Coffee Break Essay
私の身の回りには、覚えきれないほどのパスワードとIDが溢れ返っている。むかしは、銀行のキャッシュカードの暗証番号くらいのものだった。それがファームバンキング(ネットでの銀行決済)を利用すると、IDとパスワード、第二暗証番号まで求められる。とにかくネットがらみが圧倒的に多い。 誰かに贈り物をする場合、目的の店をネットで検索する。例えば、東京・新橋の新正堂の「切腹最中」など、必要なものを注文し、その場で代金の決済も行ってしまう。こんな便利なものはない。 相手には、かくかくしかじかのものを送らせていただきましたと、メールをする。送信ボタンを押して、完了だ。「字が汚くてもいい、手書きの手紙を出しなさい」という声に、「とかく世の中は忙しい」という言葉が覆いかぶさってくる。ネットという便利なツールに甘んじさせてもらっている。その際にお店ごとに自分のIDとパスワードが必要になる。古本もネットで求める場合が多い。そんなのを合わせていくと、結構な数になる。 仕事上で使用しているID、パスワードは優に二十を超える。覚えられるわけがない。とりわけ銀行系のものは、三ヵ月に一度の割合で変更を求められる。煩わしいことこのうえない。何度か間違うと、画面がロックされ、銀行のカスタマー何とかセンターへ電話し、解除してもらわなければならない。それだけ世の中には悪いヤツがいるということだが、その煩わしさを嘆こうものなら、「セキュリティー」という強固な壁が即座に立ちふさがる。黙り込むしかないのだ。 また、私の財布の中は、ポイントカードだらけだ。肝心のお金よりも、カードの厚みで財布がパンパンに膨らんでいる。最近は、診察券も増えてきた。 スーパーやコンビニやドラックストア―などのレジに並ぶと、毎回、 「○○カードはお持ちですか」 と訊かれる。あったら出してるよ、と思いながら、ないと答えると、間髪入れずに、 「無料ですぐにできますが……」 「結構です」 丁寧に断る。この遣り取りが煩わしい。(いつもオレは持っていないと言っているだろう。顔、覚えろよ! オレは、すでにお前の名前も憶えているんだぞ、名札見て)とは、気が小さくて言えない。第一、そんなこと言っちゃかわいそうだろう。敵は、マニュアル通りにやっているだけなんだから。結局、根負けして、最低限のポイントカードは持っている。 私は金持ちではない。ヨレヨレの安サラリーマンだ。ポイントばかりが溜まり、貯金はさっぱり溜まらないタイプの男である。ポイントだって、期限が来ると消滅していくのだろう。それを有効に使う? そんな面倒くさいことに、かかわりたくはないのだ。 (オレは、こう見えても日本男児の端くれだ。そんな細かいことはヤラン! と戦前並のオヤジが頭をもたげる) とにかく、一枚のカードで何でもかんでも全部できるようにして欲しい。パスモもスイカもキタカ(北海道版スイカ)も全部一緒、たった一枚のカードで。何なら私の薄くなった頭を、バーコード代わりすることだって厭(いと)わない。通過するだけで、ピッと鳴ってポイントが溜まったり、そのポイントが料金と相殺されたり。そういう仕組みを作って欲しい。簡単にできるだろう、その程度のことは。 (お客様、大変失礼ですが、お客様のバーコード、エラー表示が出ておりまして……判読不能と……。原因は、お客様のツムジが、見当たらなくなっているためです。台風の目が、すでに温帯低気圧に変わっているようです。あい、スイマセン) (ちょっと待て。こめかみに残っているやつを引っ張るから) 誰が想像したか。各自が電話を持って歩く時代を。テレカって何ですか、ポケベルって? の時代である。「電子メール」、「e-メール」は「メール」であり、「携帯電話」は「ケータイ」でいいのだ。(税務署よ、「電磁的記録」などという表現は、いい加減に止めよ!) 携帯電話は、すでにパソコン機能が主流となっている。だから圧倒的に「スマホ」であり「ケータイ」という言葉も、間もなく消えていくだろう。やがて「スマホ」から強烈な電磁波が飛び出して、護身装置の機能も付加されるだろう。血圧から血糖値まで何でも測れるようになるはずだ。ウエアラブル、つまりパソコンを身に着ける時代に。そんなメガネをかけたら、相手の身長、体重はもちろん、何から何までお見通し、という時代が来る。 私は極度の機械音痴である。携帯のメールすら、おぼつかない。東日本大震災のとき、私は転勤で北海道にいた。妻とは別れて独り身だ。東京に残してきた娘の安否確認の必要に迫られた。そこで、会社の女の子にお願いし、メールを打ってもらった。それから少しずつ、メールを打つようになった。だがいまだに、もらったメールへの返信しかできない。 先日、さる女性からメールアドレスを教えてもらった。だが、そのアドレスの登録の仕方が分からない。どう頑張ってもできないのだ。結局、その女性にお願いし、私宛にメールをもらった。しかも携帯にではなく、パソコンへ。その方が打ちやすいのだ。 そもそも携帯にはまったく興味がない。そんなものをいじくり回す時間があたら、本を読む時間に当てたい方なのだ。私は、携帯電話をトランシーバー程度にしか考えていない。 (えッ、トランシーバーって? 辞書で調べろ!) 娘が中学生のころ、娘のかよう塾から携帯にメールでアンケートが来た。そのころは、返信もできなかったので、無視を決め込んだ。数日後、返信を促すメールが再び来たが、答えようがない。知らんぷりをした。そしたら、電話が来て、どうしてアンケートに答えてくれないのか、と。電話口の若い女性にメールが打てないというと、 「えッ!……」 と言ったきり言葉に詰まっている。想定外だったようだ。 (どうだ、マイッタか。誰もがメールを使えると思ったら大間違いだ!) こうして人は、ジジイの道を歩んでいくのだろう。 現在、私は五十四歳だが、もしかして「若年性ジジイ」なのかも知れない。 え? もうレッキとしたジジイだって。失礼しました。
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