Coffee Break Essay




 「朝の通勤ラッシュ」

 

 振り返ってみると、東京の朝のラッシュは壮絶だった

 東京に住み慣れている者には、ごく普通の日常なのだが、地方から出てきたばかりの人にとっては、驚きと戸惑いの強烈な洗礼となる。改札から押し寄せてくる人の波、ざっと見渡せる人数は、数千人だろか。特急、通勤準急、通勤快速、各駅停車などが、一分にも満たない間隔で次々と到着し、吐き出された人々がドッと改札を出てくる。誰もが無言で、足早に出口へと急ぐ。または、次の乗り継ぎ電車の改札へと向かう。そんな人の流れに足がすくんで身動きが取れなくなる。東京が嫌になる手始めは、この朝の通勤ラッシュから始まる。

 新宿、渋谷、池袋、上野、東京、品川などといった駅は、埼玉、茨城、千葉、神奈川方面から都心に向かってくる人が乗り込んでくる駅である。いずれもJR山手線上に並んでいる通勤では、ほとんどの人がこれらの駅を通ってくる。

 東京の人口は一三〇〇万人だが、通勤可能な首都圏として捉えると、少なく見積もっても三五〇〇万人くらいに膨れ上がる。北海道で例えるなら、札幌圏と言ったらいいだろうか。札幌市と小樽市、苫小牧市がつながって境目がない状態で、旭川市や室蘭市からも人々が乗り込んでくる。そんなイメージが首都圏だ。毎朝、通勤・通学で三〇〇万人が近郊から都心を目指す。

 あまりにも人が多く駅のコンコースの床が見えな前を歩く人の背中も見えない。人間の密度が高すぎて、肩と頭しか目に入らないのだ。慣れてしまう半分寝ながら歩いても、次の改札を通過できるようになる。だが、不慣れなにとって極度の緊張を強いられる。私も最初のころは、人の流れの中にうまく合流できなかったり、目の前を動く人が多すぎて、「人酔い」に悩まされた

 コンコースは、増水した川の濁流に似ている。人々によって大きな流れができているのだが、その流れに乗って歩かなければ、目的の方向に進むことはできない。流れを間違えば、とんでもないところまで押し流されてしまう。本流から支流へ移るタイミングも難しい。ましてや流れに逆らって歩くことなど不可能だ。

 私が東京にいたころは、電車と地下鉄を本乗り継ぎ、時間かけて通勤していた。だが、一時間は恵まれた方だった一時間半の通勤は、ザラだった。当時、私は練馬に住んでいた。日本橋にある会社に向かう通勤経路は、西武池袋線、東京メトロの丸ノ内線半蔵門線という都心を縦断する電車だった途中乗り継ぐ池袋と大手町駅は、巨大ターミナル駅である。池袋駅の日の乗降客数は、二六〇万人を超える。これは新宿に次ぐ数で、つまり世界第二位ということらしい。

 池袋に乗り入れている路線は、西武池袋線、東武東上線、それに東京メトロの丸ノ内線、有楽町線、副都心線、さらにJRでは山手線、埼京線、湘南新宿ラインある。出口に向かう人と乗り継ぎの改札を目指す人で、コンコースは沸騰した鍋のようにごった返す。池袋には、駅の出口が五十ヵ所以上あるという。

 私は西武池袋線で池袋駅に出ていたが、この線が高架になって複々線化されるまでは、とりわけひどい混雑だった。電車が池袋に近づくにつれ、駅に着いても乗客の圧力でドアが開かない。ホームで待つ乗客はそれを手で開けて無理やり乗り込んでくる。乗り込む客も必死だが、その背中を押す駅員も汗だくでホームを走り回っていた。

 満員の車内では、肋骨が圧迫されたまま次の駅までいく。動かせるのは指の第一関節いったん電車が走り出すと、次の駅までは指すら動かせない。立ったまま眠ることができるので、そういう意味では楽だった。電車が込み過ぎて痴漢もほとんどいなかったただ、肋骨が圧迫されるほどのすし詰めなので、若い女性には気の毒だった。鉄道各社は、さかんに時差出勤を呼びかけているが、一時間早く家を出ても、混雑はまったく変わらなかった。

 下半身がモゾモゾするので、何事かと思ってみると、下から見上げる子供と目が合う。私立の学校へ通う小学生である。子供たちにとっても、これが当たり前の毎朝の通学なのだ。ある意味、逞しいことだが、これを普通と考えていると思うと、末恐ろしい子供たちである。将来のエリートは、こうして育まれ作り上げられていく。

 私が東京生活を始めた一九八三年のころは、まだ、地下鉄にエアコンがついていなかった。熱気を出すエアコンは、地下鉄では使用できないと言われていた。それゆえ、夏の暑さは筆舌に尽くしがたかった。当時はまだ、クールビズという概念もなかった。多くの人がネクタイを締めて通勤していた。日本人は真面目なのである。ノータイで出かけて、会社でネクタイを着用すればいいのだが、それが気持ち的に許されないのだ。誰のネクタイも、その結び目まで汗が染みていた。さすがに上着は、会社に置いていた。ノースリーブの女性が恨めしかった。

 汗で、ワイシャツが背中に貼りつく。その背中にこちらの背や胸がピタリとくっつく。これは極めて不快なことだった。女性の香水がワイシャツに移るくらいならまだいいが、口紅が肩などについてしまうこともあった。そんな夜、会合などがあって飲みに行ったりすると、自宅に帰ってからが大変だ。

「あら? これ……どういうこと?」

 ややこしいことが巻き起こる。

 座席に座っている人は安泰かというと、そうでもない。目の前に立っている人が自分の膝の上に崩れてきて、重なり合うのだ。電車がカーブを曲がるときなど、いっせいになだれ込んでくる。なにを大げさな、と言われそうだが、それが毎朝の光景だった。冬は着膨れして、超満員に拍車をかけた。電車に乗れない人が、大勢いた。

 そんな通勤なので、会社に着いたら、すでにヘトヘトになっている。しばらくは放心状の体で机に座っていた。だが、やがて、そういう通勤が当たり前になる。要領を得ると、さほど疲れも覚えなくなり、普通の朝になっていく。いつの間にか東京のハードルを、ひとつ乗り越えている。


                  平成二十九年二月  小