Coffee Break Essay


 「赤胴の女の子と仕分け人」

 

 初夏の明るい日差しが、クスノキの若葉を照らしている。木漏れ日がキャンバスの舗道に淡い緑の陰影を躍(おど)らせ、行き交う学生の肩に落ちている。

 北海道から上京した私にとって、六月の京都は、もはや真夏に等しかった。気候風土はもちろん、目にするもの全てが物珍しく、なにもかもが新鮮で輝いていた。あれから三十年の歳月が流れたことになる。

 大学生活にもすっかり慣れたある日のこと。午前の授業を終えた私は、学生食堂のある建物に急いでいた。昼休みの早いタイミングを逃すと、学食が学生で溢れ返る。うっすらとにじむ額の汗を拭いながら、体育館の横を抜ける近道に差しかかったとき、脇道から赤胴を着けた女の子が不意に目の前に現われた。面を小脇に抱え、もう一方の手には竹刀(しない)が握られていた。あっという間に私の横をすり抜け、体育館の裏口に消えて行った。振り返ると、後ろで結わえた髪が左右に揺れ、白い項(うなじ)が見え隠れしていた。一瞬の出来事だった。

 眩(まばゆ)い日差しの中に突然出現した彼女に、私は釘付けになっていた。純白の剣道着に、鮮やかな真紅の赤胴。躍動する濃紺の袴(はかま)の下に覗く健康的な素足。上気して桃色に染まった頬(ほお)に、クリッとした大きな瞳。閃光のような映像が、私の網膜に焼きついた。

 白居易の「長恨歌」に、楊貴妃(ようきひ)の美貌を詠った一節がある。

「眸(ひとみ)を廻(めぐ)らして一笑すれば百媚(ひゃくび)生じ、六宮(りくきゅう)の粉黛(ふんたい)顔色(がんしょく)なし」

 遠ざかって行く彼女を眺めながら、そんな漢詩が頭をよぎっていた。数カ月前の受験の名残である。ひと目惚れであった。

 その後、キャンパス内で何度か赤胴姿の彼女を見かけた。話しかけたくても、話の糸口がない。ましてや体育会系の雄たる硬派の剣道部員である。ESS(英語研究部)の私などは、ヘナチョコに等しかった。そんな負い目もあり、ただ、遠くから眺めるだけの日々を送っていた。

 実は、同じアパートに同学年の剣道部員がいたのだが、恋心を見透かされるのが照れくさく、赤胴の女の子のことは訊けずにいた。そんなある日、アパートで彼と一緒に飲む機会があった。したたかに飲んだころ、

「おっ、林ィ。お前ンとこに、目のクリッとした赤胴の女の子いるやろう」

 恐る恐る訊ねると、

「おお、おるでぇ。――お前、もしかして……惚れたな」

 林はにやりと笑って、覗き込むような目で、いきなり本音を衝いてきた。

「いや……そういう訳やないけど……」

 京都に住んで半年ほどで、私は妙な関西弁をつかうようになっていた。

「やめときィ。あいつは、ダメダメ。もう西山先輩のこれや」

 といって林は小指を突き立てた。林もまた山形出身なのだが、違和感のある関西弁をつかい始めていた。

「おまえ、手ぇ出したらアカンでェ。ぶっ殺されっで、西山先輩に」

 西山は煤(すす)けたような顔をしたひとつ上の先輩だった。剣道部の一団をよく学食で見かけていたが、西山は、どうみても冴(さ)えない風貌(ふうぼう)の男だった。どうしてあんなヤツに彼女は惚れたんだろう、という思いがあった。だが、西山はすでに剣道二段の腕前で、後輩から一目置かれる存在だった。

 林の部屋には、毎晩のように同期の剣道部員がたむろしていた。大学と道路を一本隔てた場所にアパートがあったので、野球部、剣道部、UFO研究会、航空部と、様々な連中が出入りしていた。私の所属するESSも例外ではなく、アパートは、部活帰りの学生のたまり場となっていた。

 とりわけ剣道部は酒豪の集まりであった。彼らはいつも学生服姿で、一升瓶を真ん中において、遅くまで飲んで騒ぐのである。私の時代は、いわゆる「バンカラ」世代とはほど遠かったのだが、彼らの騒ぎっぷりは、バンカラ世代を髣髴(ほうふつ)とさせるものがあった。そんな中に、ときおり女子部員の姿があった。赤胴の子もいた。女子部員もまた、高校生のような制服姿である。私服が禁じられていた。

 アパートは、廊下を挟んで横並びに五室が向き合っていた。林の部屋と私の部屋は、同じ並びの端と端である。私の部屋の隣がトイレで、その向かいが炊事場兼洗面所だったこともあり、人の往来が多かった。アパートの住人は、みんな自室の扉を開けっ放しにしていた。廊下を歩く人の気配で、それが女の子であるかどうかがわかった。

 赤胴の女の子の輝きは、群を抜いていた。彼女が来ていることが分かると、そわそわして何も手につかない。狭いアパートの中ゆえ、たむろする輩(やから)とはすぐに打ち解けて友達になる。だが、赤胴の女の子とは特別の緊張があって、ほかの女子部員のように気軽に話ができなかった。というか、彼女がいるときは、決まって西山の姿があったのだ。

 西山がアパートに来ると、飲んで騒いでいる中でも特別な緊張感が漂っていた。西山は、三回生で主将になっていた。そんなこともあり、赤胴の女の子とは、廊下ですれ違いざま挨拶程度の会話を交わすだけで、そのたびにドキドキしながら、それ以上のことはないままに終わった。

 卒業後、風のたよりに赤胴の女の子は西山と結婚したことを聞いていた。それから三十年、ときおり思い出す学生時代の邂逅(かいこう)の中で、赤胴の女の子の映像を思い浮かべることもあった。私は大学卒業後、生活の場を東京に移していた。

 

 一昨年(平成二十一年)、衆員総選挙で自民党が大敗し、民主党が政権をとった。民主党のマニュフェストのひとつに「事業仕分け」があった。「事業仕分け」とは、予算の概算要求の無駄を洗い出す作業で、それを公開の場で行ったのである。各省庁の役人と仕分け人とが、公開の場で喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をする。それがテレビで報道され、ものめずらしさも相まって連日の話題となっていた。

 そんなある日。夕食後、いつものようにソファーにもたれて仕分け人が役人を詰問する場面を眺めていた。ああ、またやっているな、と思ったその仕分け人の顔が大写しになった。どこかで見たことのある顔だなと思ったその瞬間、私は飛び上がった。その仕分け人の特徴的な顔の輪郭は、紛れもなく西山であった。三十年の時を経て、突然西山がテレビ画面に映し出されたのである。見紛(みまが)うことはなかった。

 だが、映し出された西山の顔は、昔のように煤けてはいなかった。むしろ晴れやかだった。するどい論調で役人をやり込めていた。あの煤けてモソッとした男が、別人と化していたのだ。どうしてあの西山が……私は思いついてネットで西山の名を検索してみた。そこには意外な西山の姿があった。

 西山は大学卒業後、地元の町役場に勤め、町議会議員を経て三十九歳で町長になっていた。その町が市町村合併で市となり、平成二十一年の市長選で敗れるまで、西山が市長を務めていたのである。市長在任中、西山は市の予算編成に「構想日本」の事業仕分けを取り入れていた。そんな縁から、西山自身が仕分け人になっていたのである。

 その後、連日のようにテレビに登場する西山を眺めながら、人間、こんなに変わるものなのか、と驚嘆の思いで眺めていた。同時にこの西山を陰で支えているだろうあの赤胴の女の子の面影を、私は西山の中に探していたのである。

 

                平成二十二年二月 雨水  小 山 次 男

 

  追記

  平成二十三年五月 加筆