Coffee Break Essay

この作品は、同人誌「随筆春秋」第30号(2008年9月発行)に掲載されております。




 『従兄』



「今日の泊まりで一名なんですが、空いていないでしょうか……」

「申し訳ございません。あいにく満室でございます」

 丁寧な口調でピシャリときた。間髪入れぬ即答に、問答無用という強い姿勢を感じた。

 もう何年も前のこと。出張で東京に来ていた社員の宿泊予約の電話である。女子社員が宿の手配をうっかり忘れ、予約がとれず四苦八苦していた。見かねて助け舟を出したのだ。会社からさほど離れていないビジネスホテルで、従兄がフロント係りをやっていた。

 早々に電話を切ろうとする相手に、

「あの、○○さんは、今日いらっしゃいますか」

 従兄の名前を告げると、電話口の男が怪訝そうな口調で、どちら様でしょうかという。私の名前をいうと、

「なーんだ、オレだよ、オレ。バカヤロー、最初から名前をいえよ」

 快活な従兄の声が返ってきた。数年ぶりの電話だったことと、よそ行きの口調だったので、全く分らなかった。

「部屋ならいくらでもあるよ。ケチなこといわないで三室くらい取っておこうか」

 という。

 受話器を握りながら横にいる女子社員にOKサインを出すと、あまりにもあっけない幕切れに、安堵と拍子抜けが入り混じった顔が返ってきた。

 休日明けの夕方、しかも当日泊まりの宿泊予約はなかなか難しい。ホテル側も特別な顧客に備え、満室とはいいながら常に数室は確保していのだという。以前、従兄から聞いていた話である。

 二十数名いる従兄弟のなかで、彼は群を抜いてユニークな存在だった。まず、高校受験でつまずく。大学受験では三浪。せっかく入った大学も留年を重ね、六年目で中退。両親も匙を投げた。私より四つ年上なのだが、大学の受験期を札幌で共に過ごした仲である。

 あるとき浪人中の彼のアパートへ遊びに行くと、分厚い大学ノートを持ってきて、誇らしげに私の前に差し出した。表紙には『日本史完璧ノート』とある。三年かけて完成させたという。こまかい字でびっしりと書き込みがあり、なるほど緻密だ。よくもまあここまでやったな、(バカじゃないか)と感心する代物だった。

 従兄に感化された訳ではないが、私も似通ったノートの作成を始め、気がついたら予備校の門を潜っていた。東京の大学に通い始めた彼にその話をすると、それでいいんだとひどく褒められた。

 東京に就職した私が、大学を中退して程ない彼のアパートを訪ねたことがある。三十歳までにアルバイトを三十種やった後、小説を書き出すという。彼はいつも将来に大きな夢を抱いていた。周りからは困ったものだという溜め息が漏れていたが、そんな雑音を意に介する風もなく、我が道を歩んでいた。フリーターの先駆けである。彼は通常の社会の枠に収まりきれない人間だった。

 ホテル勤めもアルバイトの一環であったのだが、いつしか正社員となり、知らぬ間に結婚もしていた。オレも落ち着いちゃったよ、と照れ笑いを見せたのが最後の会話だった。

 しばらく経って彼に連絡をとろうとしたときには、すでにそのホテルも辞めており、どこに住んでいるのかもわからなくなっていた。歳月と、お互いの生活が、二人の間に距離を作っていた。会えば会ったで、その距離はまたたくまに埋まることを知っていたから、さほど気にも留めていなかった。

 そうしたある日、郷里から彼の訃報がもたらされた。喉頭癌だった――。

 十年ぶりでの再会となった彼は、すでに棺桶の中にいた。

 夫を亡くした三十七歳の妻と、父親を失った九歳と七歳の子供たち。息子に先立たれた七十五歳の父親と弟を見送る兄……それぞれの思いが幾重にも重なり、彼の周りを囲んでいた。

「弟の人生は、あまりにも短かったが、ある意味では骨太の人生だったと思う――」

 母が四十一歳でガンに倒れ、今度は四十五歳の弟を送らねばならぬ兄の言葉だ。涙を堪えながら挨拶に立った兄の声が、いつまでも耳に残った。

 棺桶の蓋を閉める直前、気丈な父親が息子の額に手を置いた。父親にとってそれは何十年ぶりかの行為だったに違いない。その手がひどく皺深かった。妻は、両手で顔を覆ったまま、肩を大きく震わせていた。

 いよいよ最後というとき、九歳の兄に促された七歳の女の子の小さな手がスーッと伸びた。棺の中に横たわる父の胸元へ、白い封筒が置かれた。

 封筒には、鉛筆書きで「パパへ」とあった。そのあまりにも拙い文字を目にした瞬間、それまで堪えていた私の感情が堰を切った。

 女の子は、父親の葬儀で思いがけず同じ年の従姉妹に会えたのが嬉しく、無邪気に走り回っていた。父親の死を悼む思いより、仲良しに会えた喜びの方が勝っていた。父親の死をきちんと認識できない、その幼さが胸に迫った。

 もうこのひと時をおいて生涯父親の姿を目にできないのだよ、という大人たちの思いが、彼女を不自然に神妙にさせていた。

 荼毘を待つ間、梅雨明け間近の空を眺めながら、あの宿泊予約の電話がふと浮かんだ。父親に瓜二つの女の子に、いつかこの話をしてあげなければならない、と漠然と考えていた。

                    平成十三年八月  小 山 次 男

 付記

 平成十八年十一月 加筆