Coffee Break Essay



『行き暮れて』



 私たちは、しばしば結婚できた愛を成功のように思い、できなかった愛を失敗であるかのように考えてしまう。はたしてそうだろうか。

 一年ほど前(昭和五十九年)、私はひとり京都を旅した。底冷えのする京の街を歩いてみたかった。何か新しいきっかけがつかめるのではないか、という小さな期待があった。嵐山の渡月橋から、化野(あだしの)念仏寺に至る、ひっそりと寂れた風情を感じてみたかった。

 寺々は冬こそ厳しく、美しい。広い境内を歩いていると、足の先からじんじんと冷たさが染み込んでくる。身体の中に一本の芯が入ってくるような清々しさが好きだ。

 天竜寺から野々宮神社を抜けて二尊院に至る道は、鬱蒼とした竹林である。夏には、小倉山から降りてくる風が竹林を抜けて涼風となる。一年を通してこのあたりは、多くの観光客で賑わう。しかし、この時期、訪れる人はほとんどいない。嵯峨野本来の姿に還るわずかな期間である。

 竹林を抜けると、立ち枯れの柿の木に囲まれた小さな庵がある。俳人向井去来の落柿舎(らくししゃ)である。去来に似つかわしい小さな墓が、柿の老木の下にひっそりと建っていた。

  落葉に埋もれんかな去来塚

 凛とした静けさがあたりを包んでいた。

 いつの間にか私は、常寂光寺の仁王門の前に立っていた。苔むした長い石段が門の奥に続いている。小倉山の中腹に本堂があり、いくつかの堂が斜面に沿って点在している。東山の清水寺から眺める京の街は、人々の動きが伝わってくるような現実の光景に映るが、ここからの眺めは、見る者を厭世的な気分に駆り立てる。

 私は石段に腰を下ろして、めまぐるしく過ぎて行った時を視ていた。時間が過ぎて行くのは憐れである。静寂な寒気が辺りを包んでいる。とうとう来てしまったな、という思いがあった。真っ白い山茶花が、石段の上で咲いていた。数日咲いてから声もなく散って行く。いや味のない花である。

 四年前、私はここで一人の女性と出逢った。彼女は高校生で、私の郷里の北海道から修学旅行で京都に来ていた。親類の女の子の道案内を頼まれ、そのとき一緒に来た人である。

 当時私は、大学の二回生だった。聖護院にある旅館に彼女等を迎えに行き、一日、京都の街を見物した。その折に、この寺を訪れたのである。

 その日は、一日中歩き通しだったので、この寺の境内で長い時間佇んでいた。人里離れたこの寺は、修学旅行生が立ち寄るようなところではなかった。色づき始めた楓が景色を飾っていた。

「……疲れたかい」

 私ははじめて彼女に声をかけた。半日一緒にいて、一度も会話らしいものをしていなかった。意識の中でそうさせるものがあった。私は一日中、彼女をどこかで見ていた。

「はい、少しだけ……」

 顔を赤く染めて、彼女は俯(うつむ)いた。そのとき、私は彼女の中にはっきりと自分を視ていた。私たちの間には、あまりにも隔たりがあり過ぎる。視てはいけないものを視てしまった思いがあった。

 半年ほどして、私たちは再び北海道で出逢った。私の中で燻(くすぶ)っていたものがそうさせた。二三度逢っているうちに、私たちの間にやさしい感情が流れはじめていた。それから四年間、私たちは一緒に歩いてきた。私が夏、冬に帰省するときはもちろん、札幌、東京、京都と、二人に都合のよい場所で逢っていた。私は大学を卒業し、京都から東京の会社に就職していた。

 私たちは、二日間の逢瀬のために三カ月を待たねばならなかった。その間、彼女と交わした手紙は、夥(おびただ)しい数に達していた。私たちは、何とかして二人の間に存在する距離を狭めようと努力していた。常にお互いを励ましあってきた。

 もう、あにたに逢うことができません、といわれたのは、三週間ほど前であった。あまりにも唐突な話に、私は茫然とし、自失した。「美しい思い出を……」という言葉を手紙の中に見出して、二人の間に存在していた距離の深さに、改めて愕然とした。彼女との間に「思い出」という言葉を考えていなかった。

 何とかしなくては、という思いが、数日後、再び私を北海道へ向かわせた。北海道を発ってから、まだ十日あまりしか経っていなかった。

 札幌の街は深い雪に埋もれていた。寒さが身に染みた。寒いのは私の心であった。だがやはり、どうすることもできなかった。遠距離恋愛の寂しさに耐えられず、彼女の心の隙間を慰藉してくれる人の存在が、いつの間にか確かなものとなってしまったのだ。

 帰りの飛行機の中で、京都へ行ってみようという思いが、浮かんでいた。そんな時間の流れを、私は今、この寺で見つめていた。

 数日前に比べて、時間が正確に移ろって行くのがわかった。やがて、私の中にある彼女も埋もれて行くのだろうか。苔むした庭の一面に、色を失った楓が散っていた。

 私は、仁王門をくぐってから、彼女と一緒に歩いている自分を感じていた。初めて彼女と歩いたころに思いをめぐらせていた。

「疲れたかい」

 再び彼女にそう問うてみた。侘助が一輪、やさしく微笑んでいた。

 忘れられぬ思いならば、しいて忘れようとしなくてもいいだろう。だが、思い出だけは、この寺に置いて行こう。彼女から送り返されてきた指輪を、名も知らぬ尼の墓へ託し、私は寺を後にした。
 
  行き行きて嵯峨野の冬は暮れにけり
 
 遠くに街の灯が小さく揺れていた。
 

                  昭和六十年十二月



 追記

 社内報「きたにほん」(一九八六年新春号)掲載。平成二十二年八月加筆。落柿舎の去来塚は、当時の場所から移転し、すっかり様変わりした風情になってしまったが、文中の表現は当時のままとした。

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