Coffee Break Essay




 
「あそこの病」


 今年(平成二十七年)の八月、あそこの調子が悪くなった。

 あそこに関しては、陰部とか局部など曖昧模糊(もこ)とした表現しかない。直接口に出すことがはばかられる場所、秘部ゆえ仕方がないのだろう。

 八月の上旬、顔に例えるなら左側のアゴの下あたりにできものができ、それが知らぬ間に潰(つぶ)れてグチュグチュしだした。直径三ミリほどの潰瘍(かいよう)である。十年以上も前、同じような症状が起こり、「おまたヘルペス」と診断されたことがある。東京にいたころの話だ。

 今回も同じだと判断し、八月二十二日に行きつけの皮膚科を受診した。皮膚科はオネエさん先生だったので、受診するまでに二週間ほど様子を見た。さすがの私も躊躇したのだ。

 実はその前日、二十一日の夜、会社の会合があった。会食の二次会の途中、尿意を催しトイレへ行った。そのとき、あそこにイヤな違和感を覚えた。心なしか小便に勢いがなかった。金曜日の夜のことである。私は潰瘍がひどくならないように、幾重にも折りたたんだティッシュで、首の周りをきつく縛り上げていた。皮膚が重なり合う場所なので、そういう処置をしていたのだが、その締め付けがいささか強かった。頭に血が通わなくなって、おかしなことになったのではないかと心配になった。それで、翌日、重い腰を上げ皮膚科を受診したのである。

 それでもあそこのイヤな痛みは治まらず、ますますひどくなるばかりだった。たまらず休日明けの二十四日の朝、会社を抜け出して泌尿器科を訪ねた。かつて経験した尿道炎の症状に酷似していた。

 診察の結果、細菌が見当たらないという。血液検査だけされて一週間の様子見ということで帰された。原因もわからないのに薬が処方された。これだけの診察で三時間もかかったのだ。待合室が患者でごった返していた。あそこの悩みを抱えている人の多さに驚いた。しかも圧倒的にジイさんばかりだった。

 会社に戻ってそんな話を同僚にすると、それは尿管結石に違いないという。石はビールで出すに限るといわれ、それを真に受けた私は、その日の夜、飲みに出かけた。自宅近くで飲んでいたら、まったく小便が出なくなってしまった。慌てて自宅に戻ったが、どうにもならない。やむなく救急車を呼んだ。日付は、八月二十五日に変わっていた。

 それから四泊四日の入院を経、現在もなお投薬治療を続けている。病名は「非細菌性慢性前立腺炎」とのこと。尿管結石でもなければ、前立腺がんでもない。もちろん、性病の容疑も白。この診断が明確になったのは、病院を替えた九月五日になってのことだった。

 あそこに関する症状を列挙すると、おおよそ次のようになる。排尿痛、尿の勢いが弱い、尿道の違和感、下腹部・足の付け根・会陰部(肛門の前)の鈍痛・違和感・不快感、陰嚢(いんのう)のかゆみ、下肢(特に太もも)の違和感・しびれ感である。

 ネットで調べると、それはまさに「前立腺炎」の症状だった。この病気には「細菌性」のものと「非細菌性」があるが、私は二十四日からの度重なる尿検査で一度も細菌が検出されていないので、「非細菌性」となる。だが、これには異説があり、現代の検査技術では検出できない何らかの菌があるのではないか、と説く研究者もいる。また、突然の病気にもかかわらず「急性」ではなく「慢性」というのは、慢性的に炎症が起こり前立腺炎に気づかない場合もあるからなのだそうだ。なんだかわかったような、わからないようなまどろっこしい説明である。

 このネットの記述をプリントアウトし、医師に見せて初めて確定診断がなされたのである。この病気は、何軒か病院を替えてやっと判明する病気だともあった。私が訴えたのも二軒目の病院だった。

 この病気は若い世代、三十代から四十代に多いという。原因は、自転車やバイク、自動車に長時間座る人がなりやすく、私の場合は長時間のデスクワークに当たる。前立腺への機械的な刺激と疲労、ストレス、飲酒などによる抵抗力の低下が加わり、前立腺が炎症を起こすのだという。回復にはしばらく時間がかかるとあった。

 幸い薬により、排尿時のイヤな痛みはなくなった。それは、ユリーフという薬が効いているためだった。この薬は、前立腺や尿道の筋肉を弛緩(しかん)させ、尿の流れをよくする薬である。だが、ひとつ問題があった。それは、この薬の副作用である。射精障害を起こすのだ。

 逆行性射精といい射精時に精液が体外に射出されず、膀胱内に逆流する状態になるのだ。これは射精時の膀胱頸部(内尿道口)の閉鎖不全によって起こっている。つまり、わが水鉄砲は不発弾、いや撃つには撃ったが、内部で暴発しているような、そんな状況に陥ったのだ。

 製薬会社のホームページによると、八〇パーセントの人が服薬中、または服用を中止して四週間以内に回復するとあった。そして医療者向けに次のようなコメントが付されていた。

「性的活動期の患者さんには、本剤投与前に射精障害に関する説明をお願いいたします」

 と。医師は、私に何の説明もしなかった。つまり医師は、もはや私が「性的活動期」ではないと判断したのだ。「おしっこを出しやすくする薬、出しときますね」とだけいった。まるで子供相手の説明である。

 私は五十五歳である。しかし私の水鉄砲は、現在も有事に備え常に臨戦態勢を整えている。不測の事態に備え、射撃訓練も定期的に実施している。つまり、実戦配備されているのだ。……このように書いていると、得もいえぬ寂寥(せきりょう)感を覚えるのはなぜだろう。こういうことを書かざるを得ないこと自体が歳なのだ。

 私を見た目で判断した医師に対し、批判がましい思いを抱いたのは当然のことである。しかし、医師の判断というのは、まんざら間違ってはいないのかもしれない。

 私は、火の出るような恥ずかしさに耐えながら、医師に頼んで副作用の出ない別の薬を処方してもらった。かくして我が武器は、その本来の威力を取り戻し、ふたたび実戦配備についたのである。

                  平成二十七年十二月  小