Coffee Break Essay
正直に話そう。このところ、寂しくて仕方がなかった。 なにがどう寂しいかと言われても、うまく説明できない。心の深い部分が空疎なのだ。パンツを穿かずに直接ズボンを穿いてしまったような、なんだかスカスカして落ち着かない、そんな気分といったらいいだろうか。 私は平成二十二年四月に妻と離婚している。妻が精神疾患を発症し十二年半の間、ともに闘い、最後には妻が家を出た。妻の妄想から長期間にわたりひどい暴力を受けた時期があった。肉体的な暴力と言葉による暴力だった。 妻は十二回の入退院を繰り返し、七回の自殺未遂を行った。その大半が、処方されている向精神薬や睡眠導入剤の過量服薬だった。そんな妻が、同じように入退院を繰り返す病気仲間の男性のもとに走った。ずいぶんと時間をかけて説得したが、徒労に終わった。二十二年の結婚生活の半分以上が病気との闘いだった。それは同時に、絶望との闘いでもあった。 離婚してその病気から解放された。いきなり現れた自由に戸惑い、面食らった。会社帰りに本屋に立ち寄ることができる。買い物をしたレシートと財布の残金を照合しなくていい。週末に一週間分の夕飯の食材をまとめ買いしていたが、それも不要になった。 私は様々な縛りから解き放たれ、自由を手にした。一人娘は大学生だったので、すでに手がかからなかった。ただ、自由を手にしたといっても、その後二年間、会社からの要請で宅建(宅地建物取引士)の受験勉強に明け暮れた。五十歳からの挑戦であった。その勉強が終わった直後から一年半ほど、自著の出版に翻弄された。母方の家系調査の成果を本にした。休日のほとんどの時間を図書館で過ごした。やがて本が完成し、それらの煩雑さからも解き放たれた。だが、やることがなくなったわけでもなく、その後も何かと忙しい日々を送っていた。 離婚した直後は、もう二度と結婚などするまいと思っていた。そしてすぐに、前述した忙しさの大波に飲まれたのだ。寂しいと思う暇もなく、また、別れた妻のことを案ずる時間も持たずに過ごした。その間、東京から北海道に転居し、さらに北海道内を室蘭から札幌へと異動し、仕事環境もガラリと変わった。 一人になって四年目くらいからだろうか、ふと寂しさを思う時間が出てきた。一人がたまらなく自由でよかったのに、寂しいと感じ始めたのだ。「幸福というものは、一緒に喜んでくれる者がいて初めて光り輝くものだ」と何かの本に書いてあった。誰の言葉かは忘れたが、深く胸に沁(し)みた。 詩人西條八十(やそ)の墓には、 「われらふたり、たのしくここに眠る、離ればなれに生まれ、めぐりあい、みじかき時を愛に生きしふたり、悲しく別れたれど、また、ここに、こころとなりて、とこしえに寄り添い眠る」 と刻まれているという。こういう夫婦は珍しいだろう。だが、羨(うらや)ましいと思った。 男と女の人生には、様々なことが巻き起こる。ぶつかり合いながら、それをひとつひとつ乗り越えていく。お互いに、妥協の中で諦めていくといういい方にも、どこかでこっそりと頷いている自分がいる。波打ち際を歩いていて、振り返ると足跡がはるか遠くから続いており、もうこんなに歩いたのかと驚かされることがある。夫婦の歩みとはそんな光景に似ている。 私にはもう、そんな経験は味わえない。それが残念でならない。万が一、いい人が現れたとしても、これから築き上げていく時間はそれほど長くはない。新たな自分なりの幸せの形を探すしかない。決して他人を羨まない、そう自分に言い聞かせながら日々を過ごしてきた。 だが一方で、自然な感情の流れとして、伴侶が欲しいという思いが芽生え始めていた。寄り添える人が欲しい、一緒に歩いてくれる人が欲しい、と。だが、以前の結婚生活のこともあり、もう二度とあんな生活は繰り返したくはない。野生動物のような警戒心が常に私の中に張り巡らされていた。 そんなある日、札幌にいるさとみから電話があった。さとみは、気心の知れた幼稚園からの幼なじみである。 「けんちゃん、いい人いるんだけど、会ってみる気ない?」 一人の女性を紹介された。それは突然舞い降りてきた話だった。昨年(平成二十八年)の秋のことであり、妻と別れてから六年が過ぎていた。彼女も四年前に連れ添いを亡くし、お互いの子供たちもすでに独立していた。その時、私が五十六歳で、彼女は五十四歳だった。 それから私たちは、積極的に二人の時間を作るようになった。二人で食事をし、二人で映画を観にいった。腕を組んで街を歩き、寒いねと言ってラーメン屋の暖簾をくぐる。彼女は一貫して塩ラーメンで、私は味噌や醤油などその日の気分で食べ分けた。往復七時間も八時間もかけて、お互いのふるさとを訪ねたこともあった。彼女は日本海、私は太平洋の小さな漁村に生まれている。二人の共通点は同時代の田舎者というその一点だけだ。あとは全てが違っていた。私はそれでいいと思った。彼女もまた、そう考えていた。同世代の田舎者ゆえに共有し得る安心感があり、心地よさがあった。 二人で時間を共有するようになって三ヵ月ほどが過ぎたころ、 「私はね、けんちゃんと会ってから変わったの。いつも楽しいし、気持ちがほんわかしている。一生懸命生きているのは変わらないけど、大変だけど、辛くないの」 私も同じ感覚を抱いていた。私たちが出会ったのは秋で、冬に向かう季節の中にいた。だが、そのはるか先に、光の春があることを確信していた。 彼女と出会ってから一年が過ぎた。ケンカになるようなことは一度もなかった。これからも仲良く穏やかに歩んでいきたいと思っている。 平成二十九年十月 小 山 次 男 |