Coffee Break Essay
『今だから言えること』 むかし会社の独身寮の仲間と四、五人で江ノ島に泳ぎに行った。昭和の話である。北海道の片田舎出身の私にとって、江ノ島は驚きの海だった。海にも都会と田舎があることを初めて知った。 湘南は、石原慎太郎・裕次郎の海であり、加山雄三の海である。かつて森田健作が出ていた青春ドラマ『俺は男だ!』の舞台であり、何よりサザンオールスターズの海である。ワクワクして眠れるだろうかと心配していたら、もう少ししたら出かけるぞ、と先輩に声をかけられ、仰天した。 海に行くのに夜中の十二時半過ぎに川崎の寮を出た。外はひどい雷雨だった。バケツをひっくり返したような雨は、ほどなく上がったのだが、海が近づくに連れて道路が渋滞しだした。運転していた者がハンドルをたたきながら、出遅れた! と悔しがっている。夜中の二時である。結局、三時過ぎにたどり着いたのだが、途中で目にした茅ヶ崎のマクドナルドには、すでに大勢の若者の姿があった。疲れ果てて車の中で仮眠をとった。海に行くのがこれほどの重労働とは思ってもみなかった。 夜明けとともに一斉に砂浜に繰り出した。漁師顔負けである。 そこそこに泳ぐと、みな砂浜に寝転びはじめた。その光景を見て合点がいった。テレビの海水浴場の映像で、砂浜に累々と寝転んでいる若者の姿がある。それは、日焼けするために寝ているのではなく、疲れ切って横になっていたのだ。結局、日焼けして、海に行って来た、となるわけだ。 不思議なことに江ノ島の海は、潮の香りがしなかった。生臭いような浴槽の臭いだった。午前十時ごろになると、浜辺は、足の踏み場もないほどのひとである。海から上がっても、自分達の荷物を置いた場所を見失う。これだけの人間が海に入れば、海も風呂の香りになるのだ。 浜辺には、海の家なるものがズラリと軒を並べている。そこにはトイレもあるのだが、みんながみんなそこで用を足しているとは思えない。現に、そのとき一緒に行った仲間は、半日も海にいて、ジュースを飲んだりアイスを食べたりしたのに、誰一人としてトイレに行かなかった。海が臭くなるわけである。 そんな私に、災難が降りかかった。海の家で食べたカキ氷がいけなかった。波打ち際で遊んでいたら、急に腹痛に襲われたのだ。冷えたのである。さすがに大便だけはトイレの方がいいだろうと考えたが、間に合いそうもない。トイレの前に、長蛇の列があったのだ。やむなく仲間から離れひとり沖に出た。まわりにひとがいないことを確認し、やってしまった。 初めてである、水中でやらかしたのは。気持ちのいいものではない。やったらすぐにその場を離れなければならなかった。次々に浮かんでくるのだ。しかもまとわりついて来る。だが、波がザブンと来ると、攪拌(かくはん)されて一気になくなってしまう。その先では知り合ったばかりのような男女の若者グループが、キャッキャ騒ぎながらひと夏の想い出を楽しんでいた。 立ったままやったのは、後にも先にもあの時が初めてである。不愉快なものだった。慎太郎や桑田圭祐の海を汚(けが)してしまったことに、後味の悪いものを覚えた。間に合わなかったのだから許してもらいたい。 昼を少し回って、さあ帰るぞ! との号令で、早々に退散した。機を逃すと渋滞にハマルという。帰りは、みなグッタリ疲れていたが、渋滞もなく帰り着くことができた。 こんな海水浴は二度とゴメンだと思った。以来、江ノ島の海には入っていない。 昭和の頃には話せなかったことである。 平成十四年八月 小 山 次 男 追記 平成十九年六月 加筆 |