Coffee Break Essay



 
 地震、そして停電― 北海道胆振東部地震 ―


 (三)

 スマホが使用不能になってすぐに、NTTが公衆電話を無料開放した。公衆電話が唯一の通信手段となった。幸いにも自宅近くに公衆電話があったのだが、電話を待つ長い列ができていた。昭和の光景を彷彿(ほうふつ)とさせた。

 私の車は、ガソリンを満タンに給油したばかりだった。スマホの充電は車から行うことができた。情報は車のテレビから入手できた。だが、四六時中車の中にいるわけにもいかなかった。

 私の場合、自宅も会社も停電にはなったが、断水は免れていた。母やエミのマンションも水道が使えたのが幸いだった。だが、携帯電話が使えないのは、決定的な痛手だった。

 私との連絡が不通になったため、その日の夜、心配したエミが私の様子を見に来た。彼女は、ラジオ付懐中電灯とLEDのロウソクを持ってきた。コンビニやスーパーの棚という棚がガランとしてもぬけの殻となっていたので、大いに助かった。

 エミは、信号機のない七キロの夜道を車で来たのだ。街中が灯りを失って、懐中電灯がなければ外出できないほどの漆黒の闇に包まれていた。帰りに、エミを駐車場まで送っていく途中で見上げた空に、満天の星が瞬いていた。それは幼いころふるさと様似(さまに)でよく目にしていた夜空と同じものだった。天の川が天球を横断する、まさに満天の星月夜(ほしづくよ)であった。街の灯が消えると、宇宙が出現する。宇宙は遠い存在ではなく、見上げたすぐ頭上にあることを垣間見させてくれた。

 会社は二日間、まったく機能を停止した。必要な社員だけを出社させ、あとは自宅待機とした。出社していた社員も、日没とともに自宅に帰った。

 二日目の夜、私は満を持して母と妹のいるマンションへと向かった。マンションは街中にあり、私のところからは十キロほどの距離である。札幌は北の果ての地方都市とはいえ、名古屋に次ぐ一九六万人の人口を擁している。中心部は整然とした碁盤の目になっているので、それだけ交差点がある。警察官のいる交差点は、ほんのごく一部だ。信号のない交差点は譲り合いながら走る。まったく自発的に譲り合うのだが、誰かが交通整理でもしているかのように、何台おきかに車が停止し、また動き出す、そんな動作が繰り返されていた。その光景に少なからぬ感動を覚えた。日本人でよかったと思った。左右をよく見て慎重に運転していく。気の抜けない運転に、ハンドルを握る手が汗で滑った。

 コンビニやスーパー、ホームセンター、家電量販店からは、もののみごとに商品が消えた。食料品などはきれいさっぱり一切なく、乾電池やロウソク、ラジオなどの防災用品も跡形もない。無機質な棚だけがズラリと並ぶ光景は、不気味だった。群集心理とは恐ろしいもので、すべてを食い尽くすイナゴの大群である。必要のないものまで買い尽くす、そんな勢いを感じた。

 多くの家庭は、水道とプロパンガスが使えたので、冷蔵庫に入っているものを片っ端から調理したはずである。私も食材をダメにしないよう、大量の野菜炒めを作った。

 スーパーの出口で立ち話をする六十代くらいの男性の姿があった。

「うちはさ、十五、六年前にオール電化にしたもんだから。最初はよかったのさ。それで、あの震災(東日本大震災)だもの、電気代も高くなったべさ。そしてこの停電だ……。まったくアウトだぁー」

「うちは、プロパン(ガス)だからいんだけどさ。女房がカカア殿下だべさ。どっちがいいもんだかね」

 そんなのどかな掛け合いに心が和んだ。オール電化のほうがカカア殿下でなくてよかったなと思った。停電が解消されたのは、それから間もなくのことであった。

 電気が通ると、何事もなかったように、すべてが動き出した。だが、お店の棚に以前のように商品が並んだのは、それから一週間ほど後のことであった。

 近年の地震では、平成二十八年(二〇一六)四月に起こった熊本地震が、大きなインパクトとして記憶に残っている。その後、鳥取県中部や大阪府北部など、震度六弱以上の地震が今回を含めて、七回も発生している。半年に一度のペースだ。日本がいかに地震大国であるかがわかる。

 今後、巨大地震が懸念されているのが、釧路・根室沖の千島海溝を震源とする北海道東部地震である。津波による甚大な被害が予想されている。だが、最も憂慮すべき地震は、静岡から九州沖合にかけての南海トラフ地震だろう。

 これから三十年以内にマグニチュード八〜九クラスの地震が発生する確率は、七〇〜八〇パーセントだという。しかも、過去の実績から、東海、東南海、南海と三連動型地震につながる可能性があるというのだ。「今後三十年以内に」というフレーズは、三十年以上前から言われていないだろうか。

 もし、この地震が現実のものとなったら、その被害は計り知れないものとなる。北海道は遠く離れているから大丈夫、という単純な問題ではない。多くのお友達が亡くなり、会社も本社機能を失い、存続ができないだろう。まさに国難であり、国家存亡の危機が出来(しゅったい)する。

 今のところ政府も「正しく恐れよ」としか言いようがないのである。いよいよ次なのか、という恐怖心が沸々と沸き起こってくる。だが、日本各地では、原発の再稼動がソロリソロリと始まっている。加えて被災予定地では、国家プロジェクトであるオリンピックや万博までもが予定されている。それどころではないように思うのだが。心配のし過ぎだろうか。(了)

                   平成三十一年三月  小 山 次 男