Coffee Break Essay


この作品は、20099月発行の同人誌「随筆春秋」第32号に掲載されております。

  『母の上京』 

 さくらの季節が過ぎるころ、毎年転勤の挨拶状が舞い込んでくる。その中には「東京に転勤になりました」というものがある。だが、住所をよく見ると横浜や川崎、浦安などであり、東京だったためしがない。

 家賃の兼ね合いや居住環境からすると、至極当然のことなのだが、地方の人にとっては、不可解なことと映る。北海道の実家にいたころ、よくこんな会話を耳にした。

「うちの息子、札幌から東京に転勤になったんだげど……家は千葉県なんだわ」

「……」

 説明する方もされる方も、理解できず、

「さすがー、東京だぁ」であらかた片がつく。

 東京の地図を広げると、皇居を中心に幾重にもカラフルな線が入り乱れ、現代アートの様相を呈している。高速道路の下に一般道があり、または、川が流れている。さらにその下を地下鉄が走っている。

 東京に住んで二十六年、その間にも線は数を増やしながら結合し続け、遠方へと伸びている。そのカラフルな線をたどって、毎日三百万とも四百万ともいわれる人々が、都心に向かって流れ込んでくる。年々増え続ける利用客をさばくのに、駅はどんどん増殖し、際限なく巨大化している。

 東京で生活する身にとっては、利便性の恩恵に与るわけだが、たまに東京を訪れる人には難解極まりない。とりわけ、年寄りには酷なものとなる。

 私が川崎から練馬の社宅に越して間もないころ、母が北海道から訪ねて来たことがあった。羽田まで出迎えに行って、到着ロビーで待っていると不安そうな顔で母が現れた。重そうな鞄を肩に食い込ませ、両手にも荷物をぶら下げている。

「……また、そんなに持って来たのかよ」

 久しぶりに会った母へ、ぶっきらぼうな言葉が口をつく。そんなことをいうつもりはなかったのに……苦い思いが込み上げてくる。

「――ついでだからさ、送るより早いと思って」

 母の満面の笑みに、内心ほっとする。人口六千にも満たぬ町を出てから、すでに八時間。これからさらにモノレールと二本の電車が待っている。

 

 山手線で池袋へ向かう途中、母が東京駅で私の袖を引っ張った。

「ほら、東京だっていってるよ。降りなくていいのかい」

 怪訝そうに私を見上げる。母は「トーキョー、トーキョー……」というホームのアナウンスを耳にしたのだ。

「池袋までだから……まだしばらくは降りないよ」

 変なことをいうなと思っていると、

「ほーんと東京って不思議なとこだわ。東京に住んでるのに東京で降りないんだもの」

 ポツリと母がつぶやいた。

 札幌に住んでいるひとは札幌駅で降りるし、苫小牧に遊びに行けば苫小牧の駅で電車を降りる。東京にいるのだから、東京駅で降りないのは変だ、というわけだ。

 乗換駅の池袋では、ホームにいた電車にすんでのところで乗れなかった。急げば間に合ったのだが、母がいた手前無理をしなかった。

「ああー、行ったー。やー、今度の汽車、何時だべ」

「汽車っていうな!」

 大きな声でいう母に、思わず声を上げ、周囲を見回す。次の汽車まで一時間とか二時間待ちの生活の中から抜け出してきたのだから、仕方がない。

 母ひとりでは、羽田から練馬の自宅まではたどり着けない。だが、念のため道順や電車の乗り継ぎを教える。

「いいか、これは西武池袋線。今、乗ってきたのは山手線だ」

 神妙な顔で母は頷く。

「池袋からとにかく各駅停車に乗る」

「カクエキ? カクエキ……」

「鈍行だ。ただ、豊島園行はダメだ。練馬駅から分かれて豊島園に行っちゃうから。もし間違って乗ったら練馬で乗り換える。練馬駅には有楽町線も乗り入れてるから、それに乗ってもいい。とにかく進行方向の電車に乗れば、次の次だから」

「だって、あんた練馬でしょ……」

「だから同じ練馬でもたくさん駅があるんだよ。いいか、池袋から電車に乗るときには、くれぐれも急行や快速や準急には乗ったらダメだよ。各駅停車だけ。そうじゃないと富士見台には止まらないから……」

 区間準急は止まるのだが、といおうとしてやめた。

「……だって急行とか、値段、高いんでしょ」

「みーんな、おんなじッ!」

「……」

 説明するのも大変だが、聞いている方はもっと難儀なことだろう。

(だから迎えに来たんだよ)という思いを呑み込んで、途中で説明をやめる。二人の間にむなしい空気が流れてゆく。

 東京が悪いのか、母がダメなのか、こんなところで暮らす自分がいけないのか……。ひと回り小さくなった母の背か目をそらし、こっそり涙を拭う。

 

                    平成十三年十月  小 山 次 男

 

 付記

 平成十八年七月『東京―駅』を改題し、加筆。平成二十一年八月再加筆。