Coffee Break Essay



  『受賞の弁』




 順番が刻々と近づいていた。心臓が肋骨を叩き、足が小刻みに震えている。

 なにを話したらいいだろう……話の内容を組み立てようとするが、断片的に浮かんでは消え、まとまりがつかない。握りこぶしに力が入り、手の甲が白くなっていた。

 先日、ある小さな文学賞の授賞式に出席した。私のエッセイが入賞したのである。入賞といっても、選者のお情けでもらった特別賞のようなものだった。ほかの受賞作品を読むと、どの作品もテーマが重く、ユーモア路線は私だけだった。

 授賞式はエッセイのほかに、詩と小説の部門があった。休憩を挟み、三時間である。それぞれの部門の選考委員による選評に続き、表彰状と記念品の贈呈が行われた。その後、受賞者がひとりずつ壇上に上がり、受賞の弁を述べるのである。

「思いもかけない知らせを受けました」

「いくら書いても入選しないので、これでやめようと思っていた矢先の受賞でした」

 最も多かったのは、

「思いもかけない受賞に、背中を押されました。これを励みに、頑張って書き続けたいと思います」

 常套句のオンパレードである。かつての私も、同じようなことを口にしていた。

 私は、人前で話すのが飛びきりダメである。人並み以上に硬くなるたちで、緊張のあまり前後不覚に陥り、ついには尻切れトンボで話が終わる。

 今回は、短くあっさり終ろう。採り上げてくれた選者に感謝しておしまい、これでいいと。そう決めて、私の前の人が壇上に上がるのを見送ったのはいいが、そのスピーチが延々と終わらないのだ。七十代後半の男性だった。いつ果てるともなく続いている。自作の解説からはじまり、人生訓におよんでいる。まわりを見ると、ほとんどが途方にくれた犬のような顔をしている。

 私の番が回ってきた。足の震えを悟られないよう、駆け足で壇上に上がった。ライトが思いのほか眩しい。カメラを構えた男性が、ステージの下で私を狙っている。演壇に両手を突いて、からだの揺れを悟られないようにしながら、まず、私がサラリーマンであることを話した。唇が波を打っている。目の前の聴衆の姿は、全く目に入らなかった。

「私のようなものを拾い上げていただき、心から感謝申し上げます。どう考えても場違いですよね」

 といったところで、大きな笑いが沸き起こった。本来ならここで締めくくる予定だった。笑いは予想外だった。緊張の極にあった私は、何を血迷ったか次の瞬間、別の話を始め出していた。

 笑いが巻き起こってから、その笑いが収束に向かう一瞬の間に、むかし会社の新入社員研修で挨拶した内容が、頭に飛び込んできたのだ。その話を始めていた。しまった、と思ったが後の祭りだった。

「びろうな話で申し訳ないのですが、二十数年前の話です。

 あるとき外出先で、急に腹が痛くなりまして、デパートのトイレに駆け込んだことがあります。ひとつだけ空いていたトイレに飛び込んで、ホッとして出てきたとたん、背広姿の中年男性が〈あッ、すいません〉と駆け込んできたのです。わたしはその男性に興味を抱いて、トイレの前にあった喫煙席でその男性を待つことにしたんです」

 ここまで話すと、目の前の参加者の顔が、霧が晴れ渡るように見えてきた。こいつ何を話そうとしているんだ、という顔である。よし、大丈夫だと思った。足は依然として震えていたが、唇の痙攣は治まっていた。

「実は、そのトイレに、トイレットペーパーがなかったんです。ティッシュを持っていなかった私は、考えた末、トイレットペーパーの芯を揉みほぐし、それで用を済ませておりました。今のトイレットペーパー、芯もないですよね。どうするんでしょう」

 聴衆の目が私に向いているのを感じた。

「待つこと数刻、やっとその男性が出てきました。だが、私の期待もむなしく、その男性、何事もなかったかのように悠然と私の前を歩き去って行ったのです。〈なんだよ、ポケットティッシュを持っていたのか〉とがっかりして私は立ち上がり、その男性に続き歩き出したのです。

 男性はトイレの横にあった階段を上がって行きました。その姿をやり過ごそうとしたとき、男性の足元に目が留まったんです。足を踏み出すたびに靴下が見え隠れしていたのですが、その光景に違和感を覚えたんです。……よく見るとその人、靴下、片方、はいてなかったんです」

 割れんばかりの笑い声が巻き起こり、会場が波打つように揺れた。大成功だと思った瞬間、また頭に血が上り、

「私はこういう話が好きで、ユーモア路線で頑張ります」

 といつもどおりの尻切れトンボで終わってしまった。その次に何を話していいか、考えていなかったので、再び頭に血が上ったのである。

 その後の懇親会で、選者のひとりが近づいてきて、

「あの席で、あんな話しする人、いないよ。今日、何人壇上に上がったと思う」

 と囁(ささや)いた。私はドキッとした。

「でもね、誰が何を話したか、もうなんにも覚えていないんだよ。わかるだろ。だけどね、あなたの話は覚えている。そこがあなたの真骨頂だ。頑張れ」

 また別のひとが近づいてきて、

「この同人誌は選者が固くて、ユーモア路線は難しいぞ」

 そんな囁きを耳にし、私は気分よく帰りの電車に乗り込んだ。

 ほろ酔い気分で式典の余韻を楽しんでいたのだが、ふと我に返った。上位入賞者の作品は、いずれも文学的でそのまま純文学小説になりそうなものばかりだった。面白かったと口々に褒められたのはいいが、ユーモア路線は、私ひとりだけだった。

 私の作品は、単なる余興だったのではないか、と考え込んでしまった。

                  平成十九年三月 啓蟄  小 山 次 男