五十歳を迎え、作家にいわれた五年目になる。今のところ、小説を書く気配はまったくない。はたして私に書ける日がくるのだろうか。

 私には密かな夢がある。いつの日か小説で新人賞をとるという夢である。作家で生業を立てていこうなどといった大それたことは考えていない。ただ、私の思いが小説という形で認められたいと願っている。

 問題はその「私の思い」なのである。それが何なのかが、わからないのだ。大問題である。

 

              平成二十一年九月 白 露  小 山 次 男