Coffee Break Essay


この作品は、20163月発行の同人誌「随筆春秋」第45号に掲載されております。


 『自由研究の成果』


 小学生のころ、夏休みの自由研究といえば、昆虫採集が定番だった。北海道の田舎は、昆虫の宝庫である。私の虫かごは、東京の通勤電車並みに、いつも昆虫でごった返していた。「お前は佃煮屋でも開く気か」と母が呆れた。

 採ってきた昆虫を細工した大きな箱にピンで刺し、名前をつける。これで自由研究はでき上がりだ。その気になれば一日で終わった。

 学年が上がるに従い、チョウだけを集めたり、バッタ類だけの標本を作ったりと、ひとひねり加えるようになった。そのうち昆虫だけでは物足りなくなってきた。みんなをアッといわせるようなものはないかと考えた。

 そんなある日の夕方、窓の外をぼんやり眺めていると、軒下で何匹ものクモがせっせと巣作りをしている。私はクモが苦手だった。特に気持ち悪いのがオニグモである。ブドウのような大きな尻を持ち、足の長さまで入れると五、六センチになる。全身にこげ茶色の毛が生えており、こんなものが背中に入ったら……と考えただけでゾッとする。

 ところが、そのオニグモの巣作りを眺めながら、この不気味な連中の標本を作ったら凄いことになるぞ、と思ったのである。

 チョウやトンボをたくさんつかまえておいて、それをオニグモの巣に引っかける。すると軒の陰に隠れていたヤツがスーッと出てくる。とりわけ大きいのを選りすぐり、二十匹ほどを集めた。クモたちが瓶の中でうごめく姿は、地獄絵だ。そのオニグモを瓶に入れたまま水攻めにした。

 問題は、その後だった。標本の作製過程を母や妹に見つかったら一巻の終わりだ。そんな気持ちの悪いことはやめろと、大騒ぎになる。作業は、山に造った秘密基地で行った。

 標本作りを始めようとして問題に気がついた。溺死させたクモを乾かして、そのままピンで留めたら、すぐに腐ってしまうに違いない、そう思ったのだ。そこでやむなく、一匹一匹胴体と尻を切り離し、ピンセットで大きな尻から腸を抜いた。空になった尻に綿を詰めて形を整える。最後に胴体と尻を接着剤で接合した。

 この身の毛もよだつ作業は、サングラスをかけて行った。父のサングラスを密かに持ち出したのだ。それでも気色の悪さに、髪の毛が逆立ち、全身に鳥肌が立った。

 とりわけ大きな箱が必要になり、父の背広が入っていた箱を拝借した。箱の底にクモの巣の絵を描き、そこに二十匹のオニグモを点在させた。かくして壮観な作品が出来上がった。

 夏休み明け、五年生の私は力作のボストンバックを提げ、誇らしげに学校へ向かった。背広の箱なので、側面上部に取っ手がついていて、バッグを提げているような気分だった。

 始業式が終わって、いよいよ自由研究の発表である。担任は、若い女の先生だった。実は私、その先生に幼い恋心を抱いていた。当時先生は、内向的でなかなか打ち解けない私に、少なからず気を配ってくれていた。都会から来た美人先生だった。

「では、自由研究の発表をしてもらいまーす」

 飴玉をなめているような優しい声が教室に響いた。ひとりずつ前に出ての発表である。

 日本各地の特産物を調べてきた者、海草の標本、植物の観察や昆虫の生態を発表した者、いつもながらのありふれた内容である。

 いよいよ私の番が回ってきた。当時の私は、人前で話すのがとりわけ苦手だった。

「ボクは……クモの発表をします」

 とか何とかいったように思う。先生は、コチコチの私をリラックスさせようと思ったのだろう。それまで教壇の端に置いた椅子に座って発表を聞いていたのだが、

「えっ、クモ? どんなお話かな」

 といいながら私の横にピタリと寄り添い、肩にそっと手を置いた。カーッと頭が熱くなり、目の前が真っ白になった。

 天気や気温の観測をやっていた生徒が何人かいたため、先生はクモを「雲」と勘違いしたようである。

「ケン君はクモの発表でーす。あれ? ずいぶん大きな箱だね。ちょっと先生、先に見ちゃおぅかなーっと」

 といい、勝手に箱の蓋を開き、覗いてしまったのだ。そのとたん、聞いたこともないような叫び声を上げ、先生はその場にうずくまった。両手で顔を覆い震えている。騒ぎを聞きつけた隣のクラスの男の先生が、血相を変えて飛び込んできた。みんなをアッといわせるはずが、先生を泣かせてしまった。

 気を取り直した先生は、

「ゴメンね。先生、ビックリしちゃったの。凄いわね、よくやったね」

 声を震わせながら抱きしめてくれた。ビックリしたのはこちらの方である。先生の胸の柔らかさの中で窒息するかと思ったのだ。おかげで、簡単な説明で、発表を終えることができた。

 後日、オニグモの標本は、校長先生からも特別に褒められた。クラスの研究発表は、しばらく教室の後に飾られるのだが、私の標本だけは理科室に運ばれた。女の子への配慮があったようだ。

 この一件以来、先生はますます私に優しくなった。今度は、あの巨大なスズメガに挑戦しようか、という思いが一瞬頭をよぎった。だが、これ以上先生を困らせるのはやめようと思った。

 ところが翌年の春、先生は学校を辞めた。あのとき、血相を変えて飛び込んできた隣の担任と結婚したのだ。あのオニグモの一件を境に、二人の先生は親密を深めたようなのだ。休みの日、二人が海岸を歩く姿を見た、という噂が小さな街に流れた。

 先生がクラスで結婚の発表をしたとき、周りの仲間は、ヒューヒューと口笛を鳴らしたり、机を叩いて喜んだ。だが私は、何とも複雑な気持ちだった。

 私の自由研究は、思わぬ形で成果を発揮したのだった。

 
               平成十八年八月立秋  小 山 次 男

 付記

 平成十八年十二月 加筆 平成二十七年十二月 再加筆 平成二十八年一月    再々加筆