Coffee Break Essay


 『五月祭の青年』

 (一)

 夕方テレビを見ていたら、東大の五月祭が映っていた。中間テストが終わったばかりの娘に、

「明日、なんか予定、あるのか」

 と訊くと、何もないという。

「じゃ、東大へ行くぞ」

 娘を半ば強引に連れ出した。娘は高校三年生である。

 地下鉄丸の内線で本郷三丁目駅に降りると、もう若者でいっぱいであった。若い女性が多い。女子大生や女子高生らしき彼女らは、大挙して赤門を目指していた。

 受験生を遊びに連れ出す親も珍しいのだが、娘は出不精で、友達と出かける約束をしていない日は、一日中家にいる。勉強をするわけでもなく、のんべんだらりと過ごしているのだ。娘は、大の勉強嫌いである。それでも大学へ行きたいという。前回の試験では、

「ねえねえ、見てよこれ、凄いと思わない。七十二点だよ、七十二点!」

 点数が高いときだけ、私に見せに来る。日本史の答案だった。日本史なら九十点代くらいのを持って来いよと思いつつ、

「おお、なかなかやるもんだな。やればできるんだよ。その調子で頑張れ」

 心にもないことをいってしまった。娘を見ると得意気である。念のため平均点を訊いてみると、

「えーと、確か……七十六点だったかな」

 意にも介していない様子である。娘にしてみれば、これだけの点数をとったのだからいいじゃないか、という論法なのだ。ついでにいうと、娘はこの日本史で「伴天連(バテレン)追放令」と書くところを、「レバノン追放令」とやっていた。

 そんな娘に、重厚な大学の建造物と、受験を乗り越えた学生の伸び伸びとした姿を見せようと思ったのである。少しでも娘の向学意欲を誘発できれば、という気持ちもあった。東大はうってつけであった。

 赤門に向かう途中、私はいつになく饒舌になっていた。

「ここの学生は、日本中から集まってきた秀才だ。お前の学校から東大に入るヤツはいないだろう。東大生は、みんな学年トップ、しかもブッチギリの秀才だ」

 私は自分の出た三流大学をすっかり棚に上げていた。

「この赤門は、加賀百万石前田家の門だ。どうだ、この銀杏のデカイこと。電柱も見えないぞ」

 よく見ると電信柱は地下に埋められているようであった。だが、娘の反応はいまひとつ冴えない。

 赤門をくぐるとすでに出店がズラリと並んでおり、若者でごった返していた。ダンボールのプラカードを持った学生が、「焼きそばいかがですか」「アメリカンドックどうですか」と大声を張り上げている。コスプレ姿やセーラー服姿の呼び込みもいた。あまりの過激さにギョとした。内弁慶の娘は、彼らの迫力にすでに気おされていた。

 しばらく歩くと、銀杏並木越に安田講堂が見えてきた。

「これが安田講堂だ。一九七〇年、日米安保条約に反対した過激派学生がここに立てこもって、機動隊と衝突した。安田講堂は学生運動の象徴的建造物なんだ」といいたいところを、グッと抑えた。大学紛争は、私が十歳のときの出来事、平成生まれの「レバノン追放令」にそんな話をしても無駄であると思ったのだ。

 ピンクづくめのコスプレ姿の学生が近づいてきて、

「たこ焼きでーす。二百円、いかがですか」

 その声がエレキギターの大音響にかき消された。安田講堂の前にステージがあり、マイクを持った学生が、痙攣を起こしたように頭を振りながら叫んでいる。エネルギッシュに歌っているつもりなのだろうが、私には工事現場で削岩機を持ったアンちゃんが感電しているようにしか見えなかった。ステージの背後には、古色蒼然とした安田講堂が聳えていた。

 あの塔の上で、ヘルメットを被り手ぬぐいで顔を被った学生が、旗を振っていた。その学生めがけて、機動隊の容赦ない放水が行われ、催涙ガスが打ち込まれた。当時小学生だった私は、意味もわからないままテレビに見入っていた。正義は機動隊にあると思っていた。十年後、大学生になった私は、共産主義には共感できなかったが、正義は学生にあると確信していた。学生時代とはそんな人生の季節である。

 (二)

 ロックバンドの大音響に耐えられず、我々は出店でフランクフルトと焼きそばを買って、逃れるように三四郎池へ降りていった。池の周りには鬱蒼と潅木が茂り、騒音さえなければ森の中にいる心地がする。

 しばらく休憩した後、せっかく来たのだからと、ふたたび人ごみの中を歩き出すと、ひときわ重厚な建物の前に出た。そこでは和太鼓のパフォーマンスと大道芸をやっているグループがいた。安田講堂前にも劣らぬ喧騒である。同じ音でも和太鼓の方がましであった。建物に目を凝らすと、東京大学図書館とある。大学といえば図書館だろうと思い、渋る娘の手を引いて中へ入った。

 入り口の受付に、男女二人の中年事務員が退屈そうに座っていた。

「あのー、一般のひとは入れないのでしょうか」

 恐る恐る尋ねると、学内の関係者がいないと入館できないと、ひどく冷淡に断られてしまった。奥を覗くと、赤い絨毯(じゅうたん)を敷き詰めた長い階段が続いており、なかなかに趣がある。渋々ついてきた娘が、図書館の出口で、

「あー、ざーんねん。見たかったなぁー」

 と女子高生特有の声を発した。仕方なく、図書館前に戻り和太鼓を眺めていると、突然、目の前にひとりの青年が現れた。ニキビ面に銀縁メガネをかけた色気のない青年である。新興宗教の勧誘に違いない、と身構える私に、

「学内の関係者がいないと入れないのでしたら、私が案内して差し上げます」

 と抑揚のない早口でいった。青年の目は真っ直ぐに私を見ており、緊張してサンマのように硬直している。青年の言葉が和太鼓の音で聴き取りにくく、図書館のことだと理解できるまでに、一呼吸を要した。図書館を出てから五分ほどたっていたせいもある。青年はワイシャツに綿パン姿で、重そうなショルダーバッグが肩に食い込んでいた。

 その青年を見て、私は次のように想像した。

 青年は学校祭と知りつつ、図書館にやってきた。門をくぐってまず目にしたのは、五月祭に浮かれる学生たちの姿であった。周りには大勢の女の子がいる。その光景に青年は憤りを覚えた。この騒ぎは何だ。お前たちは学問を志し、刻苦勉励の末、この大学の門を叩いたのだろう。何という体たらくだ。忌々しい思いが青年の胸奥に充満していた。

 憤懣やるかたない思いで図書館に入ると、受付で入館を申し込んでいる親子がいる。こんなときに、図書館を訪れる部外者など誰もいない。しかも父親が連れている娘は、受験生風の女の子である。

 気になってその親子の様子を見ていると、事務員が冷淡な態度で入館を拒否している。大学はこんな親子にこそ敬意を表すべきではないか。それが最高学府の礼儀だろう。この親子を何とかしなければ……。青年の心に火がついた。

 図書館を出た我々を遠巻きに眺めながら、青年は逡巡を重ねた。そしてついに勇気を奮って、私の前に躍り出たのだ。

 私は、突然現れた若者に驚きつつも、すぐにこの青年の提案を快諾した。青年の正義感を看て取ったのだ。

 少し離れたところにいた娘のもとに近寄り、

「おい、図書館に行くぞ」

 と腕を引っ張った。娘は私の傍らの青年を見て、何が起こったのかわからず、怪訝な顔でついてきた。質問しようにも和太鼓の音がうるさくて、訊きようがなかったのだ。三人で図書館の石段を上がりながら、青年は叫ぶようにいった。

「こうして大学祭に浮かれているさなか、この中では静かに勉強している学生がいるのです。それを是非見ていただきたいのです」

 相変わらず青年は強張っていた。そして躊躇いもなく事務員の前に進み出て、

「学内の関係者の付き添いがないと入館できないということですが、ボクはここの学生です。これでこの方々は、入館できますね」

 学生証を見せながら、毅然といってのけたのだ。青年の口元は、緊張と怒りでかすかに震えていた。権力に立ち向かい、有無をいわさぬといった正義感が青年の身体に溢れていた。

 私は、この青年に静かな感動を覚えていた。青年は先頭に立って我々を導き、図書館のゲートをくぐった。私が礼をいう間もなく、青年はスーッと横の通路にそれて行ってしまった。娘も事情が飲み込めたらしく、青年の清々しい態度に心打たれた様子であった。

「ねえ、見た? 東大生の学生証。凄いと思わない」

 娘が私の耳元でささやいた。

 館内は静まり返っていた。長い階段を上がったところにある薄暗い部屋に、様々な歴史的なレリーフが展示されていた。その部屋の奥に、閲覧室があった。中に入ると、本棚が整然と並んでいる。その長さは、五十メートルもあるだろうか。中世ヨーロッパの回廊を髣髴とさせる光景に、我々は息を呑んだ。本棚のさらに奥には、本棚と並行して古びた木製の机が並んでいた。机は合板ではなく、一枚板の相当に年季の入ったものである。そこは窓際の明るい部屋で、遠くからエレキギターや和太鼓の音が聞こえている。黙々と勉強する学生の姿が点々とあった。

「これが大学だ」

 感動を覚えながら娘を見ると、さすがの娘も目を丸くしている。

 見学時間の三十分はあっという間に過ぎた。全てを見て回ることはできなかったが、思い切ってここまで来てよかったと、改めてあの青年に感謝する気持ちが湧いていた。

 だが、私には一抹の不安があった。見学者は、関係者の付き添いが必要なはず。出るときにあの受付の事務員に名札を返却しなければならない。まあ、適当にごまかしていい逃れるしかないな、と思いながら受付に向かっていると、再びあの青年が現れたのである。彼は、入り口近くのソファーに座って、本を読みながら我々の帰りを待っていたのだ。

 私は、青年に、

「思いもかけず、よいものを見せてもらいました。すばらしい体験でした。本当にありがとうございます」

 深々と頭を下げたのだが、青年は相変わらず固い表情で小さく頷くだけであった。黙って我々を出口まで案内し、図書館の外に開放してくれた。途中、青年はまたしても唐突に、

「受験生ですよね」

 と娘を指して私に訊いて来た。そうだというと、

「いろんな学生がいます。どうか、その辺のことも考えてやって下さい」

 といって、引き止める間もなく、人ごみの中に消えてしまった。私は、この青年をお茶にでも誘って、じっくりと話をしたいと思っていたのである。場合によっては、青年に娘をくれてやってもいいとさえ考えていた。

「ねえ、私、東大なんて、ぜーんぜん無理なんだけど……。でもさ、あの人、変だよ。私もお礼いったんだけど、ニコリともしなかったよ。あれじゃ、ダメだね。女の子にはモテないよ」

 女子高の娘には、見たこともないタイプの青年であった。私は、青年に深い感銘を受けながら、

「彼は、あれでいいんだよ。ああいう男が、そのうち味わい深い人間になって行くんだよ」

 私は、青年の消えて行った方角を目で追いながら、清々しい思いをかみ締めていた。銀杏の若葉が、五月の陽に照り映えていた。

                  平成十九年九月 秋分  小 山 次 男