Coffee Break Essay


この作品は、20143月発行の同人誌「随筆春秋」第41号に掲載されております。


 「ふいの涙


 思いもかけない場面や予期せぬ場所で、ふいに涙がこみ上げる。そんなことで困った経験は、誰しも少なからずあるだろう。

 娘がまだ小学校に入る前のこと。娘の友達と三人で近所の区民館へいったことがある。子供映画の上映に出かけたのだ。妻が風邪をひき、前からの約束ということで、急遽代役を引き受けた。

 区民館の小さなホールは、就学前後の子供と母親で満員だった。映画は「アルプスの少女ハイジ」。参ったなあと思いながら、三人の席を確保した後、私ひとり上映会場を抜け出した。子供の映画など見ても仕方ないと思ったのだ。

 しばらくロビーでコーヒーを飲んだりして時間をつぶした。それでも時間をもてあました。あまり居心地の良いロビーではなかったので、仕方なく上映中の会場に戻った。少し眠りたいと思ったのだ。

 目を閉じて眠ろうとしながら、ついつい見入ってしまった。途中からなので、話の筋はわからない。だが、薄目を開けて見るハイジが、小さな体を一生懸命に動かして仕事をしている。それが何とも言えず健気なのだ。明るく振舞えば振舞うほど、切なさがこみ上げてくる。自然と涙が溢れ、もはや眠るどころではなくなっていた。

 子供たちはと思いチラリと目を向けると、身を乗り出すようにしてスクリーンに見入っている。涙を浮かべるわけでもなく、平然としている。子供たちに気付かれないようにそっと涙を拭くが、後から後から涙が溢れて、どうにもならなかった。

 娘が小学校六年生の秋、体育館へ作品展を見にいった時のことである。そこで小学生によるミニ演奏会が行われていた。私は体育館の二階席の隅でそれを聴いていた。どうせ小学生の演奏と高を括っていた。

 曲は「いつも何度でも」。宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の主題歌である。娘にせがまれて見にいった映画だった。

 呼んでいる 胸のどこか奥で/いつも心踊る 夢を見たい/悲しみは 数えきれないけれど/その向こうできっと あなたに会える……

 ハープを弾きながら主題歌を歌う木村弓の透明感のある声がよぎる。同時に、子供たちが吹くリコーダーの澄んだ高音が、スーツと胸に入ってきた。

 生きている不思議 死んでいく不思議/花も風も街も みんなおなじ……悲しみの数を 言いつくすより/同じくちびるで そっとうたおう……

 演奏を聴きながら、様々な思いがよぎる。数日前、会社を抜けて娘の中学校の入学説明会へ出席していた。一五〇名近い参加者の中で、男は私を含め三人だけだった。この作品展も私ひとりで来た。妻が精神疾患を得てから四年が経過していた。これまで何度も足を運んだこの体育館も、あと一回、卒業式でおしまいだ。なんとかここまでやってきた。そんな思いが胸に去来していた。演奏が終わっても拍手ができない。その振動で涙が零れ落ちてしまう。顔見知りの母親達を避けるように、学校を後にした。

 年齢を重ねるに従い、予期せぬ涙に出くわすことが以前にも増して多くなった。涙腺の根元が、経年劣化によりすっかり弛んでしまっている。水道のパッキンのように、交換できるならしたいものだ。なんでもない場面で、ふいの涙に襲われる、そんなことを警戒して、できるだけ危うい場面は避けるようにしている。

 出張で東京へいった帰り、羽田空港でのこと。私の乗った飛行機が駐機場を離れ、ゆっくりと動き始めた。その様子を何とはなしに機内から眺めていた。三人のグランド・スタッフが横一列に並んで、手を振る姿が見えた。空港ではよく目にする光景である。

 だが彼らは、仕事上の決まりだからやむなく手を振っている、というふうには見受けられなかった。全員が微笑みを浮かべながら、こちらに向かって手を振っている。作業服の中年男性に混じって、白いつなぎの作業衣姿の若い女性もいた。そんな彼らの前を、機体がゆっくりと通り過ぎていく。

 仕事とはいえ偉いな、と思いながら眺めていると、彼らはそれまで振っていた手を下ろし、通り過ぎる機体に向かって一斉に頭を下げた。三秒、四秒、五秒……深々と頭を下げる姿が次第に遠ざかっていく。それでも彼らは頭を上げない。その姿を見ながら、「ああ、日本人でよかった」という思いが胸にこみ上げた。なぜそう思ったのかは、わからない。この気持ちは、日本人にしか理解できないだろうと思った瞬間、ワーッと涙が溢れ出た。

 隣の席のサラリーマンが気になり、チラリと目をやると、すでに目をつぶって微睡(まどろみ)の中にいた。東京でのひと仕事を終え、疲れが出たのだろう。私はホッとして涙を拭った。

 今までに何度も目にしていた光景が、特別に映るときがある。油断も隙もあったものではない。

                  平成二十六年二月 小 山 次 男