Coffee Break Essay


この作品は、室蘭民報(201792日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。
また、「随筆春秋」49(20183月刊)に掲載されています。



 ギャグの功名


 四十歳を過ぎたあたりから、言葉の響きに敏感に反応するようになってきた。ふと耳にした言葉から、無意識に類似の音色の言葉を探している。よせばいいのに、ついついそれを口に出す。

「うちの校長、絶好調」「店頭で転倒」「民宿で顰蹙(ひんしゅく)」……きりがない。要は、オヤジギャグだ。

 調子に乗って連呼していると、周囲に冷ややかな空気が流れ出す。オジサンになると、どうしてこういう傾向が出てくるのか。オバサンの口からは、この種のギャグをトンと聞かない。不思議なものだ。

 この春行われた野球のWBCでは、侍ジャパンが快進撃を見せた。強敵キューバを二度にわたって撃破したときには、「キューバ(急場)を凌ぐ」と連呼し、大いに冷笑を浴びた。

 だが、このオヤジギャグも、時として窮地を救うことがある。ギャグのクオリティーと、それを使うタイミングが何より重要なのだ。

 五年前の話になる。

 会社で支店長が急須を割ってしまい、自腹で新しいのを買ってきた。こげ茶色の渋い急須だった。使い込むほどに光沢が現れ、深みの出てくるような上等なものである。ケチな支店長にしては珍しいことだった。

 毎朝、社員がコーヒーを飲む中、彼一人だけが緑茶だった。しかも、いつも自分でお茶を淹れる。たまたま女子社員の実家がお茶屋さんだったので、玉露の最高級のお茶を買っていた。お茶は来客にも出すから、代金は会社精算である。それはそれでよかった。

 支店長が急須を買ってきた日、たまたま女子社員が会社を休んでいた。若い鈴木クンが後片づけの洗い物をしていた。ほどなく、給湯室で何かが割れる音が響いた。派手な音だったので見に行くと、鈴木クンが途方に暮れた犬のような顔で立っていた。手には割れた急須が握りしめられていた。

 気の毒に思い、会社にあったボンドで急須の破片をくっつけてやった。それで急須が使えるようになったわけではない。気休めに、元の形に復元してやったのだ。そこに運悪く外出先から戻ってきた支店長が顔を出した。何とも絶妙なタイミングだった。

 博物館に展示されている縄文土器の様相を呈した急須を見たとたん、支店長の目が瞠(みひら)いた。

「割ったのかッ!」

 とビックリするほどの大きな声を出した。鈴木クンの顔からサーッと血の気の引くのがみてとれた。ひきつって言葉も出せないのだ。そこで私は鈴木クンの肩に手を置いて、

「鈴木クン! 万事急須(休す)だな」

 と声を励まして言った。一瞬、大きな間があり、次の瞬間、支店長が落雷のような笑い声を立てた。

 この一件、これにて落着と相成った。鈴木クンは、急須に一笑(九死に一生)を得たのだった。


                 平成二十九年五月   小 山 次 男