Coffee Break Essay



この作品は、室蘭民報(2015年5月23日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。

 
 
「地球岬、そしてアイヌの思い」


 平成二十三年三月、私は三十二年ぶりに北海道での生活を再開した。現在、私は札幌にいるのだが、最初の二年間を室蘭で過ごした。室蘭は、初めての土地だった。

 転勤が決まって、室蘭市の地図を真っ先に購入した。東京にいる間に、おおよその土地勘を得ておこうと思ったのだ。

 地図を眺めながら、アイヌ語の地名が多いことに驚いた。北海道の地名のほとんどが、アイヌ語に漢字をあてたものである。「札幌(サッ・ポロ・ベツまたはサリ・ポロ・ベツ)」にしても「室蘭(モ・ルエランまたはモロラン)」にしてもそうである。読み方が複数あるのは、呼び方が転化していったことによる。

 室蘭では、「トッカリショ」や「チャラツナイ」、「ハルカラモイ」、「アフンルパロ」などの地名が、カタカナ表記のままになっている。北海道ではどこでもそうだが、マイナーな地域や小さな山川や岬などは、カタカナでそのまま表記されている。和人にとって、さほど有益ではない場所だったからに違いない。

 地図を眺めていて、驚いた。室蘭には「地球岬」がある。噴火湾につきだした小さな岬である。以前から、どうして「地球」なのかと不思議に思っていた。地図では、そのすぐ近くに「ポン・チキウ」と書かれたさらに小さな岬があった。これに驚いたのだ。

 つまり、「地球」は「チキウ」のことだった。もっと調べると、ポロ・チケップ(親である断崖)が、チケウエ」となり「チキウ」へと転化していったようだ。

 私が愕然(がくぜん)としたのには、名称の転化の陰に、虐げられた先住民、アイヌの人々の影が脳裏をよぎったからだ。アイヌにとっては、昔から何の疑いもなく「チケウ」と呼んでいた地が、ある日突然やって来た和人(シャモ)によって、勝手に「地球」に変えられたのだ。

 しばらくすると、その物珍しい地名によって、観光客が訪れるようになる。観光道路が整備され地球儀をかたどったモニュメントができ、お土産屋さんまで建ちだした。アイヌの古老は、そんな光景をどんな思いで眺めていただろう。

「シャモの奴ら、勝手なことばかりしやがって……」という強い憤りがあったに違いない。

 想像できるだろうか。言葉も違う、風貌、服装、価値観、文化、何から何まで違う異国の人間が突然やって来た。しかも、自分たちの土地に土足で踏み込み、我が物顔に傍若無人な振る舞いを始めたのだ。

 だが、誰一人として表だって文句を言う者はいなかった。歯向うことが許されなかったのだ。彼らの狡猾(こうかつ)さと圧倒的な力に、屈するしかなかった。

 被差別民として辺境の地に追いやられ、耐えがたい屈辱の中で、何代にもわたって搾取(さくしゅ)され続けてきた。

 地図を眺めながら、そんなアイヌの悲しい歴史の一端を見た思いがした。赴任して真っ先に足を運んだのは、チキウ岬である。


                 平成二十七年五月  小 山 次 男