Coffee Break Essay


この作品は、2003年度随筆春秋年度賞佳作に入選しました。
掲載履歴は次のとおりです。
・同人誌「随筆春秋」第20号(20039月発行)
・北日本石油株社内報「きたにほん」6820061月発行)
・「室蘭文藝」46号(20133月発行)
 

  『三ダース軍曹』



 むかし、「コンバット」という戦争ものの人気テレビドラマがあった。ヘンリー少尉、カービー、ケーリーなどの登場人物の名前を覚えている。中でも人気はサンダース軍曹であった。毎週欠かさず見ていた。戦争ごっこのときには、誰もがサンダース軍曹をやりたがった。白黒テレビの時代である。

 会社の同期に内沢という男がいる。北海道の日高出身ということで、私と同郷、つまり田舎者である。憎めない男であるが、いうことがたいそう生意気なのだ。だが、その行動は大マヌケで、時にズッコケる。相手は腹を立てる前に、笑ってしまう。

 東京に来て間もないある日。独身寮の食堂で、

「ボクね、最近、女の子にもてるんだ」とぬけぬけと話し始めた。

 彼はある飲み屋の若い女の子に惚(ほ)れた。フィリピン女性だった。彼女に会うため、たいして飲めもしないくせに、三日と空けず通い始める。行くたび、せっせと金品を貢ぐ。が、ひと月ほど経って資金が枯渇し、相手にも倦(あ)きられてあえなく挫折とあいなった。

 かと思うと悪徳商法にもよく引っかかっていた。部屋には立派な英語教材があったし、ご自慢の印鑑もその一つだった。とにかく過分に純朴な部分を持っており、騙(だま)されやすいタイプなのである。

 二十数年前、会社の報奨旅行でハワイへ行った。二十名ほどの参加者の中に内沢もいた。

 我々は飛行機の中で騒ぎすぎて、ほとんど徹夜に近い状態でハワイに着いた。着いて早々、免税店でお土産を買うことになった。煩(わずら)わしい土産物を先に片付けようという訳である。定番はチョコレートと酒だった。ひとり平均チョコレートを五、六個は買っていた。

 そんな中で内沢ひとり、少々変っていた。

「ボクね、チョコレートは荷物になるから、三つくらいでいいんだ。それに、今はTシャツだよ、お土産は。安くて、ガイコクっぽいのがいっぱいあるんだよ」

 例によって生意気なことをいい始めた。

 ひどい二日酔いと寝不足の中、慣れないドルと英語にドギマギしつつも、とにかく買い物をすませた。その免税店で買った品物は、帰る日に空港まで届けてくれる。ほとんどの土産はそこで終わらせた。

 免税店を出るときに、内沢が声をかけてきた。ドルに両替したいんだけど、どこで交換すればいいのかと訊く。ホテルが無難じゃないのと答えながら、何でちゃんと両替して来なかったんだよと思った。が、とにかく寝不足で頭がグワァーン、グワァーンしていたから、投げやりなやりとりで終わった。

 最終日。空港へいくと、買った土産の品々がツアーごとに届いていた。とりわけ目立つのがチョコレートだ。山積みになっている。それにしても我々の山は、一段と聳(そび)え立っているではないか。誰だ、こんなに買ったバカは、と誰もが思った。そして名札を見、バカの正体がわかった。内沢、内沢、内沢……数えてみると、三十六個。山の大半を内沢が占めている。

 ところが、誰よりも驚いているのは、当の内沢だった。

「な、なんで、こんなにあるの」と叫んでいる。

 しかも内沢の手には、三個では足りないと思ったか、買い足した五個があった。目の前の三十六個と合わせると、四十一個になる。

「お前、Tシャツとか何とかいってたじゃねぇか。どうしたんだよ」

「ボク……三個しか頼まなかったんだけど……」

 一同、首をかしげつつ、ポカンとして左手に握りしめている彼の注文票の控えを一斉に熟視した。期せずして「あーッ」という叫び声があがった。そこには英語でthree dozen(三ダース)という文字がはっきりと記されていた。

「お前、カネ払う時に、高いと思わなかったのかよ」

 ドルだったのでよく分からなかったという。

「そういう問題じゃないだろう」

「お前ね、バカにも程度ってぇものがあんだろう」

 などとさんざんいわれながら、誰もが涙を流さんばかりに笑っている。

 内沢は、最初の免税店で、お土産に八〇〇ドル近くも使っていたのだ。だからあのとき、両替のことをいい出したのだ。しかも、路上でTシャツを売っているかなり妖(あや)しげなアメリカ人からも、相当吹っかけられてTシャツを十数枚も買っていた。見るからに安物である。内沢は、まさに描いたようなカモだった。

 かくして内沢は、その場で「三ダース軍曹」と命名された。

 とてもひとりで持ち運べる量ではないので、数名で分散して機内に運んだ。

「軍曹、これはどこに置いたらよろしいのでありますか」

 軍曹、軍曹とみんなから呼ばれ、内沢はすっかり人気者になった。彼自身も「軍曹、一杯いかがですか」などとビールをついでもらいながら、まんざらでもなさそうである。

 どう考えても持って帰れる量ではない。寮までは私と内沢の二人だけである。このままだとチョコレートの半分は私が持たなければならない。そんな光景が頭に浮かんだ私は、俄然奮起した。機内で仲間や他のツアー客に投売りで斡旋(あっせん)して回った。何人かは同情して買ってくれたが、誰もが十分な量を確保しているとみえ、売れ行きはほんの雀の涙。

「ボクね、親戚いっぱいいるし、いいんだ」

 当の内沢は軍曹とおだてられ、アルコールの加勢もあって気分をよくし、すっかり開き直っている。かくして内沢は、三十個近いチョコレートの袋を背負い、両手にも同じ箱入りの袋と紙袋を提(さ)げ、昔よく目にした富山の薬売りさながらの格好で、成田のゲートをくぐっていった。

 こいつは田舎でのんびりと暮らしているのが、いちばん幸せなのではないか。華奢(きゃしゃ)な肩に食い込む荷物を眺めながら、思わず涙が浮いてきた。

 この三ダースの一件は、ハワイ旅行最大の土産話となった。社内旅行史に残る椿事(ちんじ)として、いまだに酒の席で語り継がれている。


                 平成十五年四月   小 山 次 男
 

 平成二十五年二月 加筆