Coffee Break Essay



 『明日香風』




 万葉集にはじめて出会ったのは、私が二十八歳になる正月だった。そのころ、毎年の正月を北海道の母と妹の三人で家族旅行をして過ごしていた。父を亡くしてからまだ年が浅く、正月を実家で過ごすことがひどく億劫だったためだった。

 行く先は母に任せ、北海道からの団体ツアーに参加した母と妹に、東京にいる私が途中から合流する、というスタイルをとった。団体旅行は苦手とするところだったが、しかたのないことと思っていた。

 その年は、三泊四日の紀伊半島を巡る旅行で、私は二日目の伊勢から合流した。翌日は、おきまりの紀伊半島の観光コースを見て歩き、高野山の宿坊泊まりだった。その時のバスガイドとの出会いが、万葉集に目覚めるきっかけとなった。

 四十代半ばと見受けられるバスガイドは、生来歴史が好きで、望んで京都・奈良を本拠地とするバス会社に勤めたという。彼女の該博ぶりに舌を巻いた。

 ガイドのマニュアルに頼ることなく、窓外の風景に繰り広げられた歴史ドラマを、体験談を語るように、上代から近代に至るまで縦横に解説する。ときおり句読点を打つように万葉歌を織り交ぜる。初日の奈良ではもっと凄かった、と母はいう。彼女のガイドを聴いていて、博覧強記、博引旁証という言葉を目の当たりにする思いだった。今までに経験したことのないガイドだった。

 その旅行から二週間もしない一月十五日、私が二十八歳になった日に、ひとり奈良へ旅行した。昼過ぎに起き出して、行ってみるかといった衝動的な旅行だった。かねてから、二十八歳という年齢に抵抗があった。男として一人前の歳。結婚適齢の時季という自分勝手な思い込みがあった。しかも当時は、誕生日が成人式であったため、チャラチャラした振り袖姿の新成人を目にするのが鬱陶しく、逃げ出したい思いがあった。

 このときは三連休で、高校の修学旅行で買ったまましまい込んでいた犬養孝の万葉集を手に、新幹線に飛び乗った。

 奈良に着いたときには、陽もとっぷりと暮れ、ひどい雨が降っていた。何とか宿を探し出し、ほっと一息ついたのだった。昭和六十三年のことである。

 宿に着くと望遠カメラを持った年配の泊まり客が大勢いるのに驚いた。若草山の山焼きを撮りに来たひとたちで、生憎の雨で中止になっていた。

 私は学生時代を京都で過ごし、アパートのすぐ横を国鉄奈良線が走っていたにもかかわらず、一度も奈良を訪れなかった。たった一時間の距離である。いつも起き出すのが昼過ぎ、という怠惰な生活のためだった。

 長谷寺の回廊、秋篠寺の伎芸天、東大寺重源像・広目天、飛鳥大仏、薬師寺東塔、唐招提寺、興福寺仏頭、阿修羅像、無著・世親像……見たいものは山ほどあった。できればゆったりと明日香村を歩いてみたかった。

 翌朝早く、鹿の鳴き声で目が覚めた。カーテンを開けると、深い朝靄の中に鹿のシルエットが浮かんでいる。幻想的な風景だった。前夜、黒々と見えた窓の向こうの森は、藤原氏の菩提寺、興福寺の広大な敷地であった。宿の裏は飛火野、若草山へとつながっていた。暗く冷たい雨の中で駆け込むように宿に入ったので、どこがどこやら全くわからなかったのだ。

 めったに来られないところだけに、色々なものを見たいという思いが、慌ただしい旅行にした。

 レンタサイクルで自転車を借りて、明日香村を気の向くままにぶらりとした。耳成(みみなし)、畝傍(うねび)、天香具山(あめのかぐやま)と大和三山をめぐり、飛鳥板葺宮(いたぶきのみや)、飛鳥清御原宮(きよみはらのみや)というかつての宮殿跡を見て回った。歳月は、全ての建造物を跡形もなく喪失させていた。かろうじて残る礎石だけが、当時を偲ぶものだった。

 明日香村の景色は、点在する丘陵と古墳、あとは漠々と広がる田園ばかりである。季節柄、観光客をほとんど目にしない。ひとり風景の中に溶け込んだように自転車を走らせた。

 この地は、かつての日本の中心であり、多くの渡来人が行き来する国際都市だった。私は、京都で数多くの古い建造物を見てきた。一切の華美を削ぎ落とした美の世界を、堪能してきたつもりでいた。だが、往時の痕跡が一切ないこの地で、私の想像力は、これまでになく豊かになっていた。建ち並ぶ伽藍(がらん)、塔頭(たっちゅう)、翻る甍(いらが)、そんなものをありありと想像することができた。意外な発見であった。

 最後に訪れたのは、甘橿丘(あまかしのおか)だった。冬の陽は、あっという間に傾きはじめていた。その小高い丘から、暮れなずむ大和盆地を眺めた。

  大和には 群山あれど とりよろふ 天香具山 登り立ち 国見をすれば 国原(くなはら)は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ あきづ島 大和の国は

 授業で覚えた舒明天皇の歌の光景が眼前にあった。残照を受けて、一条の銀色の筋が耳成山、香久山の間を縫い、眼下の雷丘(いかずちのおか)で大きくうねっている。飛鳥川である。

  世の中は何か常なる明日香川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる   よみ人しらず

 念願だった甘橿丘に立ち、暮れゆく風景の中で、旅情が身に沁みる思いであった。吹き抜ける風は、古代の風だった。

  釆女の袖吹きかへす明日香風 京を遠みいたづらに吹く    志貴皇子

 いつの日かまたこの丘を訪ねてみたい。今度は、この光景を好きな人と二人で共有できたら、どんなにかいいだろう。はたして自分にそんな相手が現れるだろうか。漠とした感慨を抱きながら、去りがたい思いで黄昏の明日香を後にした。

 今思うと、それが独身最後の旅であった。明日香への再訪は、出産、子育て妻の病気と続き、いまだに果たせずにいる。

                     平成十三年三月  小 山 次 男

 追記

 平成十八年十月 加筆