Coffee Break Essay
『誕生日のケーキ』 四季折々に、季節の行事がある。忙しい日常の中で、年中行事の大切さを改めて思い知らされたのは、子供ができてからである。 ズボラな私も、妻に励まされ尻を叩かれながら、季節の行事をこなしてきた。クリスマスや正月はもちろん、七草粥(がゆ)、節分、桃の節句、菖蒲(しょうぶ)湯、七夕、盆踊りなど。東京の狭いアパートのベランダで、団子を食べながら明るい夜空の月を眺め、よく月見をしたものだ。妻は、季節の雰囲気やその味わいを大切にしていた。娘の心にも楽しい思い出として、そのいくつかの場面が擦り込まれているに違いない。 これら年中行事の中で、最も大きなイベントが誕生日である。子供が幼いころは、とりわけ力が入るものだ。誕生日のケーキでは、忘れ難い思い出がある。 娘が一歳を迎えた誕生日の朝のこと。会社帰りに駅前のケーキ屋に立ち寄って、ケーキを取ってきて欲しいと妻に頼まれた。お金はすでに払ってあるという。気軽に、ああいいよと請け合った。 帰り道。ケーキ屋に立ち寄って名前を告げると、店員が店の奥に入ってなかなか出てこない。どうしたのかと覗いて見ると、なにやら三人でヒソヒソやっている。 やがて、責任者らしき男が恐る恐る出て来て、オーダーを受けていないという。そんなはずはない、ちゃんとお金も払ってあるんだしと強気に出たが、埒(らち)があかない。店の電話を借りて妻に電話し、店員と直接かけ合ってもらった。頼んだ日と金額、オーダーを受けた店員の特徴などを確認しているようだった。 「初めての誕生日なんですから、一歳の……」 妻の甲高い声が受話器から漏れ聞こえてくる。忘れたなんて冗談じゃないわ、という妻の必死な気持ちが伝わってくる。 電話を切った後、店員から丁寧に謝罪され、すぐに用意しますのでお待ちください、といわれた。サービスだということで、ひと回り大きなケーキを持ち帰った。 初めての誕生日なので、写真を撮ったり、ビデオを回したり、大忙しである。遠方の親たちに送らねばならないのだ。やっと一段落し、くつろいでいたところに、電話が鳴った。受話器を取ったのは私である。 ケーキ屋からだった。 「今日のお約束のケーキ、どうなさいますか」 という。 「えッ? 先ほどいただいてきたのですが……」 お互いに話がかみ合わず、トンチンカンである。受話器を手で押さえ、かたわらの妻に確認したら、「あなた、どこのケーキ屋に行ったの?」という。 「駅のまん前のケーキ屋だ」というと、妻がのけぞった。胸の中で「あッ!」と叫び、 「明日、取りに伺います」 そそくさと電話を切った。 実は、駅の近くにもう一軒、ケーキ屋があったのだ。妻はそちらに頼んできたのだった。 「駅前のケーキ屋っていえば、駅のまん前だと思うじゃん」 「だって、いつも行っているお店、知ってるでしょ」 妻と押し問答しても意味がない。問題は、駅前の店への対応である。あれだけ強くいって、丁寧に謝罪され、しかもサービスで大きなケーキを作ってくれた。今さらあれは全部間違いだったとは、とてもじゃないがいえない。考えた末、黙っていれば全てが丸く収まる、という結論に達した。 翌日、ケーキを持ち帰り開けてみたら、豪勢なものだった。見た目も断然いい。だが、駅前のケーキ屋のことを思うと、気まずさと申し訳なさが込み上げてくる。 その夜もケーキを食べる羽目になったが、さすがに眺めているだけで、なかなか手が出ない。二夜続けてのケーキは見るのもウンザリだ。しかも昨日のケーキは大きかった。娘だけが無邪気に喜んでいた。 以来、駅前のケーキ屋には近寄れなくなってしまった。 平成十五年六月 小 山 次 男 付記 この作品の初出は、同人誌「随筆春秋」二十一号(二〇〇四年三月発行)。その後加筆し、児童文学同人誌「まゆ」一一七号(二〇一二年九月発行)に掲載。平成二十四年十二月に再加筆。 |