Coffee Break Essay
この作品は、アポイ岳ファンクラブ会報「アポイマイマイ」57(2009年7月発行)に掲載されております
『石になりたい』 小学校の帰り道、よく石蹴りをした。 東京に暮らして二十三年、会社からの帰り道には、もう石ころがない。この歳になっても、そのことをもの足りなく感じる。 昭和四十年代、私の育った北海道の田舎では、国道すらまだ十分に舗装されていなかった。当然、学校までの道は砂利道である。 そんな道をとぼとぼ歩きながら、何気なく目についた石ころを蹴飛ばす。数メートル先にころがった石をまた蹴る。二、三回目には、道端の草むらに見失ってしまう。だが、まれについてくる石がある。その石に特別な愛着を感じ、思わずポケットに入れていた。机の抽斗には、そんな石がごろごろしていた。 「どうするの、石ころばっかり集めて」 母がよく嘆いていた。 砂利道には、タイヤで磨耗され、艶やかな濃緑色や群青色の石が頭を出している。そんな石も掘り起こしては持ち帰った。だが、圧倒的に多かったのは、河原の石である。 河原には、緑、茶、橙、白と色とりどりの石がある。小石が清流の底で陽光を浴び、生き生きと輝いていた。 だが、それらの石を持ち帰ると、途端に色褪せてしまう。表面が乾いて白っぽくなるのだ。水をかければまた生気を取り戻すが、河原で見ていたのとはどこかが違う。石が本来の場所から持ち去られたので、精気を失ったのだ。 引き出しの石を取り出しては、撫でたり、重量感を確かめたりして楽しんでいた。この石は、どうやってできたのか、宿題の合間によくそんなことを考えた。握り締めていた石が次第に温まってくる。石のぬくもりが好きだった。 岩石は、そのなりたちにより、火成岩、堆積岩、変成岩に大別される。中学の理科で教わった。石の誕生は、二億年から一億三千万年以上前である。たとえば石灰岩は珊瑚の死骸であり、河原でよく見るチョコレート色の石はチャートと呼ばれ、放散虫(プランクトン)などの死骸である。いずれも赤道付近の海底堆積物で、海洋プレートに乗り、何千万年という時間を旅し、海溝から数千メートルの地底に沈み、高圧下で岩石となった。それが地殻変動で再び隆起し、秩父などのとんでもない山奥の河原に、散らばっている。 千年前、一万年前といわれると、まだ何とかなる。だが、一億年となると想像がおよばない。人間の尺度では、無限≠ナある。その辺に無造作に転がっている石ころが、永遠に近い歳月を経ていると考えるだけで、ワクワクしていた。 私の本棚には、いくつもの石が並んでいる。いまだに拾う癖が抜けない。 「そんな石ころ、どうするの」 と妻が嘆く。 先日、久しぶりに家族三人で休日の銀座を歩いた。そのとき、人造石ではなく、本物の花崗岩を使っている建物が目に留まった。外壁を撫でながら、つい花崗岩の説明に熱が入った。見ると、妻と娘はショーウィンドウの宝石に目を奪われている。二人には、ティファニーのダイヤモンドの方に関心があったようだ。 花崗岩は、マグマが地下でゆっくりと冷えて固まった深成岩である。大陸地殻の大部分をなし、日本列島の基盤を形成する岩石である。 田舎に帰るといつも父の墓参りをする。墓石に代表される御影石も、花崗岩である。父の墓石を感慨深げに撫でながら、それは父への懐旧の思いではなく、地球創造のころに思いを巡らせている自分に、ハッとする。 死んだら星になりたいならまだしも、石ころになりたい、という私に妻曰く、 「あなたの頭は、もう石よ」と。 そういわれると頭のてっぺんが薄くなり、タイヤに磨かれた石の頭に近づきつつある。 もちろん妻は、柔軟性のことを言いたかったのだが。
平成十八年二月 雨水 小 山 次 男 |