Coffee Break Essay




 「順応」



 北海道で暮らし始め、生活スタイルが大きく変わった。

 札幌では例年十月下旬に初雪を見、降雪は翌年の四月上旬まで続く。東京の感覚では、半年以上を「冬」として過ごすことになる。

 街ゆく人を見ながら、こんなに肌寒いのに、もうTシャツかよ、という思いを毎年抱く。低温生活に慣れてしまうと、「暑い」という感覚がこれほどまでに違ってくるものなのかと、改めて思う。もっとも私がいい歳であるのと、無類の寒がりということもある。そんな私は北海道で生まれ、十九歳まで北海道にいた。その後、京都、東京と渡り歩くうちに、すっかり寒冷地への適応をなくしてしまったのだ。

 昨年の夏、八月十五日になって慌てて半袖のワイシャツを引っ張り出した。今、半袖を着ておかなければ、機を逸すると思ったのだ。二週間ほど半袖で過ごしたのだが、朝夕の肌寒さに耐えきれず、あえなく長袖に戻した。

 大雑把な言い方をすると、北海道の夏は、八月一日から旧盆までである。とりわけ、太平洋岸に面した地域では、まさにその二週間が勝負なのだ。この期間に天候不順が続くと、「今年は、夏がなかった」ということになる。その落胆たるや、見ていられないほど気の毒なものである。

 先日、ベビーカーを押して信号待ちをする若い夫婦の会話が耳に入った。七月中旬のことである。

「今ってさ、春? いや、初夏?…… 夏って八月からなの?」

 旦那の方がたたみかけるように奥さんに問いかけている。夜だったこともあって、二人とも薄手のウィンドブレーカーを着ていた。

「……八月からよ」

 と言いながら、奥さんも歯切れが悪い。数日前まで三十度に達する日があったが、この日は十五度しかなかった。おそらくこの四月に転勤で札幌にやってきたのだろう。奥さんは北海道の人のようだが、何年かぶりの生活の再開に戸惑いがあるようだ。半年後のこの旦那の顔が見てみたい。冬の洗礼を経て、どんな感想をもらすだろうか。

 もうひとつの大きな生活の変化が、通勤である。

 私は二十八年間東京で生活をしていたのだが、練馬にいたときも杉並でも、一時間ほどの通勤時間だった。独身のころは川崎市の溝の口から一時間二十分の通勤である。

 むかしは、東京の地下鉄にクーラーが入っていなかった。地下には熱を逃がす場がないから、地下鉄にはクーラーがつけられない、と聞いていた。その真意は定かではないが、納得していた。

 クーラーのない地下鉄は、蒸し風呂どころの騒ぎではなかった。しかも、クールビズという考え方もない時代である。誰もがネクタイを締めて通勤していた。さすがに上着は、会社のロッカーに置きっぱなしだったが、ノータイで出勤して、会社でネクタイを締める人はいなかった。それは私の会社だけではなく、ほとんどの人が蒸し風呂の中でしっかりとネクタイを締めていた。サラリーマンとはそういうものなのだと思い、仕方なく自分もそれに倣っていたのだが、苦行以外のなにものでもなかった。

 全身が汗でずぶ濡れになる。その状況の車内で、おしくらまんじゅうが始まるのだ。電車の窓はすべて開けられ、地下鉄ゆえに車内には轟音(ごうおん)が響きわたっていた。頭上で扇風機が回っていたが、熱風が来るだけで何の役にも立たなかった。かろうじて、酸欠防止の役目を果たしていた。太ったオッサンの湿った腹に押されるあの気色の悪さは、考えただけでゾッとする。若い女の子はかわいそうだった。年とったオバサンはかわいそうではないのかと言われれば、そういうことではない。気分が悪くなってしゃがみ込む女性を毎日のように目にした。会社に着くともうヘトヘトで、しばらくは放心状態で過ごしていた。

 そんな中でも読書をしていた。単行本は大きくてムリなので、もっぱら文庫を携帯していた。往復二時間、二十八年間の読書の積み重ねが、今の私の骨格を作った。

 満員電車の中で、ほんのわずかの隙間を確保し、いろんな場所を旅した。胸の躍る恋もしたし、絶望の淵に投げ出されたような失恋も経験した。あるときは快楽の波に翻弄され、また、塗炭の苦しみを味わい、そして無二の親友を得た。何があっても本だけは離さなかった。通勤電車の苦痛を楽しみの場に変えていた。

 北海道に来て、その通勤時間を失った。室蘭での二年間も、札幌に来てからも、いずれも七分ほどの通勤時間である。前者は徒歩で、後者は車である。家に早く着いた分だけでも、自宅で本を読めばいいではないかと思うだろう。だが、それができない。不思議なものだ。

 本が読めないということは、決定的な打撃になる。私は四十歳からエッセイを書き始めている。毎日のようにパソコンに向かう。ものを書くためには読まなければ、脳ミソの中の空洞がまるで膨らまないのだ。読むのと書くのは密接に連携しており、読書はエネルギーの補給源であり、それが欠乏すると、たちまち書けなくなる。

 なんとか読書をしようとするのだが、かつての読書量の十分の一も確保できていない。むかしは一気に読めた本が、読みだすと眠くなり、長時間読めないのだ。加齢によるものか、気力の萎(な)えは、否めない。

 まだまだ、書き続けていたい。書かねばならぬことがある。読まなければと焦るのだが、思いは空回りするばかりである。

 北海道で寒冷地生活を再開して四年半が過ぎた。いまだこの生活に順応していない自分にもどかしさを感じている。

               平成二十七年八月  小 山 次 男