Coffee Break Essay




 エミのふるさと  寿都の歌棄の美谷〜


 札幌から一四〇キロ、小樽へ出て日本海沿いに函館方面へと南下したところに、寿都はある。「すっつ」と読む。同じ後志(しりべし)管内に留寿都村という類似の地名があるが、こちらは「るすつ」だ。北海道の地名は一筋縄ではいかない。

 今年(平成二十九年)の二月、エミから、

「今度の土曜日、寿都へいくんだけど、行ってみる?」

 と訊かれ、二つ返事でOKした。寿都は行ったことのない土地だった。冬の日本海が見たかった。それと、これまでに何度もエミから聞いていた、ビヤを実際に見てみたかった。

「え? ビワ? ビア? ビアー?」

 何度も訊き返したビヤとは、「美谷」である。正式には、「北海道寿都郡寿都町(すっつちょう)歌棄町(うたすつちょう)美谷」だ。住所の中に「町」が二度登場するが、誤表記ではない。北海道の住所は、そういうことになっている。エミの生まれ育ったふるさとだ。エミとは昨年の九月に、友達の紹介で出会っている。

 この美谷に、エミの幼なじみの吉野夫婦が営む「かき小屋」がある。この「かき小屋」もエミの話の中で何度か出ていた。私のふるさと様似(さまに)は、日高昆布の生産地である。昆布漁師は収穫した昆布を保管する昆布小屋を持っている。美谷も牡蠣(かき)が採れる地域なので、採った牡蠣を剥()いたりする作業場が牡蠣小屋なのだろうと勝手に思っていた。だが、「かき小屋」は牡蠣を食べさせてくれるお店だった。お店といっても、造りは小屋である。

 この「かき小屋」で、昼ご飯を食べた。一度にこれほど大量の牡蠣を食べたのは、初めてのことだった。食べ過ぎて、腹が破裂した。牡蠣が豪快だった。いや、豪快な牡蠣だった。肉厚な牡蠣がスルリと食道をすり抜け、胃袋に落ちていく。スルスルと際限なく入っていった。

 窓の外はすぐに海である。横殴りの雪が降っていた。二月の日本海が波頭を崩しながらしぶきを上げる。いつ高倉健が出てきてもおかしくはないロケーションだ。実際、映画「駅‐STATION」のロケ地、銭函(ぜにばこ)も増毛(ましけ)も雄冬(おふゆ)も、寿都を北上した同じ海岸線沿いにある。

 この「かき小屋」で、両隣にいた客が豪快に牡蠣の食べ放題をやっていた。スコップで運んできた牡蠣を、豪快に鉄板の上に放り出す。あきれるほど山盛りの牡蠣を蒸して食べるのだ。両隣とも若い客だったので、今、食わなきゃ、いつ食べる、といった勢いで食らいついていた。とてもマネのできるものではない。驚嘆の面持ちで眺めていると、一句浮かんだ。

「隣の客はよくカキ食う客だ」

 一句でもなんでもない、単なる早口言葉だ。後日、この一文をフェイスブックに挙げると、すかさず東京の友達が切り返してきた。

「カキ食えば金がなくなる本州じゃ」

 当意即妙(とういそくみょう)の返歌である。

 初めて訪ねる土地は、何もかもが新しい。かつてそこで暮らしていたエピソードなどを聞きながら眺めると、なんの変哲もない風景がにわかに色を帯びてくる。

「私ね、もの心ついたときにはトンガ(鍬(くわ))持って、畑にいたの」

「ここの岩場で、よく岩のり、採ったわ」

 国道から脇にそれ、山に向って急な坂道を登り切ったところに、エミの通っていた小学校がある。車がのけ反るほどの急勾配だ。学校はかろうじて残っていた。すでに廃校となった校舎は、漁具置場になっていた。

 エミがかよっていた当時は、全校生徒が四十名を切っていたという。一、三、五年生と二、四、六年生がそれぞれ同じ教室の複式学級である。エミの学年は七人。エミは今どき珍しい七人兄弟で、下から二番目だ。兄弟姉妹がこの二教室に何人いたのだろうか。あれから四十数年、この学校に集った子供たちは今、どこでどうしているのか。廃屋同然になってしまったこの校舎もまた、やがてはフェードアウトするように消えていく風景の一つに違いない。

  坂道を振り返ると、日本海が眼下に見下ろせる。学校へ上る坂道であるこの通学路は、まさに「登校」というにふさわしい小径(こみち)だ。坂道の下の国道では、一日に数本のバスが走っている。本当にバスが来るのかと心配になるようなバス停が建っている。それは、どこから見ても古びた物置小屋にしか見えない。この小屋の中で寒さに耐えながらバスを待つ老婆の姿が目に浮かんだ。

 せり出した山が海に落ちる、そんな風景が延々と続く。山と海の境界線上を国道が縫って走る。人々は、その際(きわ)にしがみつくようにして暮らしている。海からの風が、容赦なく吹き付ける。寿都はなにもかもが風に晒(さら)されている。

 「かき小屋」の横に、木を組み上げた大きな櫓(やぐら)がある。寒風に晒(さら)されたシャケが、まるで歯を食いしばるような形相で何本もぶら下がっていた。そのシャケを毟(むし)って瓶詰にしたものが吉野商店の「鮭寿(けいじゅ)」だ。深い味わいが口の中に広がる。うまみ成分の凝縮は、歯を食いしばって頑張ったシャケと、丹精を込めて作った人との融和のなせる業(わざ)だ。また、干したシャケをスライスした「鮭の風泙(さけのかざなぎ)」は、風泙大明神が鎮めた風によって作られたという謳(うた)いである。風泙大明神とは、歌棄の厳島神社に祀られている風を鎮める神様だ。

 ここは人間が快適に暮らすには程遠い場所である。だが、人々の妙な人懐っこさが懐かしく、心地よかった。美谷に来て、エミのことが少し、わかったような気がした。エミの言っていたことが現実離れしているように思われたが、実際に来てみて納得できた。

 暖かくなったら、もう一度訪ねてみたい。寿都の歌棄の美谷


                 平成二十九年十二月 小 山 次 男