Coffee Break Essay


 『初夢』




 年末ジャンボ宝くじは一枚が高額なので、いつも購入を躊躇する。まわりの者が買ったと聞けば、やはり買わずにはいられない。だが、当たりそうな気配はとんとない。組すら同じだったためしがないのだ。

 年末ジャンボの当選結果が紙面に載るのは、元旦の朝刊である。大晦日のテレビのニュースで当選番号が発表されるが、番号の写し違いをしてはもともこもない。だから元旦の新聞を待つ。だが、正月早々ガックリするのも嫌なものである。かといって買わなければ当たらない。宝くじの嫌味なところである。

 今年もギリギリになって、年末ジャンボを買った。ついでに東京都の初夢宝くじも買う。ジャンボのショックを和らげるための、緩衝材である。

 今回のジャンボも、相変わらずかすりもしなかった。ハズレるのが当たり前、と開き直って結果を見るので、気楽なものである。最近は、大晦日の夕方には、結果がわかる。インターネットの発表を見るのだ。

 宝くじは、いつも連番で買うことにしている。バラで買って、もし当たったら前後賞がない。三億円を当てて、遊んで暮らすことが出来なくなるからだ。ところが今回、初夢宝くじをバラで購入した。たまには買い方を変えてみようと思ったのだ。どうせ、初夢だしという気持ちがあった。

 明けて一月七日は、初夢宝くじの発表の日である。忘れかけていたのだが、帰りがけに思い出し、会社のパソコンで確認した。

 またダメだろうなと思いながら、ディスプレイに表示された番号を上から追っていて、突然、液晶画面が歪んだ。目玉が飛び出して画面にぶつかったのだ。強い動悸で胸が苦しくなった。まわりには二人の同僚がいたが、私の様子には気づいていない。

 胸の高鳴りを抑えながら、画面に表示されている番号を印刷した。待ちきれず、プリンターから紙を引っ張り出した。手が震えた。とうとう当たった、と半ば核心していた。十枚のうち途中の一枚が、一等の番号と下一桁、一番違いだった。

 一等は八千万円である。番号表を横に置き、はやる気持ちを抑え、次の一枚をめくった。全く違う数字が出てきた。……シマッタ! と思った。いつもの連番の感覚でいたのだ。大きな落胆と同時に、次の瞬間、前後賞だ! と思った。だが、組が全然違っていた。

 八千万円と、前後賞の一千万円が消えた。同じ番号なら、組違い賞の十万円だった。どこをどう見てもハズレである。宝くじは組が違うと、待遇がまるで違うのだ。しばらくハズレくじを見つめていた。

 心臓の高鳴りは電車に乗っても、なお耳の奥で響いていた。ちょっと待てよ、「一等の組違い前後賞」というのはないのかと、もう一度番号表を取り出して確かめる。ダメなものはダメだった。

 翌日、同僚にハズレくじと抽選結果を見せた。だれもが一様に、

「ああッ! 前後賞!」

 と目を丸くした。みんな「ええッ!」「おおッ!」と、素っ頓狂な声を上げた。

「組が違うんだ」

 といっても、すぐには納得してくれなかった。

「これは、当たったも同然のハズレだな」

「オマエはこれで全ての運を使い果たしたな」

 というのが大方の感想だった。その裏には、当たらなくてホッとした、オマエひとりがいい思いをするのは面白くないという思いが匂っていた。

 どうせハズレるなら、空振り大三振のように思いっきりハズレて欲しかった。ハズレてもこんなに動揺するのだから、もし当たったら、即死するかも知れない。当たらなくてよかったのだ、と無理に自分を納得させた。

 そんな折、実家の母から電話があった。

「裏の○○さん、あんたも知ってるっしょ。当だったんだわ、正月に……」

 えッ、当たった! 宝くじか、と思いきや、

「やー、おっかない。あんたも当だらないように気をつけなさい。若いのに、気の毒だぁ」

 脳溢血の話だった。

 宝くじを買い続け、二十数年。ここで買うのを止めては、今までのお金は、ドブに捨てたことになる。元は取らねばなるまい、と買い続けている。

                     平成十四年一月  小 山 次 男

 追記

 平成十九年一月 加筆