Coffee Break Essay



  『女性専用車両』




 ゴールデンウィークが明けた。月曜の朝、会社へ向かう駅のホームでプラカードを持った警備員を見かけた。「最後尾」のプラカード? まさか、と思って覗き込むと「女性専用車」とあった。この日から首都圏の鉄道十社が、朝の通勤時間帯に女性専用車両を一斉に導入した。

 女性専用車両は、痴漢や盗撮から女性を護るために導入された一策。興味本位で遠巻きに眺めていると、ほどなく女性を満載した車両がホームに入って来た。背広姿がないせいか、車内がカラフルで明るい。だが見慣れぬためか、一種異様な光景に映った。まあ、最初のうちは興味本位で乗る女性も多いだろう。もし、男性専用車両が出来たら……、考えただけでゾッとする。

 そこで私の想像が逞しくなった。どう見ても痴漢や盗撮に遭いそうもない女性がそんな車両に(見栄で)乗っていたら、それも「笑い」になるな、と。また、この車両に乗る資格があるのかどうか、ホームで逡巡している女性が、

「あの……この車両に、私、乗った方がいいのでしょうか」

「そうですね……お客様でしたら、あちらの車両でも別に問題はないかと思いますが」

 駅員の会話が頭をかすめた。

 女装して女性車両に潜り込もうとするオッサン……、月曜の朝から妄想が広がる。

 学生の頃、二年上の先輩にひどく派手な女性がいた。彼女は、黒を基調とするヒラヒラした服装が好みで、一歩間違えば夜の女と見紛う妖しさだった。胸元の深く開いた服にミニスカート。とてもセクシーで魅力的な女性だったが、男子校から入学して間もない私には、近づきがたい「お姉さん」と映っていた。

 あるときその女性が、部室で同期の男の先輩と話しているところに出くわした。

「……ほんま、ひどいんやでぇ。今日は二人同時やで、後ろと前と。パンツに手ぇ入れようとするんやから。引っ掻いたったわ」

「お前なぁ、そらぁしゃーないでぇ。そんな格好やし……イラわれて楽しんでんのとちゃうか」

「アホ言わんといて」

 彼女は、毎朝大阪から京都まで通学していた。

「Aちゃん、今日はどないやった」

「なぁなぁ、聞いてぇなぁ、それがな……」

 私はその二人の会話を、ひどく興奮して拝聴していた。

 女性専用車両が出来たからといって、痴漢がなくなるわけではない。根本的な問題解決にはならないのだが、そんな理想論は言っていられない。まずは出来るところから、ということなのだろう。それほどひどいものなのか、と改めて思った。

「何だよ、てめェ! 触ったのは、この手だろ、この手ッ! しらばっくれるんじゃねェよ」

「イ、イヤ、俺じゃないって……」

 男の声は消え入りそうで、よく聞き取れない。若い女の子に二の腕をつかまれた男の姿をこれまで幾度、目にして来たか。

(おとうさん、ダメだよ。気持ちは分るが……。あんた、これからどうするの。大変だよ、会社とか家族とかいるんでしょ。どうするつもりなの)

 そんなことを考えつつ足早に改札をすり抜け、乗り継ぎ電車の次の改札に向かう。

 いうまでもなく痴漢は犯罪である。当然、現行犯逮捕されてしかるべきものだ。だが、不謹慎な話、男の側から見ると、場合によっては同情論がないわけでもない。ダメだと分っていてもつい手を出してしまう、その気持ちがわかる。それは男という「性」がなせる過ち、致し方ないと思う場合もなくはない。

 毎朝のことだが満員電車に、目が丸くなるほど短いスカートを穿いて乗ってくる女性がいる。特に、女子高生のスカートの裾は、限界までたくし上げられている。少しでも前かがみになると、パンツが丸見えなのだ。だが、彼女らにしてみれば、それは想定の内、つまり許容範囲のようだ。

 また、「見せパンツ」や「見せブラジャー」で、男の歓心を得ようとする女性(ギャル)もいる。寄せて上げられた胸の割れ目と、極端に浅い腰パンで尻の割れ目を目の前に差し出されたら、はたして何人の男が無関心を装い通せるか。男は「割れ目」に弱い。敵は男の弱点を知悉しているのだ。

 エサを目の前に「待て」を言い渡された犬が、涎をたらしながら情けない表情でじっと待っている、そんな光景を電車の中でも目にする。彼女らは、そんな男たちを横目にあざ笑っているのだ。我慢できたヤツが立派な男で、できなかったヤツが犯罪者となる。

(おいおい、見えてるよ)

(じろじろ見てんじゃねぇよ、このクソオヤジ!)

(そんな格好をしているお前が悪いんだ、バーカ)

(ドスケベ! ヘンタイ!)

 暗黙の応酬が繰り広げられる。

 近年、女性は、ますますキレイになっている。こちらが年をとったからそう見えるのかも知れない。だが、オシャレは確実に進化している。化粧品の発達もさることながら、女性の羞恥心の希薄さが、男の目を惑わせている向きもある。肌を隠す美徳ではなく、積極的に見せようとするオシャレの横行だ。

 男女七歳にして席を同じうせずというが、満員電車に男女の「性」が混在していることが、罪作りなのだ。

 女性専用車両の登場は、男の壁に囲まれて小さくなっていたか弱い女性の救済となった。また、いやらしい男の視線を避けるため、女性車両の人気が増す可能性もある。必然的に一般車両が男性車両と化して行く。

 今、サラリーマンの自殺が社会問題となっている。鬼門は月曜の朝だ。もし男ばっかりで電車に乗るようなことになったら、自殺率増大に拍車をかける事態ともなりかねない。

 ゴールデンウィーク明け、様々な妄想にとり憑かれ、ひどく疲れて会社へ向かった。


                平成十七年六月 夏至  小 山 次 男