Coffee Break Essay


 『なつかしの番台』




 男なら一度は上がってみたいところが、風呂屋の番台である。ひと昔前に、『時間ですよ』という銭湯を舞台にした人気ドラマがあった。人気の秘密は、内容の面白さもさることながら、ドラマの中で毎回、女湯の光景が出てくるからである。

 番台に座ると、真正面に男女の脱衣所を仕切る壁があり、右が男湯、左が女湯(この左右に決まりがあるのかどうかは分からない)、さらに奥の洗い場まで見通せるようになっている。いささか暴言的に例えるなら、バレーやテニスの主審席のようなものだ。決定的な違いは、選手が丸裸であるかどうかである。

 現在では、銭湯に通っているひとは稀だろうし、風呂のない家など皆無に等しい。まるっきり銭湯へ行ったことのない人もいるだろう。たまに街中で風呂屋の煙突を見かけるが、今の銭湯はきれいに改装されており、ほとんどの番台が脱衣所に背を向けている。番台というより、フロントといった様相である。

 私は昭和三十五年、なにわ湯の初孫として生まれた。母の実家が北海道の小さな町で、ただ一軒の銭湯を営んでいた。当時、私の田舎にはアパートというものがなかったので、公営住宅ができるまでの約一年、両親は母の実家で間借りの生活をしていた。その間に私が生まれた。そういうわけで私の生家は、風呂屋の二階である。風呂屋の孫には、産湯の心配はなかった。

 私は幼いころの大半を、この風呂屋で過ごした。もの心ついたころには、番台に座る母や祖母の膝の上にいた。その狭い空間に長時間閉じ込められていることが、私にとっては耐えがたい苦痛だった。

 遊び場は、脱衣場である。男湯と女湯の間を行ったり来たり走り回り、竹製の大きな脱衣篭(かご)を投げ飛ばしたり、積み上げては崩したりそんなことをして遊んでいた。お客さんが入って来る時間になると、もっぱら番台に監禁されていた。少し大きくなると、釜炊きを手伝ったり、洗い場の湯加減を見るための覗き穴から、風呂に入っているひとの様子を眺めるなどしていた。

 当時は、一般家庭に風呂のある家は稀で、街中のひとが銭湯に来ており、母の実家は、大層にぎわっていた。セツちゃんというお手伝いさんがひとり、それに釜炊き専属の夫婦家族が別棟で暮らしていた。その前には背中を流してくれる三助(さんすけ)もいたようだ。母の兄弟は母を含め五人、それに母の祖母や伯父も同居していたらしく、それはにぎやかな大所帯だったという。母がいうには、女学生のころから番台が勉強の場であり、受験勉強も番台でやっていたという。男には絶対に真似のできない芸当である。気が散って勉強どころではないだろう。直接聞いてはいないのだが、当時下宿していた独身の父と知り合ったのも番台だったようだ。

 家族は、たいていお客さんが来る前に風呂に入っていたようだが、幼い私などお客さんに入れてもらうこともあった。特に、飲み屋の女たちは、毎日、銭湯開店の三十分以上も前には大挙してやって来た。当時は、漁師相手の酒場が賑わっていた。彼女らは、この時間に入っておかなければ、店の開店に間に合わなかった。そのお姉さんだかおばさん達に、よく風呂に入れてもらった。ガヤガヤ、ワイワイ騒ぎながらオッパイだらけの風呂に入っていた記憶がある。

 長じて番台に上がる回数は減った。最後は、小学校五年のときである。そのころ私は、古銭を集めていたので、いつものように番台にある小銭入れを調べていた。そのころでも年寄りが間違えて、ときおり古銭を持ってくることがあった。何銭という単位の通貨がよく混じっていた。中には四角い穴のあいた江戸期の寛永通宝まであった。祖母や母は、そのお金で風呂に通していた。その古銭が私の目当てだった。

 古銭を夢中で探していてふと目を上げると、母親と一緒に同級生の女の子がやってきた。互いにハッとした。次の瞬間、私は転がり落ちるように番台から降りていた。以来、番台には上がっていない。

 もっとも、そのころになると各家庭にも風呂が普及し、銭湯に来るお客さんが激減していた。それから何年もしないうちに、なにわ湯は戦前からの暖簾をはずすことになる。

 学生時代は京都の伏見で、会社に入ってからの独身時代は東京の杉並で、銭湯のお世話になった。ケロリンの黄色い風呂桶や脱衣所の竹篭を見ると、幼いころの記憶が甦る。

 風呂上がり、冷たいカツゲンを飲みながら、うちの壁絵は富士山だったろうか、それとも三保の松原だったろうかと記憶の糸を手繰り寄せるが、どうしても思い出せない。番台で遊んだ感触を思い出すこともある。子供にとってはとても高いところで、座布団が何枚も重ねて敷いてあり、膝掛けもあった。狭いけれど暖かい空間だった。当時は、あんなに嫌な番台だったのに……桶や篭は手にすることが出来ても、もう二度とあの番台には上がることはできない。

 「おかみさーん、時間ですよ!」境正章の掛け声が、件のドラマのスタートだった。その声が幼い日の記憶に重なり、そういえば番台の頭上に、大きな柱時計があったなあと思うのである。

 と、書いてくるといかにも感傷的な思い出のようだが、本当は、タダで女湯を見たいのだ。実際、番台に座れたとしたら、幼い日の思い出など吹き飛んでしまうだろう。考えただけでもドキドキしてくる。

「バカいってんじゃないよ。今どき、若い女の子が銭湯に来ると思う?」

 年寄りだけでもいい。もう一度、あの感触を確かめてみたい。ニヤケたら、ゴメン。

                     平成十四年四月  小 山 次 男

 追記

 平成十九年六月加筆