Coffee Break Essay

子供の頃メッセージや種を風船に付けていっせいにとばす。
どこの誰がひろってくれるのかどきどきしながら待っていました。
今回のテーマはそんな風船をたまたま拾ったことから始まるエッセイです。
風船を飛ばした相手は小さな女の子… さて、どうなるのでしょう

               この作品は、
               ・20109月発行の同人誌「随筆春秋」第34号に掲載されました。
               ・2011810日発行、日本エッセイスト・クラブ編『2011年版ベスト・エッセイ集』
                (文藝春秋刊)に選出・収録されました。

               ・2016911日、日能研主催全国公開模試 合格力育成テスト小学6年向けの国語の
                試験問題に採用されました。


「風船の女の子」


 大学の体育の授業に、テニスの時間があった。昭和五十四年、十九歳の夏のことである。

 ある日、いつものようにグランドへ行くと、五、六人の仲間が寄り集まり、何かをのぞき込んでいた。近づいてみると、ひとりが割れた赤い風船を握っている。その糸の先に小さく折り畳んだ短冊がついていた。
「なーんや、小学生か」
 と、その紙片を私に渡してくれた。広げてみると、
「この手紙をひらったかたは、お手紙をください。私たちの小学校は、きょう百周年をむかえました。淳風小学校五年……」
 鉛筆書きのたどたどしい文字である。風船を飛ばした小学校までは、直線距離にして三キロほどであった。
 ほどなく体育教官が来たので、そのまま短パンのポケットに風船を押し込んで、授業を受けた。アパートに帰ってから、思い出して小片をながめた。「この手紙をひらったかたは……」という京風味を帯びた少女の言葉に、捨てられないなと思った。返事を待って胸を膨らませている女の子の夢を壊せなかった。
 小学生の女の子が喜びそうな便箋を買い求め、返事を書いた。簡単に書けると思っていたのだが、いざ取りかかるとなかなか難しかった。大学の一回生で、テニスをしているときに風船をひろったこと。この春に北海道から来たことなどを、小学生に語るような口調で記した。
 数日後、女の子からかわいらしい手紙が届いた。鉛筆書きの文字が喜びに踊っていた。何度も書き直した跡があった。全校生徒で風船を飛ばしたこと、家族の様子などが書かれていた。もっと遠くへ飛ぶかと期待していたようだった。最後に「文通してください」と結ばれていた。
 後を追うように、学校長から礼状が届いた。手紙を拾った者の一覧と、その返信文の要約が記されていた。私の文章もあった。もっときちんと書くべきだったと後悔した。手紙には、画用紙で作った学芸会の「特別招待状」が添えられていた。だが、その日はどうしても抜けられない用があり、出席できずに終わってしまった。
 その後も文通は続いた。私の出す手紙は、女の子の友達や家族、担任の先生が見ているかも知れない。手紙の返事には、ひどく骨が折れた。
 何通目かの手紙の中に、写真が入っていた。女の子が二人でブランコに乗っている写真だった。年下の子と遊んでいるのかなと思ったら、小さい方が自分で、クラスで一番背が低いという。友だちと二人、はじけるように笑っている写真だった。私の写真も送ってくれとある。とうとう来たなと思った。この日が来る前に、何とか文通を終わらせておきたかった。少女の夢を、夢のままにしておいてやりたかったのだ。思案の末、仕方なく写真を一枚同封した。案の定、女の子からの手紙は、パッタリと途絶えた。
 大学生。テニス。大空と大地が広がる北海道の青年。十歳の女の子にとっては、王子様のような青年を、夢想していたのかも知れない。以降、年賀状だけのやりとりとなった。

 時が流れ、私は大学を卒業し、京都から東京の会社へ就職し、五年が過ぎていた。そんなある日、十九歳になった女の子から、突然、手紙が舞い込んだ。友達と東京へ遊びに行きたいのだが、宿の手配と案内をお願いできないか、とあった。そのあまりにも唐突な手紙に戸惑った。だが、二十八歳の私の心臓が高鳴り始めていた。
 どこを案内しようかと何日も考え、女の子が喜びそうな小綺麗なホテルも手配した。
 当日、ブランコに乗る少女の写真を手に、東京駅へ向かった。ところが、私は待ち合わせのホームを間違えてしまった。気づいたときには、約束の時間を三十分も過ぎていた。携帯電話のない時代である。
「もう、おうちがこられへんようにならはったんとちゃうやろかと心配してましてん」
 ホームに繋がる階段を駆け上がってすぐのところに、彼女らはいた。初対面の緊張より、見知らぬ土地に放り出された不安が勝っていたようで、それが初対面の言葉だった。私は、不意のはんなり言葉に、
「ずいぶん大きくならはったね」
 と、ちぐはぐな関西弁で応対する始末。彼女が当時の私の写真を手にしていなければ、私は彼女を見つけられなかっただろう。女の子は写真とは似ても似つかぬ眩(まばゆ)い女性になっていた。お互いの写真と実物を比べ合い、どちらからともなく笑い出していた。
 行きたい場所を尋ねると、ディズニーランドだという。せっかく東京にきたのにと思ったが、若い子なので仕方がない。女の子の友達は、友人に会う約束があるといって、東京駅で別行動をとった。

 私にとっても初めてのディズニーランドで、想像以上の人混みだった。お腹が空いているのではないか、喉は渇いていないかと、コーンを買ったり、アイスやジュースを探したりと、汗をかきながら走り回り、黙々と行列待ちをした。そのたびに「おおきに」「えらぁ、すんまへん」、といわれる。その言葉に疲れが吹き飛んだ。私は、いつの間にか自分の中に膨みはじめている風船を感じていた。
 しめくくりのエレクトリカル・パレードまで見た帰り道、ふとした拍子に手が触れて、人混みに乗じて女の子の手を握った。その瞬間、柔らかく小さな手が、私の手の中でピクッリと動いた。かすかに握り返す力を感じた。私の風船は、はちきれんばかりに膨らんだ。
 お互い無言のまま、しばらく歩いていたのだが、
「こんなんしてたら、カレに怒られるわ……」
 彼女の手がスーッと離れた。
(彼……)大きくふくらんでいた私の風船は、夜空に舞い上がり、消えてしまった。
 ホテルの前まで送って行って、「それじゃぁ」と別れた。疲れがドッと出た。寒々とした夜道を駅に向かいながら、ジャンパーのポケットに手を入れたとたん、アッ! と思った。次の瞬間、私はホテルへ向かって走り出していた。
 肩で息をしながらロビーに入ると、彼女はエレベーターの前に立っていた。駆け寄る私に、何事かといった表情を見せた。
「ゴメン、忘れてた……」
 といって、ポケットに入れてあった小さな塊を、彼女の手に押しつけた。それは、劣化して硬く黒ずんだ赤い風船と、小さな紙片だった。彼女に会ったら真っ先に渡そうと持ってきていたのだが、すっかり忘れていたのだ。
 一瞬、怯(ひる)むような仕草を見せた彼女が、手の中の正体に気づき、目を見開いた。息を呑んで両手でその小片を包み、いとおしむように見入っていた。小学生の自分に遭遇していた。
「持っててくれはったん……」
 顔を上げた彼女の目に、溢れんばかりの涙が浮き上がっていた。その場をどう繕(つくろ)っていいかわからなかった私は、
「じゃあ……」
 といい残して足早にホテルを後にした。
 風船の女の子とは、それっきりになってしまった。


                  平成十二年八月   小 山 次 男

 付記
 平成二十二年六月 加筆
 平成二十三年一月 再加筆