Coffee Break Essay



  『ハゲの励まし』



最近、脳天がだいぶん明るくなってきた。
妻や娘が言うには、旋毛(つむじ)が消滅しかけているという。
二人して大騒ぎである。
自分では目にすることができないので、「なるほど」と言うしかない。
見えないがゆえに気にもならない。
娘にとっては一大事らしい。一緒に外を歩けなくなるという。

「そんなこというんなら、Sちゃん(娘の友達)どうするの。お父さん、ズルムケだよ」
「だーかーらー、ああならないように、不老林やってくれる」

シャンプーの仕方もどこで覚えたのか、くどくどと説明する。
「分かった、分かった」といいながら上の空である。

どだい私は結婚するまでずっと石鹸で頭を洗っていた。
シャンプーだリンスだというのが面倒だった。男なのだから石鹸で十分。
バスタオルすら使っていなかった。手ぬぐい一本と石鹸で銭湯へ通っていたのだ。
これぞ若者のスタイルと、若さを謳歌していた。
(世は昭和の末期、バブル崩壊前。フォークソングを彷彿とするような時代はとっくに終わっていたが、杉並の神田川沿いに住んでいたのでそういう気分になっていた)

長い歳月をかけて拭き込まれた寺の廊下は、いよいよ黒光りし重厚感を増す。
花崗岩の石畳ですらツルツルになる。味わいが出てきていいではないか。
八十の婆さんがサラリとした黒髪なら、気持ちが悪くて仕方がない。

禿(は)げるのもまた自然の摂理。
ジタバタしたところで禿げる人は禿げるようになっている。
だから、堂々と禿げてやろうじゃないか、と構えている。
が、世の中それを誤魔化そうとしている輩(やから)が五万といる。
それが気に入らないのだ。

かろうじて残った後ろ髪を伸ばして、とんでもない後頭部から前に持ってきたり、
数えられるほどしかない髪の毛を頭蓋骨に貼りつけて澄ましている。
中には、ひどい違和感のある毛髪を平気で頭骨に乗せているオッサンもいる。

若くしてやむなく禿げてしまったのなら酌量の余地はある。
病気や治療の副作用などで禿げるのは全くもって気の毒なことだ。
若い女性であればなおさら。
でも私が気に入らないのは、オジサンのハゲ隠しである。
見苦しいからヤメロッ! と言いたい。
表現の自由だから致し方ないが、どう見てもみっともない。

そこまでする必要がどこにあるのか。
本人は一生懸命隠しているつもりなのだろうが、どだい無理がある。
頭かくして尻かくさずどころか、頭皮丸見えなのだから。
どうしてもやりたいなら、刺青でも入れろといいたい。
しかし、彼らにしてみれば涙ぐましい努力をしているのだ。

会社帰りに夕立にあい、駅でしばらく佇んでいたら新聞で頭を翳(かざ)しながら飛び込んできたオッサンがいた。
ずぶ濡れである。思わず、あッ! と声を出しそうになった。
側頭部から髪を分けていたようだが、だらりと垂れ下がり肩に届かんばかり。
覆いが取れたのだ。直視に耐えなかった。
さながらイクサに破れ敗走してきた武士の様相。
慌てて直していたが、そう簡単に元に戻せるものではなさそうだった。
雨風は大敵なのだ。

オッサンは、リストラの嵐吹き荒れる中、その風圧に耐えながら一生懸命働いて、
邪魔者扱いをされながらも家族を養っている。
あと三年頑張れば、息子も大学を卒業するという当面の目標に向かって。

ハゲを隠したい気持ちも分からなくはない。
ハゲを認めるということは、男として人生の敗北を認めることだ。
男を諦めよということに等しい。
誰だってハゲチョビンよりも、ロマンスグレイのオジサンの方がいいに決まっている。
歳をとっても女の子からチヤホヤされたいのだ。チャンスあらば打って出たい、それが本音。
けれど、悲しいかなハゲは馬鹿にされる。格好の嗤(わら)いの標的となる。
オジサンたちはそのことを誰よりもよく知っているのだ。

「うるせーッ! このハゲ!」、
「何言ってんだよ、このツルピカ!」、
「何だッ、このヒカル源氏ッ!」。

正しいことを言えば言うほど、若者の蔑(さげす)みの声が聞こえて来る。
若い頃の自分がそうだった。

「そんなにくどくどと言われなくても分かってるよ、このツルッパゲッ!」

若かりしころ、説教をくらいながらそう思って見ていた相手の姿に、ジワリジワリと近づきつつある。
それでもまだ自分は大丈夫だ、と言い聞かせているのだ。
だから、抵抗する。ヤケクソの徹底抗戦だ。

声を大にして励ましたい。
「無駄な抵抗は止めろ! 君はもはや誰が何と言おうと明白なハゲなのだ。堂々と禿げた方が潔(いさぎよ)くはないか、男だろう! 隠せば隠すほど滑稽至極。ちっとも隠れていないじゃないか。やめろッ! そんなみっともないことは。君の頭はもはや不毛の地と化している。オヤジよ、勇気を出してズラを脱げッ! バーコードを剥がせッ! スカッとした頭で泰然としていろッ!」

こうして私は通勤ラッシュのオジサンたちの頭を眺めながら、
自分を叱咤し鼓舞し頭髪との決別を目論んでいるのである。
「ハゲを励ます」なんていうダジャレを発見しながら。

そのうちにまた、石鹸で頭を洗える日が来るかも知れない。


                     平成十五年六月   小 山 次 男