Coffee Break Essay




 ハゲですが、なにか?



 忘年会が終わり外へ出ると、さかんに雪が降っていた。師走のすすきのは、酔客でごった返している。道行く人の頭はみな真っ白だ。そんな中、自分の頭にだけ雪が積っていないことに気がついた。解けた雪が、しきりに頬を伝ってくる。私の頭は、ロードヒーティングと同じ状況になっていた。

 父方にも母方にも誰一人としてハゲはいない。年老いてもみな、これ見よがしに剛毛を生やしている。

「どうしてそういう頭になったわけ」

 と妹から非難めいた口調で言われるが、そういわれても困るのだ。

 私の頭は、額から頭頂部にかけ、便座型に禿げ上っている。チョンマゲのない侍である。

 髪の毛がなくて困ることは、ラーメンやカレーなどを食べたとき、汗がストレートに流れ落ちてくることだ。乱伐された山が保水力を失い、ちょっとした雨で鉄砲水が発生する、それと同じ原理だ。汗はかろうじて眉毛で受け止められるが、そんなものは砂防ダムと同じで、すぐに決壊する。

 なにより髪がなくて嫌なのは、実年齢よりも老けて見られることだ。八十四歳の母の車椅子を押しながら、スーパーの試食コーナーに差しかかると、決まって声をかけられる。

「ご主人もいかがですか」

 と。このクソババアと思いながら、爪楊枝の刺さったソーセージを受け取っている。頭にくることを「怒髪天を衝く」というが、肝心の髪がなければ、毛を逆立てて怒ることもできない。耳の遠い母は、ただニコニコしているだけである。

 カツラを被ってハゲを誤魔化そういう気は毛頭ない。そんなことをして、何が楽しい。 伸ばした髪をこめかみあたりから持ってきて、整髪料で頭に貼りつけている人を目にする。あれでハゲを隠しているつもりなのだろうが、頑張れば頑張るほど滑稽で、悲しい。

 不意の夕立や強いビル風に遭遇し、慌てて毛繕いをしている無惨な落ち武者をしばしば目にする。誰もが一瞥(いちべつ)を投げ、見てはいけない光景に足早に通り過ぎていく。

 男のハゲも女性のペチャパイも、それを自分の「個性」として正々堂々と生きればいいのだ。なにも恥ずかしいことはない。綿のいっぱい詰まったブラジャーをつけて、胸を大きく見せるのもいい。だが、ハゲを誤魔化す男と貧乳の女が親密な関係になり、次の段階に踏み込むとき、すべてはバレるのだ。

 病気などでやむなくそういうものを使っている人がいる。私がここで言いたいのは、そのようなケースではない。もって生まれた個性を、詐欺まがいに誤魔化そうとする性根が気に食わないのだ。

 最近、私の頭は、髪が少し伸びただけで病気の犬の様相を呈し始めた。やむなく丸刈りにしている。さすがに坊主頭には躊躇いがあった。大きなことを言ってきた割には、後ろ髪を引かれる思いがあったのだ。

                   令和元年七月  小 山 次 男