Coffee Break Essay


 「下血」


 (二)下部消化管内視鏡検査 ―― 大腸カメラ


「え? 大腸カメラ、やったことない? 侘び寂び、知らないんだぁ、人生の」

 胃カメラが「侘び」で大腸カメラが「寂び」だそうで、両方経験して初めて一人前の大人だと、かつてバカなことを言っていた同僚がいた。これで私も一人前の大人の仲間入りだと思った。と言いたいところだが、そんな精神的なゆとりはなかった。下血から一週間、原因がわからず検査を待つ日々は、ふとした拍子に湧いてくるドス黒い死の恐怖との闘いだった。

「大腸カメラはですね、腸を膨らませながら入ってくる管の苦痛だけだと思ったら大間違いです、近藤さん。その前に、二リットルの塩水地獄があるんです」

 大腸カメラの第一人者、横田課長が身を乗り出した。横田課長は、これまでに四回も大腸カメラを経験している、いわば大腸カメラのスペシャリストである。

「それとですね、検査が終わった後、ところかまわずガスが出るんです。ガスの噴出とともに液体も出ます。霧吹きと同じ原理です。パンツが汚れるんですよ」

 横田課長が大真面目に語れば語るほど、茶化したい思いが湧いてくる。

「それじゃ、パンツを穿かない方がいいんでしょうか」

「なにを言ってるんですか、コンドーさん。ズボンがひどいことになります。……それと、会計のときはですね、後に若い女の子がいないか、注意した方がいいですよ。いつ出るかわかりませんからね」

「ババアなら大丈夫なんですか」

「なにを言ってるんですか、コンドーさん」

 そんなやりとりで検査前日を過ごした。さすがは経験者、リアリティー溢れるアドバイスは大いに参考になったのだが、安心するどころか返って恐怖心が倍増した。

 翌朝、目覚めるとともに第一ラウンドのゴングが鳴った。

 二リットルの洗腸剤を二時間かけて飲まなければならない。この洗腸剤、見た目はポカリスエットのように白濁しているのだが、味はしょっぱい。塩水にプラスチックの風味を溶かしたような耐え難い味わいである。コップに一杯ほどの分量を、おおむね十分おきに飲む。これが厄介だった。こんな苦痛な飲み物を、私はいまだかつて飲んだことがない。バリュームもひどいが、短時間の苦痛で終わる。洗腸剤はその十倍以上の量を、猛烈な下痢に襲われながら、飲み続けなければならない。飲んでいるそばからトイレに走る。そのうちパンツを上げるのも億劫になり、途中から腰にバスタオルを巻き、ノーパンで挑んだ。

 下痢というよりは、尻の穴からぬるま湯をジャージャー出すという感覚である。口から肛門までの直通運転、郊外から都心へ向かう通勤特快みたいなものだ。それがひっきりなしにやってくる。開かずの踏み切りだ。最初、「ボンカレー」だったものが、やがて「午後の紅茶」に変わり、最後には「お〜いお茶」になる。それが洗腸完了の目安である。

 私は一・五リットルを飲んだところで、ギブアップした。どう足掻いても、それ以上は飲めなかった。すでに「お〜いお茶」に変わっていたので、よしとしたのだ。

 最初に医師から提示された大腸カメラの日、会社で社員の面接の予定が入っていた。

「先生、面接をしながら、大腸検査の準備をするのは大丈夫でしょうか」

 と尋ねると、言下に、

「不可能です」

 と返ってきた。その即答の訳を十分すぎるほど理解した。同時に、愚かな質問をしたことを恥じた。

 洗腸作業を終えた私は、決勝戦に臨む勢いで、再び病院を訪ねた。第二ラウンドである。病院まで歩いて三分、マンションの目の前に総合病院はあった。第一ラウンドが午前十時に終了し、午後二時半の検査までひたすら空腹に耐えていた。思えば前夜の午後八時から何も食べていない。

 着替えを言われた部屋の前には、大きなガラスケースがあり、その中に大腸内視鏡が七、八本、ズラリとぶら下がっていた。気持ちの悪い光景だった。手渡されたズボンは、後がパックリと割れていた。若い看護師が、

「パンツを脱いで直接これを穿いてくださいね。こっちが後ですからね」

 といってズボンの割れている方を見せた。そんなことは言われなくてもわかります、という意思表示として、(ズボン、脱がなくてもトイレができますね、便利だなぁ)ということも考えたが、それを口にできるほどのゆとりはなかった。実際に穿いてみると下半身がスースーし、極めて穿き心地が悪い。人間の尊厳やプライドといったものを頭から否定する、穿いているだけで情けない気持ちになるズボンだった。

 さていよいよ挿入のとき。ベッドの上で「く」の字にさせられると同時に、看護師がズボンの割れ目を指で広げた。例の若造医師が、

「それじゃ行きますね」

 というと伴に、管がヌルリと入ってきた。入ってすぐに第一コーナーに差しかかる。直腸から大腸に入るのだ。思わず「ううぅ」と絞るような声が出た。第一コーナーを回ったところで横向きから仰向けになり、立てひざをして足を組まされた。モニターがよく見えた。医師との洞窟探検が始まった、そんな感覚だった。

 自分の大腸を見たのは初めてである。大腸の長さは、約一・五メートルで、五センチから八センチほどの太さだという。見た目も洗濯機や掃除機のホースそのものである。大腸の襞というか蛇腹の中にポリープがないか、管の先から空気を出して腸を膨らませながら進んでゆく。下水道を遡上してゆくようなものである。血液が溜まっていたりすると水をかけ、それを吸い取る。コーナーを曲がるときだけ、「ううぅ」という声が出る。コーナーは全部で五つあった。

 何もないまま大腸の終点に差しかかり、小腸の穴が見える位置まで来たとき、大腸の側壁に黒い穴が開いているのが見えた。穴の周りに水をかけたり吸い取ったりしている。

「出血の原因は、これです。大きな穴が開いているでしょう。大腸憩室症ですね」

 若造医師が断言した。原因がわかって、心の底からホッとした。大きな穴だった。

 大腸憩室症とは、大腸の壁が袋状に飛び出して、小さな部屋ができる病気である。盲腸のようなイメージである。そこに腸の内容物が貯まって炎症を起こし、出血したのだ。それが下血の正体だった。現在は出血していないので、特に治療はしないという。

 検査終了後、このまま入院できるかと訊かれた。入院しながら絶食治療をするというのだ。ホッとした後の意表をつく提案に、いささか動転した。仕事の忙しい時期だったので、一週間ほど待って欲しいといったら、それじゃ意味がないという。やむなく在宅治療をすることになった。出血がひどいようなら、手術を行いますと脅された。  (つづく)


                 平成二十五年一月  小 山 次 男