Coffee Break Essay

この作品は、20123月発行の同人誌「随筆春秋」第37号に掲載されています。


 「恥かしい診察室」


 数日前から下半身に違和感があった。そのうち治るだろうと楽観していた。

 ある朝、小便をしたとたん、激痛が走った。全身が粟立つほどの痛みである。目の前が真っ暗になった。淋病だ……間違いない。

 あそこが痛いのは淋病、と頭から決めてかかっていた。便器に小便が当たるだけで痛い、その経験者から聞いたことがある。だが、冷静に考えると、心当たりの行為はなかった。

 昼休みに会社を抜け出し、病院へ行った。

 同僚に教えてもらった病院は、都心の片隅によくある古ぼけた小さな個人病院だった。皮膚科、泌尿器科と看板にある。弓削医院というその病院名に、皮肉めいたものを感じた。奈良時代の僧侶、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が頭を掠(かす)めたからだ。

 道鏡は時の女帝、称徳天皇の病を加持祈祷で治したのを機に女帝に近づき、法皇にまで上り詰めた妖僧である。

「道鏡それは腕でないかとみことのり」と古川柳にあるように、道鏡は絶倫なる精力で女帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めた、というのが「道鏡の巨根伝説」である。我が札幌の男子高校の日本史の授業は、そこまで突っ込んだ内容であった。

 恐る恐る病院のドアを開けると、昼休みとあって、小さな待合室のソファーがOLに独占されていた。顔の吹き出物などの治療に来ているのである。これはマズイなと思った瞬間、受付の小窓からバアさんの顔がヌーッと出た。場違いなほど大きなダミ声で、

「どうされました」

 と訊いてきた。

 その無神経さに頭蓋骨が破裂するほどの恥しさを覚えた。上気した顔から汗が噴き出し、湯気が立ちのぼった。

「あのー、あそこが……痛いンです」

 押し殺した声で囁(ささや)いた。

「ええっ? どこが痛いンですか」

(ナニィーッ! このくそババア。泌尿器科に来てるンだからアソコに決まってるだろう)

 と思ったが、皮膚科もあることを思い出した。OLたちの視線を背中に感じながら、無言で下半身を指差した。

 先生の前で自身(オノレ)を曝(さら)け出さなければならない。その恥辱の瞬間を、待合室の片隅で身を硬くして待った。

 ほどなく呼ばれ、診察室に入って仰天した。先生は女だった。十二畳ほどの狭い診察室には仕切りもなく、三人のOLが診察室の片隅で頬の吹き出ものに赤外線を当てていた。その三人がチラリと私を一瞥(いちべつ)し、素知らぬ顔を装っている。だが、三人の耳は、パラボラアンテナよろしく、みなこちらを向いていた。一巻の終わりだ。

 先生は私の説明もそこそこに、「じゃ、ちょっと見せてください」と私のモノを手のひらに乗せ、八百屋でナスやキュウリでも吟味するような目つきで、様々な角度から眺めている。傍らに立つ看護師がその様子を余さず見物! という構図を想定していたのだが、そうはならなかった。

 先生から、輪ゴムで止めた二枚のガラス板を渡された。それは中学の理科の実験で顕微鏡を見るときに使う、あのガラス板であった。

「明日の朝、起きたらすぐに先ッチョをこの板に擦りつけて持って来るように」という。あまりにもあっけない結末に安堵すると同時に、腰が抜けるほどの疲労感を覚えた。

 翌日。そのガラス板を手に、再び老女医と向き合った。女医は、医療器具の置いてある棚から、野口英世が使っていたような年季の入った顕微鏡を取り出し、私の目の前で眺め始めた。

 顕微鏡のピントを調節しながら、ガラス板を少しずつ移動し、熱心に眺めている。私は固唾を呑んでその様子を見守った。ひどく長い時間に感じた。そのうち私自身も椅子から腰を浮かし、身を乗り出した。やがて先生の動きが止まったとき、堪え切れず、

「何か見えますか」

 と声が出てしまった。

「……見えませんねェ、何も」

 背中を丸め執拗に顕微鏡を眺めていた女医が、顔を上げた。

「尿道炎です」

 とキッパリといい放った。裁判に勝った原告団にも似た喜びが、腹の底から溢れてきた。胸にたまっていた大きな塊(かたまり)がスーッと消えて行く。振り向くと数人のOLが、あらぬ方向を見ながら、相変わらず赤外線を当てていた。

「おだいじに」

 と薬を差し出す受付のバアさんに、握手したい気持ちを抑えて玄関を出た。同時に、場外馬券場などでよく目にする煤(すす)けた顔の中年男性と入れ違いになった。男はこころもち前かがみの格好で、扉の中に消えた。

 やがてドアの向こうから、

「どうされました」

 という例のダミ声が聞こえてきた。

                    平成十六年八月  小 山 次 男

 追記

 平成二十四年二月加筆