Coffee Break Essay
昨年、ひとつ通して読んでみようと思い立ち、九七年度版から年代を下るように読み始めた。一冊に六十編前後のエッセイが収められているのだが、毎年、千編近い作品の中から選び抜かれたものだけあって、どの作品もある種の輝きを秘めている。というのは真っ赤なウソで、どこがいいのかさっぱりわからない作品が多い。どうして自分にはその良さがわからないのだろうと、情けなくなり余計むきになって読むことになってしまった。 最初は順調に読み進んでいたのだが、年代が古くなるに従い、なかなか手入できなくなった。最後まで手に入らなかったのが八五年版『人の匂ひ』である。本屋が目に入ると必ず立ち寄り、チェックしているのだがいまだに見つからない。 実は、この『人の匂ひ』、単行本で一度読んでいるのである。が、文庫で通し読みを決めた手前、意地でも文庫本を手に入れたいのである。 私にはそういう潔癖なところがある。文庫で読み始めたものは文庫で、単行本は、単行本で読まなければ気が済まないのだ。第一、書棚への収まりが悪い。 この癖は、出久根達郎氏(平成四年直木賞)のときも、遺憾なく発揮された。中公文庫、文春文庫と読みすすんだが、講談社文庫で一番最初に出版された『無明の蝶』が最後まで手に入らなかった。八重洲ブックセンターから始め、神田、池袋、新宿、渋谷の大型書店は全て回ったがなかった。すっかり諦めたころ、たまたま酔って帰宅し、電車の駅を乗り過ごして降りた明大前の小さな本屋で、偶然に発見した。うれしくなり、そこからタクシーで帰宅。本屋にしてみれば、売れ残りのちっぽけな文庫本である。 寺田寅彦、永井荷風、泉鏡花、幸田露伴、立原正秋……、あっさりと手に入れたものもあれば、何年も時間をかけて探し続けているのもある。本が本を呼ぶというか、読みたい作家が次々と出現し、際限がなくなる。現在は、幸田文、重松清(平成十二年直木賞)にとりかかっている。 壇一雄の作品は、ほとんどが絶版となっているため、ひどく難儀した。足げく神田神保町に通うが、ことごとく空振り。鼻であしらわれるように「ない」といわれる。あるとき、若い店員がすぐ脇の書棚から、これならありますと『花筐』を取りだしてくれた。パラフィン紙に包まれたいかにも古本然とした一冊だった。値段を見ると、二万三千円とあり、ギョッとして書棚に戻した。全集もありますがといわれ上を見ると、棚の最上段に八冊で七万六千円という値札がついていた。 神保町に出かけるたびにこの店に立ち寄っては、橙色の全集の背を眺めていた。売れてしまったらどうしよう、という焦りがまさり、夏の賞与を待って思い切って購入した。独身だからできたことである。日が経ってしばらくぶりでその本屋を覗いてみると、ほぼ同じ場所に同じ全集が並んでいた。またもやギョッとした。古本屋の蒐本力の凄さもさることながら、八万四千円という値札にがついていたのだ。 神保町には、古本屋が一四〇軒ほどあるのだが、それぞれに特徴がある。文芸書を主に扱う店、山岳本、美術書、音楽の本、自治体が出版する○○町史を扱う店など、ジャンル別に棲み分けがあって、慣れてくるとどこの店のどのあたりの棚を探せば、自分の目当ての本があるか分かるようになる。 本を探す者にとって、東京はありがたい街である。渋谷、新宿、池袋と山手線で十五分の距離に、地方の大型都市の中心街より遙かに巨大な街が集積している。現在出版されている本で、その日のうちに入手できないものはないといっていい。絶版本でも神田神保町へ行けば、かなり高い確率で何とかなる。だたし、探し当てるのが至難だが。 独身寮を出た私が、アパート探しの第一の基準においたのが、神保町まで一本で行ける路線であった。結婚した今でも、途中ひと駅戻れば神保町というコースである。 私にとって本は、非日常の世界の体現であり、何にも変えがたい安らぎである。ゆえに、自分の波長にあった本に出逢うと、その振幅がますます増大する。心が震える。だが、いいものにはなかなか巡り合えない。それを捜し歩く、そちらのほうが楽しみになっている向きもある。読み終えた本を見て、内容の思い出より、捜し歩いた印象のほうが濃いものが多い。 学生時代、仏の北村といわれる先生がいた。落第から救ってくれること仏のごとし、という学生の間では人気の先生であった。その先生の口癖は、「家を壊すくらい本を読め」というもので、一年間の講義で、四、五回はこの話が出た。自宅が古い木造で、本の重みで二階の床が抜け落ち、かみさんにひどく怒られたという話である。以降、本を置くためにマンションを購入し、自宅とマンションと研究室の三ケ所に本を分散しているとのこと。 私は、自分の読んだ本の書名、著者名などを全て書き写し、書籍目録にして常に持ち歩いている。欲しい本もチェックしてあるので、本を探す際には至極便利に活用している。自分の読んできた本を管理できるくらいだから、その量はたかが知れている。 「そんな暇あったら、もっと本、読まなぁあかんで」 と北村先生にどやされそうだ。
平成十三年五月 小 山 次 男
追記 このエッセイを読んだ上司が、『八五年版ベスト・エッセイ集―人の匂ひ―』を横浜の古本屋で見つけてくれた。 また、私自身、〇五年版、〇六年版と続けて『ベスト・エッセイ集』に選出して頂きました。
付記 平成十八年十月 加筆 |