Coffee Break Essay


 『田舎者』




 小学校低学年のころ、登別温泉へ家族旅行をした。昭和四十年代の前半のことである。母は宿の部屋に入るやいなや、トイレに向かった。かなり前から我慢していたのだ。

「やー、ちょっと、まいったよ。パンツのゴム、切れたんだわ」

 といいながら出てきた。宿のトイレが洋式の水洗トイレだった。水洗トイレなど使ったこともなければ、見たこともない。しかも洋式だった。

 トイレに入ったものの母はどうしていいかわからず、とりあえずまたがった。たまらずゴムが切れた。昔のパンツは男も女も丸ゴムが入っていた。やむなく便座に乗ったという。つまり、「洋」に対し強引に「和」で臨んだわけである。便座の上で蹲踞(そんきょ)の姿勢をとる母を想像し、私と妹は転げ回った。そのとき父が、

「この、田舎者!」

 といった。父は出張先の札幌で、洋式トイレを何度か経験していた。私にとって初めて聞いた「田舎者!」という言葉だった。

 母のことはいえない。トイレでは私も大失敗をした。

 妊娠している妻に付き添って産婦人科へ行った。小便を済ませてふと見ると、あの水の出るウォシュレットがあった。初めて見る実物に好奇心がくすぐられた。便器の袖にいくつかのボタンがある。そのボタンの中のひとつに、ビデとあった。ビデとは何だ、ビデとは。そうか、あそこをビデというのか、といたく感心した。こういう単語に限って一度で覚えてしまう。

 どういう具合に水が出るのだろうと、誰もいないのをいいことに、恐る恐るボタンを押してみた。ノズルがスーッと出てきた。さあ始まるぞと思ったとたん、目の前が真っ暗になった。温水が顔面を直撃したのだ。私は便器を覗き込んでいたのである。予想もしない事態に慌てふためいた。片手で水を防ぎながらボタンをデタラメに押すうち、やっと水が止まった。トイレのまわりが、ひどい水浸しになった。「清掃用具」と書いてある扉を開けるとモップがあり、ほっとした。

 すました顔でトイレを出たのだが、服もズボンもズブ濡れだった。妻にひどく叱られた。

 最後に妻が、

「ほーんと、田舎者なんだから」

 といった。妻は横浜育ちである。

 フルコースの中華料理など、なかなか食べる機会がない。せいぜい結婚披露宴の宴席でお目にかかるのが関の山である。料理の内容によっては、水が入った小さなボールが出てくる。指先を洗うためのもので、フィンガーボールという。

 従兄の結婚式でのこと。ボーイが無言で置いていったその容器に、私のテーブルは静まり返った。誰も何もいわない。知ったかぶりをせず堂々とやれば可笑しくないのだ、という長年の経験から、まず私が口をつけた。「よく分からない」という言葉を合図に全員が動いた。レモンの味がするだの、甘い味だの意見はまちまちだった。首をかしげながら二度、三度飲んでほとんど飲み干したころ、次の料理が運ばれてきた。

 ボーイの鼻がピクピクし出したと思ったら、

「お、客様……」

 といったきり引き付けを起こしたように笑いを堪えている。大爆笑が巻き起こった。

 レストランでステーキを注文する際に焼き方を訊かれる。たいがいの人はミデアムという。中には、ウェルダン、ミデアム・レアなどという人もいるが、どうも気取っているようで好きになれない。たかだかファミレスの千円前後のステーキで、ウェルダンもないだろう。高級レストランなどでも、自然体なのが見た目に清々しい。

 同僚のMは、自然体を通り越した純朴な男だった。悪くいえばバカ丸出しである。そういう彼の朴訥さが誰からも愛されるゆえんで、会社の独身寮の人気者だった。

 給料日直後の休日に、彼を含めた三人がファミリーレストランに勇んで出かけた。豪勢にステーキを食べようという魂胆である。十五年ほど前のことで、ファミレスがまだ珍しい時代だった。Mは岩手、あとの二人は青森の出身で、三人とも東京に来て日が浅かった。

 若いウエイトレスにオーダーをしたのはよかった。

「焼き方はどうなさいますか」

 と訊かれ、三人とも緊張した。どう頼んでいいかわからなくて緊張したのではない。女子大生のような女の子が、明るい笑顔で訊いて来たので緊張したのだ。三人とも訛りがひどかった。青森のひとりが勇気を出して「ミデアム」といおうとしたとき、Mが勢いよく立ち上がって、

「テッパンで焼いで下さい」

 といってしまった。上官に詰問された軍人のように、いきなり立って叫ぶような大声だった。最初は何のことかわからなかったウエイトレスが、意味を理解したとたん、横を向いて咳き込みだした。若い女の子は、吹き出すのをごまかしたのだ。

 Mにしてみれば、鉄板の上でジュージュー音を立てて出てくる厚いステーキが食べたかったのだ。気持ちはよく伝わる。

 そんなMが転勤で釜石に帰ってしまうと、寮生活が寒々として張り合いがなくなってしまった。

 東京生活が長くなった私も、滅多なことでは失敗しなくなった。四、五年も前のことだろうか、八百屋に並んでいたアボガドを見て、

「おい、このクロワッサン、どうやって食うんだ」

 と妻に訊いて、それまでずっとクロワッサンだと思って疑わなかった果物の本当の名前を知った。驚いた妻が、その足で私をパン屋に連れて行き、

「これがクロワッサンよ。おいしいのよ」

 とわざわざ買って帰って食べさせられたが、なんだかパサパサ、ポロポロのパンだなという印象しかなかった。後で、ひどく胸焼けがした。

 色形からしてあの果物は、やはりアボガドよりもクロワッサンという名にふさわしいのではないか、と密かに思っている。ではクロワッサンの方は、と訊かれると困るのだが、ポロポロねじりパンでいいと思う。

 都会生活は大変だ。

                   平成十三年十二月  小 山 次 男

 追記

 平成十九年五月 加筆