Coffee Break Essay



  『ハッピー・ウエディング』



昔、実家に菊の紋章の入った黒塗りのオルゴールが二つあった。
いつしかそれは幼い私の玩具となっていた。
蓋(ふた)を開けると曲が聞こえるのが面白くて、
さんざん弄繰(いじく)り回しているうちに蓋が取れ、
ついにはバラバラに壊してしまった。
どんな曲だったのか、今となっては覚えていない。

このオルゴールは、両親の結婚と係わりのある品である。
結婚式が、今上天皇の御成婚日と同日だったため、
記念品として役場を通じて宮内庁から頂いたものであった。

翌昭和三十五年の一月に私は生まれた。
当初、私の出産予定日は二月であったらしい。
父が会社への出掛けにハンカチを忘れ、
慌てた母が階段を踏み外したがために産気づき、
あっという間に生まれたという。
父がハンカチさえ忘れなければ、
現皇太子殿下と同じ月の誕生日だったことになる。

当時の男女の貞操感というものは、
今とは比べものにならないほど、確固としたものであった。
ただ、私の誕生日が一月十五日、成人の日で祝日だった。なのに会社へ?

当時、父は日直もあった。疑えば切りがない。
別に私が結婚式前の子供であったにしても、何てことはない。
むしろ微笑ましいというものだ。

昔は、《婚前交渉》なる言葉があった。
結婚式を終えるまでは、お互いにキレイな身体でいる時代。
純潔を守って初夜を迎えることが当然のことであった。
《婚前交渉》、《肉体関係》、《純潔》、《初夜》いずれも、死語である。
同棲(これも死語かもしれない)していた二人が、
平然とした顔でヴァージンロードを歩き、神の前で終生の愛を誓う。
もうこの時点で大ウソつきなのである。

随分とまわりくどい話しになったが、実は、かくいう私もできちゃった結婚なのである。

私が二十九、妻がニ十歳のことであった。
上司や同僚、友人に公表した時点で、私は犯罪者となった。
さらに大変だったのが、互いの親にその旨を告げることだった。
結婚すると言うだけでも億劫なのに、その後に「実は・・・」を言わなければならない。
親にとっては驚天動地、想像しただけでゾッとした。

北海道の母には電話で話した。
切る間際、男としてちゃんと責任をとりなさい、と言われた。
言外には、どうしてお前はそんなことになったんだい。
そんな子供に育てた積もりはなかったという思いが刺さってきた。
その夜、母は眠れなかったに違いない。

妻の方も母親だけだったので、少しは安心していたのが大間違い。
会いたい旨伝えてもらったのだが、
絶対に会わない、結婚するなら勝手にしろ、とけんもほろろであったという。
もちろん子供のことは言っていない。
とにかく早いうちに手を打たなければ、と次の休日、こちらから出かけることにした。

いきなり自宅を訪ねたのではまずい。最寄りの駅に着いてから電話をした。
どうしても会って話がしたい、実は今、近くまで来ている、と。
渋々、会ってもらえることになった。
強烈な母親だと妻からも言い含められていたので、緊張した。
人生の一大事だと思った。

駅から程ない待ち合わせの喫茶店に向かって歩き始めた途端、
後ろからいきなり肩を叩かれた。

「おお、近藤君。こんな所で何してるの」

振り返ると、見覚えのある顔。
ギョッとした。会社の専務であった。
心臓が激しく肋骨を打った。
こちらは日曜日に背広姿、隣にはうら若き妻がいる。
私の動揺が伝わったらしく、あっさりと開放してくれた。
すっかり出端(でばな)を挫(くじ)かれてしまった。

かくして義母と対面した。
義母にしてみれば、得体の知れない馬の骨が突如現れ、
やっとの思いで育て上げた娘をくれと言うのだ。
察しはついていただろうが、その顔には痛ましいほどの落胆があった。
頭を下げた私の頭上を、大きな溜め息が吹き抜けた。

「実は・・・」

ドラマのワンシーンを演じている気分である。見ていられなかった。
自分が親の立場だったら、暴れたかも知れない。
私と義母は十一歳しか違わなかった。
お義母さんと呼ぶ方も、呼ばれる方にも無理があった。

できちゃった結婚は、半年ほどの間に親への告知から結婚、
出産まで猛スピードでめくりめく。
蟠(わだかま)りのある親の心を最後に氷解させるのは、孫の誕生である。

私の同僚では、結婚式に出産が間に合わなかった者もいる。
「お前、バーカだな。ドジだよ、まったく」さんざん私のことを詰(なじ)りがら、笑った男である。
気心の知れた同僚であった。
その結婚式の司会を引き受けたのだが、
赤ん坊を抱き恥じ入りながらの入場に、笑いをこらえるのが大変だった。

そもそも《できちゃった結婚》という言葉がいけない。
このネーミングには、できちゃったから仕方なしに結婚をするはめになった、
という嘲笑的な気分が多量に含有されている。
通常の結婚パターンとは、ほんの少し順番が入れ替わっただけなのに。

《結実結婚》ではちょっと硬いし、《妊娠結婚》では露骨過ぎる。
《最愛結婚》、《深愛結婚》、《超恋愛婚》どれもしっくり来ない。
《ハッピー・ウエディング》ちょっと回りくどいが、いいかも知れない。
でも他者からみれば面白味がないのだろう。

できちゃった結婚者には、もう一つ試練が待っている。
将来、必ず子供にバレるということだ。
もちろん動じないつもりだが、ちょっと照れくさい。

先日、別の同僚から二人目ができました、と教えられた。
彼もまた、できちゃった仲間である。
別れ際、ニヤリと微笑んで「結婚して初めての子供です」と笑わせてくれた。

できちゃった結婚が四組に一組であるという記事を、最近目にした。
思わず頬が崩れた。
時代の風はフォローである。



                    平成十五年二月  小 山 次 男