Coffee Break Essay




 ほんのりと寂しくて、そして出会い


 正直に話そう。このところ、寂しくて仕方がなかった

 なにがどう寂しいかと言われても、うまく説明できない。心の深い部分が空疎なのだ。パンツを穿かずに直接ズボンを穿いてしまったような、なんだかスカスカして落ち着かない、そんな気分といったらいいだろうか。

 私は平成二十二月に妻と離婚している。妻が精神疾患を発症し十二半の間、ともに闘い、最後には妻が家を出た。妻の妄想から長期間にわたりひどい暴力を受けた時期があった。肉体的な暴力と言葉による暴力だった

 妻は十二回の入退院を繰り返し、回の自殺未遂を行った。その大半が、処方されている向精神薬や睡眠導入剤の過量服薬だった。そんな妻が、同じように入退院を繰り返す病気仲間の男性のもとに走った。ずいぶんと時間をかけて説得したが、徒労に終わった。二十二年の結婚生活の半分以上が病気との闘いだったそれは同時に、絶望との闘いでもあった。

 離婚してその病気から解放された。いきなり現れた自由に戸惑い、面食らった会社帰りに本屋に立ち寄ることができる。買い物をしたレシートと財布の残金を照合しなくていい。週末に一週間分の夕飯の食材をまとめ買いしていたが、それも不要になった。

 私は様々な縛りから解き放たれ、自由を手にした一人娘は大学生だったので、すでに手がかからなかった。ただ、自由を手にしたといっても、その後年間、会社からの要請で宅建(宅地建物取引)の受験勉強に明け暮れた。五十歳からの挑戦であった。その勉強が終わった直後から年半ほど、自著の出版に翻弄された。母方の家系調査の成果を本にした。休日のほとんどの時間を図書館で過ごした。やがて本が完成し、それらの煩雑さから解き放たれた。だが、やることがなくなったわけでもなく、その後も何かと忙しい日々を送ってい

 離婚した直後は、もう二度と結婚などするまいと思っていた。そしてすぐに、前述した忙しさの大波に飲まれたのだ。寂しいと思う暇もなく、また、別れた妻のことを案ずる時間も持たずに過ごした。その間、東京から北海道に転居し、さらに北海道内を室蘭から札幌へと異動し、仕事環境もガラリと変わった。

 一人になって四年目くらいからだろうか、ふと寂しさを思う時間が出てきた。一人がたまらなく自由でよかったのに、寂しいと感じ始めたのだ。「幸福というものは、一緒に喜んでくれる者がいて初めて光り輝くものだ」と何かの本に書いてあった。誰の言葉かは忘れたが、深く胸に沁()みた

 詩人西條八十(やそ)の墓には、

「われらふたり、たのしくここに眠る、離ればなれに生まれ、めぐりあい、みじかき時を愛に生きしふたり、悲しく別れたれど、また、ここに、こころとなりて、とこしえに寄り添い眠る」

 と刻まれているという。こういう夫婦は珍しいだろう。だが、(うらや)ましいと思った

 男と女の人生には、様々なことが巻き起こる。ぶつかり合いながらそれをひとつひとつ乗り越えてく。お互いに、妥協の中で諦めていくといういい方、どこかでこっそりと頷いている自分がいる。波打ち際を歩いていて、振り返ると足跡がはるか遠くから続いており、もうこんなに歩いたのかと驚かされることがある夫婦の歩みとはそんな光景に似ている。

 にはもう、そんな経験は味わえない。それが残念でならな。万が一、いい人が現れたとしても、これから築き上げていく時間はそれほど長くはない。新たな自分なりの幸せの形を探すしかない。決して他人を羨まない、そう自分に言い聞かせながら日々を過ごしてきた。

 だが一方で、自然な感情の流れとして、伴侶が欲しいという思いが芽生え始めていた。寄り添える人が欲しい、一緒に歩いてくれる人が欲しい、と。だが、以前の結婚生活のこともあり、もう二度とあんな生活は繰り返したくはない。野生動物のような警戒心が常に私の中に張り巡らされていた。

 そんなある日、札幌にいるさとみから電話があった。さとみは、気心の知れた幼稚園からの幼なじみである。

「けんちゃん、いい人いるんだけど、会ってみる気ない?」

 一人の女性を紹介された。それは突然舞い降りてきた話だった。昨年(平成二十八年)の秋のことであり、妻と別れてから六年が過ぎていた。彼女も四年前に連れ添いを亡くし、お互いの子供たちもすでに独立していた。その時、私が五十六歳で、彼女は五十四歳だった。

 それから私たちは、積極的に二人の時間を作るようになった。二人で食事をし、二人で映画を観にいった。腕を組んで街を歩き、寒いねと言ってラーメン屋の暖簾をくぐる。彼女は一貫して塩ラーメンで、私は味噌や醤油などその日の気分で食べ分けた。往復七時間も八時間もかけて、お互いのふるさとを訪ねたこともあった。彼女は日本海、私は太平洋の小さな漁村に生まれている。二人の共通点は同時代の田舎者というその一点だけだ。あとは全てが違っていた。私はそれでいいと思った。彼女もまた、そう考えていた。同世代の田舎者ゆえに共有し得る安心感があり、心地よさがあった。

 二人で時間を共有するようになって三ヵ月ほどが過ぎたころ、

「私はね、けんちゃんと会ってから変わったの。いつも楽しいし、気持ちがほんわかしている。一生懸命生きているのは変わらないけど、大変だけど、辛くないの」

 私も同じ感覚を抱いていた。私たちが出会ったのは秋で、冬に向かう季節の中にいた。だが、そのはるか先に、光の春があることを確信していた。

 彼女と出会ってから一年が過ぎた。ケンカになるようなことは一度もなかった。これからも仲良く穏やかに歩んでいきたいと思っている。


                  平成二十九年十月  小 山 次 男