Coffee Break Essay


この作品は、「日本文学館木村治美エッセイ大賞」の2005年12月度月間優秀賞となりました。

また、2006年9月発行の同人誌「随筆春秋」第26号に掲載されております。


  『花嫁の逆襲』



 金屏風を背にした若者が、マイクを握り熱唱している。その後ろで仲間たちが肩を組み、声を張り上げる。

 緊張に包まれていた宴席は、和やかな雰囲気の中、佳境に入っていた。会場のほとんどが若者たちに注目している。そんな中、新婦の父親ひとりが、浮かない顔をしていた。

 披露宴の二時間前にホテルに入った私は、真っ先に親族控室へ向かった。花嫁の父親は憮然とした表情で、よろしくお願いします、とひと言いったきり窓の外に目を移してしまった。この日父親は、妹夫婦に伴われてしぶしぶ会場にやってきていた。

 華やいだ会場の末席で、父親の視線は遠く離れた高砂に向けられていた。新郎新婦が友達の余興を眺めながら、ときおり笑顔で言葉を交わしている。ウェディングドレスを身にまとったひとり娘は、もう手の届かないところにいた。そんな父親の表情を眺めながら、私は演台の原稿に目を戻す。花束贈呈の時間が近づいていた。

 

 会社の同僚に頼まれ、披露宴の司会を引き受けたのは、二ヶ月前のことだった。会社近くの小さな居酒屋で、披露宴の打ち合わせかたがた、花嫁との初顔合わせを行った。

「本当は私たち、披露宴なんてしたくなかったんです……」

 あどけなさを残した花嫁の口から、意外な言葉が飛び出した。戸惑いを隠せない私に、同僚がわけを語った。

 当初、二人は結婚式を海外で済ませ、戻ってから簡単なパーティーをして終わらせるつもりでいた。だが、肝心の花嫁の父親が、まだ早すぎるの一点張りで、頑として結婚を承諾しない。やむなく型通りの結婚披露宴を行なうことにした。親戚や来賓を呼べば、父親も黙ってはいられないと考えたのだ。何とか父親を説得するのが先だろうと向けると、いろいろやったが万策尽きた。もはや強硬突破しかないという。

 二度目の打ち合わせのとき、花束贈呈の代わりに手紙を読んでもらいたい、と花嫁から申し出があった。

 父は、頑固で分からず屋。何を言ってもダメダメの一点張りで、いつも束縛されてきた。最近は、ろくに口もきいていないという。早く家を出て自由になりたい。彼のことも全く取り合ってくれないし……あのひとには娘の幸せなんて頭にないのよ、と目を潤ませる。彼女は、激してくる感情を抑えられないようだった。「勝手にしろ」が、この頑固オヤジの承諾の弁だったという。

 彼女は後に引けない土壇場に父親を引っ張り出し、最後のチャンスに賭けようとしていた。その実況中継をやってくれというのだ。私は頭を抱えた。

 その肝心の手紙が、いつまでたっても来なかった。痺れを切らして同僚に催促すると、

「すまん。もう少しまってくれ」

 と拝みこまれた。

 結局、手紙を受け取ったのは、披露宴の三日前だった。そこには遅延を詫びる言葉と、父親のことを考えた一ヶ月だったとあった。

 感情に走る彼女を思い出しながら、恐る恐る手紙を開いた。内容は一転していた。

 二年前に母を亡くし、父親と二人暮らしになってからのことから書き出されていた。

 家のこと一切を母にまかせていた父が、戸惑いながらも食事を作ったり、掃除や洗濯をするようになっていた。彼女には、けなげに母親役を演じようとする父の姿と映った。だがそのうち、父親の並々ならぬ決意を感じるようになった。それは、娘に頼らずひとりで生きて行こうとする決意だった。そうでもしていなければ、突然襲ってくる悲しみに、父自身が押しつぶされていた……娘はそう観察した。自分が家を出た後の父の姿が目に浮かんだ。どうして今まで父の悲しみに気づいて上げられなかったのか、自分を責める言葉が続く。

「声を上げて泣きたいのは、本当は父の方だったのです。お父さん、ゴメンなさい。もうひとりで頑張らないで。これから、新しい家族が増えるのですから」と結ばれていた。

 読むうちに、涙が溢れた。便箋で二枚足らずの手紙なのだが、どうしても読めない。下読みを始めると、途中で胸がつまってしまう。困ったことになったと思った。

 

 余興の喧騒が、一転して静まり返っていた。私は、込み上げるものを抑えながら、最後まで手紙を読み切った。ほっとして原稿から顔を上げると、人目もはばからず肩を振るわせ号泣する父親の姿があった。

 彼女には父親に言えずにいたことがもうひとつあった。手紙の中でそっと打ち明けていた。それは数ヶ月後に生まれてくる新しい家族のことだった。

 

                   平成十八年六月  小 山 次 男

 

 付記

 平成十三年二月、『結婚式の司会』と題して発表したものを加筆し、改題した。