Coffee Break Essay

この作品は、2008年1月、第三回文芸思潮エッセイ賞に入選致しました。また、以下に掲載されております。

・アポイ岳ファンクラブ会報「アポイマイマイ」42(20057月発行)
・同人誌「随筆春秋」第25号(20063月発行)
・北日本石油且ミ内報「きたにほん」70(20071月発行)
・文芸思潮臨時増刊号「エッセイ宇宙2」(20081月刊)
・「文芸思潮」24号(20087月刊)


 『牛乳瓶の音』

 冬の朝。瓶の触れ合う音が聞こえてくる。厚手の瓶がいくつもぶつかり合う音だ。近所の人が、ポリ袋から資源回収箱へ空き瓶を移しているのだ。温かい蒲団の中でその音を聴いていると、遠い遠い三十年も昔の風景が蘇る。

  中学一年の雪の朝であった。

 近所に住む同級生の浩一が、牛乳配達のアルバイトをしていた。その朝、私は興味本位で浩一について回ったことがあった。

 夜が明けたばかりの北海道の冬の朝。寒気で肌がチリチリと粟立つ。そんな中、軍手を二枚重ねに履いた浩一が、機関車のように白い息を吐きながら、暁闇の光の中を近づいてくる。しかも、業務用の自転車に乗って。つい最近まで、一緒に三角乗り〈注参照〉をして遊んでいたのに……。

 その朝の浩一は業務用にちゃんとまたがり、かろうじて爪先だけで漕いでいた。しかもハンドルの左右には、牛乳袋がずっしりとぶら下がっていた。浩一は、雪道と牛乳袋の重みにハンドルを取られながら、ゆっくりと力強く走ってくる。小柄な浩一が大きく見えた。

「悪りィー、遅ぐなったぁ」

 浩一の顔が真っ赤に上気している。

 一つの牛乳袋には、二十本の牛乳が入っている。左右あわせて四十本になる。そのバランスをとりながら大人の自転車に乗るのは、雪道でなくても軽業に近い。

「おめえ、よくこんなんで自転車に乗れるな」

 と感心すると、途中で転んで二本も割ってしまった、と照れ笑いした。なるほど片方の袋の底に、小さな白い氷柱が下がっている。牛乳袋の底には小指の先ほどの穴があり、瓶が割れても袋の中に牛乳が溜まらないようになっていた。牛乳は数本余分に積んでいるので、大丈夫だという。

 浩一がハンドルを握り、私が自転車の後を押しながら坂道を登る。やっと最初の一軒目にたどり着く。浩一は毎朝、たった一人でこの作業をやっていた。

「この家は二本だ。空き瓶、入ってるから持って来てくれ」

 両方の手に一本ずつ牛乳を持ち、目指す家に向かって走る。新雪が足にまとわりつく。朝の雪は、表面は真白だが、蹴散らした中の方は青味を帯びている。夜の名残りが宿っている。一足ごとにキュッキュッと雪が鳴く。

 まだ眠っている家の玄関前の牛乳受けから空き瓶を取り出し、新しい牛乳瓶と入れ替える。持ち帰った空き瓶は、バランスが崩れないよう、左右の袋に一つずつ戻す。

「おめえ、よく、こんなこと、覚えられるな」

 配達する家を覚えるだけでも大変なのに、一軒ごとの細かな本数まで憶えている。それが不思議でならなかった。

「おい、見てみろよ」

 私の質問には答えず、浩一が東の空を指差した。日高山脈の支流、アポイ岳の裾野から太陽が出ようとしていた。山の端から一条の光線が放たれたと思うと、それをきっかけに何本もの光の矢が一斉に走り始めた。オレンジ色の放射状の半円形が、アポイ岳の光背のように浮かび上がった。

 山の端から一直線に伸びた光が、西側の低い山々を照らす。やがて光は斜面の畑に下り、家々の屋根を照らした。青白い街がまばゆい光に包まれてゆく。小さな風が巻き起こり、光のかけらがほの白い雪面に宝石のように散乱している。その輝きがみるみる増えて、やがて雪面全体が金色に輝き始めた。

「――さあ、急ぐべ。学校、間に合わねぇど」

 浩一に促され、配達を急いだ。

 牛乳袋の中は、しだいに空き瓶が増えてくる。ハンドルが軽くなるとともに、瓶の触れ合う音も甲高くなってゆく。今まで蒲団の中でしか聞いたことがなかった音だ。まだ覚めやらぬ街に朝の音を響かせながら、私達は坂道を下って行く。

 配達を終えて、残った牛乳を一本ずつ飲む。火照った身体に、冷たい牛乳が沁みて行く。それをひと息に飲み干した浩一は、再び牛乳屋へ戻って行った。

 勢いよく走り出した浩一が途中で止まり、振り返りざま叫んだ。

「今日、母さん、退院するんだ」

 その声にはいいようのない色があった。肩で息をする浩一が、歓喜に包まれて見えた。

「よかったなー! 浩一」

 スピードを上げて遠ざかる浩一の背中に、私も大声で叫んでいた。不意に涙が込み上げた。

〈注〉

 三角乗り・・・ 昔の大人の自転車には、サドルとハンドルとペダルがフレームでつながり三角形の空間ができていた。その空間に右足を入れて向こう側のベダルを漕ぎ、手前のペダルを左足で漕ぐ乗り方である。子供が大人の自転車に乗ると、足がペダルまで届かないため、そういう乗り方をした。自転車はまだ高価なものだった。

                平成十七年五月 立夏   小 山 次 男

  付記

 平成十八年十一月 加筆