Coffee Break Essay


 
「雨宿りの記憶」



 練馬で二十年暮らした。

 二十三区内でも練馬の夏はとりわけ暑い。地下鉄を乗り継いで自宅の最寄り駅に着くと、思わぬ夕立に遭遇することがある。目も眩むばかりの青白い閃光と、バリバリバリバリという激しい雷鳴が轟(とどろ)く。カサのきかないひどい雨で、いわゆる都市型豪雨というやつだ。特に「練馬豪雨」といわれている。

 雨が激しくて駅舎から一歩も出ることができない。駅の出口はすでに会社帰りのサラリーマンやOLで溢れ返っている。アスファルトを叩く白い水しぶきを恨(うら)めしげに眺めていると、時折、ずぶ濡れの女子高校生がキャーキャー騒ぎながら駆け込んでくる。肩で息をしながら、友達と顔を見合わせ、お互いの濡れっぷりを笑い合っているのだ。肌に貼りついた白いブラウスに、思わずドキリとさせられる。清々しい若さの躍動だ。

 そんな彼女らを遠巻きに眺めながら、そうか東京の住宅街には、雨宿りをする軒下がないんだ、と改めて気づかされる。

 私は学生時代を京都で過ごした。京都に住み始めて間もなくのころ、南禅寺で夕立にあった。南禅寺の境内には、数多くの塔頭(たっちゅう)がある。それらの庭を歩き廻っていて、にわかに降り出した雨に、お寺の大庇(おおひさし)の下に逃げ込んだのだ。みるみる雨脚がひどくなり、腰掛けていた濡れ縁にまで飛沫が吹き込んできた。そのとき、奥から年配の女性が現われ、

「あら、あら、あら、……どうぞみなさん上がっておくれやす。さあ、さ、どうぞ」

 と私たちを畳の間に招じ入れてくれた。私のほかに若い観光客が四、五人はいただろうか。その女性は新聞を持ってきて、その上に靴を置くようにいって奥に消えた。庭の飛び石を叩く激しい飛沫を眺めていると、

「どうぞ、あがっておくれやす」

 といって熱い緑茶の入ったお盆を持ってきた。

 白い雨脚が庭の苔に音もなく吸い込まれてゆく。心持ち色あせて見えていた苔が、息を吹き返したように緑を際立たせていた。うだるような暑さが一転し、雨が運んだ涼風が心地よく首筋をなでる。目の覚めるような鮮やかな庭を眺めながら、熱いお茶をすすった。真夏なのだが、熱いお茶でよかったと思った。お茶には小さな和菓子が添えられており、その甘さが空腹を覚えていた腹にしみた。京都の味だなと思った。

「夕立ですさかい、いっ時もすると上がりますぅ。遠慮のぅゆっくりしていかれるといいですわ」

 はんなりした心地よい抑揚を残して、女性はまた奥に消えて行った。そのとき私は、京都へ来てよかったと思った。同じく雨宿りをしていた人の中に、ひとり旅らしい若い女性がいた。色白の柔和な顔をまっすぐ庭に向けながら、静かにお茶を飲んでいた。茶碗を包み込むように持っていた、その白くて細い指に彼女の繊細さを見た思いがした。

 京都ではもうひとつ雨宿りの思い出がある。夏の盛りのことだった。伏見の深草に住んでいた私が、近場でぶらりと散歩するのが、伏見稲荷大社周辺である。深草から直違橋(すじかいばし)通りを渡り近鉄奈良線を越えて、いくつかの細い路地をくぐり抜けるように行くと石峰寺(せきほうじ)がある。その石峰寺の手前を左に折れると、ほんの僅かに里山のような田園風景が広がる場所があった。そこは伏見稲荷大社の横、南麓に当たるのだが、そこだけ異空間の趣があり、お気に入りの場所だった。

 ある日、怪しい雲行きを気にしながら歩いていると、石峰寺の手前で大粒の雨がアスファルトを叩き出した。道路の水玉模様が瞬く間に広がるのと同時に、私も走り出していた。畑の中を通る小道を稲荷大社に向かって走ったのだが、雨が急激に強さを増し、神社の森の手前にあった小さなお堂へ駆け込んだ。

 実はそのとき、私と全く同じタイミングで白い飛沫の中をお堂に駆け込んできた女性がいた。私たちは鉢合わせをするように、お堂の庇(ひさし)の下へ飛び込んだのである。そこはぬりこべ地蔵を祭る小さなお堂だった。

 女性は白いブラウスに赤いサマーセーターを着ていた。互いに息を弾ませながら、小さな笑顔で軽く会釈を交わした。年齢は二十歳そこそこ、同じような年頃だった。そのとき、私は赤いセーターの下に彼女の意思とは別に、弾むように息づく豊かな胸のふくらみを感じていた。私はドキッとして必要以上に目をそらした。

 小さな長椅子の端と端に腰かけながら、彼女はしきりにハンカチで髪の毛や身体を拭っていた。こんなときに気軽に言葉をかけられたら、どんなにいいだろうと思いながら、私は雨脚を恨めしく眺めていた。何か話さねば、どんなふうに声をかけたらいいだろう、そんなことを考え続けていた。私は不器用だった。

 次第に細くなって行く雨脚が、日差しを受けて透明な糸になったのを見計らって、彼女は軽く会釈して私が走ってきた方向へ走り去って行った。もし、彼女が長椅子から立った瞬間、私がバランスを崩してひっくり返ったら……別のドラマが生まれていたかも知れない。何事も起こらず、彼女は去って行った。

 ひとりになった私は、お堂の中の地蔵さんを下から覗き込みながら、

「あかんかった……」

 とつぶやいてみた。ぬりこべ地蔵は、歯の痛みを封じ込めるご利益で有名なのだが、私たちの縁を結んでくれることはなかった。

 ひとことも話さずに終わった通りすがりの女性の、三十年も前の記憶である。なぜ、忘れないのだろう。激しい雨の中、飛び込んだお堂で、互いに抱き合うようにして衝突をかわした。その鮮烈な出会いと、突然現れた鮮やかな赤い色。そしてキラキラとした光の中へ再び飛び出していった彼女の白いブラウス、そんな色彩が記憶の印画紙に焼きついてしまったのだろう。

 今年、三十二年ぶりに北海道へ戻ってきて、涼しすぎる夏を経験した。一度も夕立をみなかった。風土の違いはこんなところにもあったのかと、少し寂しい気持ちになった。

                 平成二十四年一月小寒  小 山 次 男