Coffee Break Essay



この作品は、20159月発行の同人誌「随筆春秋」第44号に掲載されております。


 「K点超えの大ジャンプ」

 札幌に暮らし始めて一年半になる。この十月、母と妹を誘ってドライブがてら初めて大倉山シャンツェの上まで登ってみた。大倉山シャンツェとは、スキーの九十メートル級ジャンプ台、いわゆるラージヒルというやつだ。そのジャンプ台で、子供たちがさかんにジャンプの練習をしていた。

 小学校高学年から中学生といった年齢の子供たちが、十五人ほどいただろうか。そのなかには、女の子も四、五人混じっていた。雪のない季節だったので、人工芝でのジャンプである。

 子供たちが次々に空を飛んでいく。それは信じがたい光景だった。なぜ、あんな高いところから猛スピードで飛び降りることができるのか。彼らなら清水の舞台から飛び降りることなど、なんなくやってのけるだろうと思った。観光客は、ひっきりなしに飛んでくる子供たちに、大きな歓声を上げていた。リフトで上に上がっただけで、足がすくみめまいがする高さである。彼らは、将来のオリンピック候補選手に違いない。末恐ろしさを感じた。

 この大倉山シャンツェでは、ちょっとしたハプニングに見舞われた。まず、ジャンプ台に上る前に、その下にあるミュージアムに入ることにした。大倉山シャンツェといえば、一九七二年の札幌オリンピックで笠谷幸男以下三人の「日の丸飛行隊」が金銀銅を独占したあのジャンプ台である。当時、私は小学校六年生だった。ミュージアムには、その当時の展示物がある。

 入り口で入場券を求める際、母の高齢者証明証を持参していないことに気がついた。高齢者は割引になるのだ。受付の女性にそのことを告げると、生年月日を言ってくれればそれでいい、とにこやかに言われた。七十九歳の母は、どこから見ても高齢者である。四十代くらいの感じのいいきれいな女性だった。少し認知症が入っていて、自分の年齢すら思うように答えられない母が、よどみなく、

「昭和十年五月……」

 と答えた。四年前に大腿骨を骨折した母は、長い距離を歩くことができず、このときも私が車椅子を押していた。すると受付の女性が満面の笑みを浮かべ、

「ハイ、いいですよ。では、シニア二枚、大人一枚ですね」

 と不思議なことを言った。

(シニア二枚……)

 何のことだ、と思っていると、妹が間髪入れずに、

「ハイ、それでいいです」

 と言ってあらぬ方向を見ている。笑いをこらえているのだ。ミュージアムの中に入った妹は、小便をモラさんばかりに笑い転げた。

 受付の女性は、母と私が夫婦で、妹を娘と見定めたのだ。私は五十四歳である。一歳半下の妹と私が夫婦に間違えられるのならともかく、母と間違われたのだ。シニアとは六十五歳以上の割引である。五十四歳の私が、六十五歳以上に見られたのだ。妹曰く、

「アンタがそんな顔だから、安上がりで助かるわ」と。

 私は、一昨年まで室蘭にいた。近所の銭湯によくかよっていたのだが、その銭湯で六十五歳以上に間違われていた。その日は敬老の日で、高齢者は入浴無料だった。このとき番台に座っていたのは、八十過ぎの婆さんだった。ババアだから仕方ないと思ったが、今回の受付の女性は、四十代前半くらいの年齢である。落雷に打たれたようなショックを受けた。

 このときの私の服装は、グリーンのタータンチェックのカッターシャツの上にグレイのパーカーを着、その上に黒のダウンのベストを羽織っていた。下はベージュのメンパンである。カッターシャツはズボンに入れずに、わざわざスエットの下から見えるように出していた。若作りのつもりだった。服装には結構気を遣っているのだ。問題は顔と頭である。

 顔はほどほどのイケメンなのだが、頭がダメだ。まるで病気の犬のような頭なのだ。昔は台風の目のようなちゃんとしたつむじがあったが、そのつむじもとうの昔に温帯低気圧に変わっている。張り出した高気圧のように、ハゲが次第に拡大しているのだ。こればかりはどうしようもない。

 だが、大倉山から一ヵ月も経たないうちに、ふたたび事件は起こった。スーパーで買い物をしていたときのこと。六十代と思しきオバサンが、食品売り場で試食のすき焼きを母に勧めた。そのときも私が母の車いすを押していた。母がすき焼きを受取った直後、

「ダンナさんもどうぞ」

 とすき焼きを差し出したのだ。

(ダンナさん?……)

 私は一人でいるときも、「ダンナさん、どうですか、安くしておきますよ」という声掛けを受けることがある。そういう年齢なのだから仕方がない。だが、今回の「ダンナさん」は、いつものダンナさんとは明らかにニュアンスが違っていた。言われた瞬間「ババア、間違いやがったな」と思った。だが、文句は言えない。間違った相手が悪いのではない。そう見えた私のほうに問題があるのだ。

 これは憂うべき事態である。なにせ私はこれから恋愛をして、再婚をしなければならない。このままでは、マズい。さて、どうしたものか。

 今回の年齢誤認は、まさにK点越えの大ジャンプ、極めてショッキングな出来事だった。


              平成二十六年十二月  小 山 次 男